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「失敗から学ぶ」のは思ったよりも難しい

こんにちは!

こしあんです。

突然ですが、あなたは仕事で大きな失敗をしたことがありますか?

思わず「やっちまったー!」と叫びたくなるような出来事もあれば、新人の頃やちょっと慣れてきた頃にミスを重ねてしまったという人もいるかもしれません。

しかし、多くの人は「二度と同じ間違いを起こさないぞ!」と考え、段々とミスはなくなっていきますよね。

ただ、私たちは機械ではありませんから、その日の体調に左右されうっかりしてしまうこともあります。

細かいミスなんてものは数え始めたらきりがありません。

失敗すると恥ずかしさがこみ上げてきたり、気持ちが落ち込んでしまうこともありますが、「失敗や挫折をしたことがない人とは、何も新しいことに挑戦したことが無いということだ」という言葉をアインシュタインも残しています。

失敗した経験があるということはあなたが何かにチャレンジしてきたと言い換えることもできます。


しかし、こんなことを書いている私でも失敗すれば落ち込みます。

「なんでもっとよく確認しなかったんだ」とか「焦って作業をするべきではなかった」と考えることもあります。

最初に書きましたが、多くの人は「次からは気をつけよう」と考え、気持ちを切り替えて次に進みます。

だとしたら失敗から学ぶことの何が難しいのか?

今回は、私たちが失敗から学ぶ上で邪魔をしてくるものの話をしていきます。


【恥ずかしさと怖さ】

あなたは子どもの頃、失敗が許される環境にいましたか?

上手くいかない理由を一緒に考え、悩んでくれる大人が周りにいたでしょうか。
逆に何か失敗する度に自尊心を傷つけられたり、怒鳴られたりする環境だったでしょうか。
そもそも「失敗にいい思い出なんてないよ!」という人のほうが多いのかもしれません。

しかし、いつから私たちは「失敗は恥ずかしいもの」「避けるべきもの」になったのか?

上司や同僚に「誰にだって失敗はあるよ」と言われても心が晴れることはありません。
もちろん、「次は絶対に上手くなってやる」という気持ちになり、前向きに取り組める時もあります。

一次的な恥ずかしさや失敗したときの恐ろしさは、気を引き締めるために必要なときもあるでしょう。


ただ、この恥じる気持ちや失敗したときの怖さから私たちは言い訳をすることがあります。
これは心の防衛機能でもありますが、いつもこの機能に頼っていては前に進むことができません。
「恥をかきたくない」、「わたしは失敗するような人間ではない」といった気持ちのままでいれば、認知的不協和という心理状態に陥ることがあります。


この認知的不協和とは

信念に対して明確な反証が生じた際に生じる一貫性の欠如に対して、人が心理的に感じる不快な経験を指す。

心理学大辞典より

何だか難しい言い回しですが、この不快な気持ちが生じると私たちはそれを解消しようと頑張ります。
この不安を解消するときの思考パターンに注意が必要です。

有名な話では、イソップ物語の「キツネとブドウ」がこれにあたります。
キツネがある日、とても美味しそうなブドウの木を見つけますが、どう頑張ってもブドウに手が届きません。
そのうち諦めてキツネは「あのブドウはきっと酸っぱいに違いない、取れなくてよかった」とつぶやきました。

ブドウが欲しいけど取れないという状況が認知的不協和になります。
そしてこの認知的不協和を解消するために「あのブドウは酸っぱい」と決めつけ心の平穏を保ったわけです。


しかし、ここでふと思ったことがあります。


キツネがブドウを取ろうとする行動が「チャレンジしたこと」として捉えることが出来れば話は変わってくるのではないでしょうか。

失敗したときの言い訳を考えなくてもいい環境だとしたらこの認知的不協和は起こらないのかもしれません。

キツネが「あそこにあるブドウを食べようとして色々試したんだけどどうしても届かなかったんだ」と仲間に話せば、一緒に考え何か良いアイデアを出し合うことができるかもしれません。
また、「一緒に取りに行ってみよう!」と行動に移る可能性もあります。

こういう気持ちの方が学ぶ姿勢があるように感じますよね。

手に入らなかったからと言って「あれは悪い物だ」と決めつけていては本当のことがわからなくなってしまいます。

失敗したとき結果だけに目が行くのか、それともチャレンジしたことにも意味を見出せるのか。

あなたの思考パターンはどちらが多いでしょうか。

もちろん、結果が伴うことが望ましいと思います。
しかし、結果だけを追い求めれば認知的不協和のワナに嵌ってしまうかもしれません。
この心理状態では「なぜ上手くいかなかったんだろう?」という思考を捨ててしまいます。

そして人や物、社会のせいにして考えることを放棄します。

ミスをしたのは誰かのせい。
失敗が続いたのは環境のせい。
終いには「そんなこと出来たって何の役にも立たない!」
といった思考に囚われてしまう可能性もあります。

そうではなく、「なぜいつもここでヒューマンエラーが起こるのか?」「上手くいかなかった方法が一つわかった!」と考えることが出来なければそこから学ぶことはできません。

失敗から学ぶには「私はイソップ物語のキツネになっていないか?」と問いかけてみることが大切なことなのかもしれませんね。


最後に
今回は個人のモノの捉え方について触れましたが、失敗から学ぶには環境も大切です。
「怖くてミスを報告しづらい」、「自分の立場が脅かされる」といった環境では失敗を隠すようになります。
そういった隠蔽体質の職場を改善するには心理的安全性というものが重要になってきます。

もし、「ミスの報告が極端に少ない」「自分の意見が言えない」といった特徴が現場にあるのなら、そこには心理的安全性はないのかもしれません。


今回はここまで

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最後までお読みいただきありがとうございます。

それではまた次回お会いしましょう。

※この記事は読んだ本をもとに考察し、私の経験したことなども踏まえて書いています。
そのため、参考にした本とは結論が異なる場合があります。
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