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武士の子育て

一昨年、娘から送られた写真です。さとちゃんの子育てと似てるところが。。。というメッセージが添えられていました。

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今どき、こんなことを子育てをしている家庭はないかもしれませんが、きっちした生活とは、このようなことかもしれません。


食べ物を与えず。。。

娘が強調したいのは、”食べ物を与えず”という件です。携帯電話を離さない娘に、夜8時以降の携帯電話禁止という私の提案を受け入れないなら、私は娘のために朝起きないという条件を出したことがあります。朝6時にスクールバスに乗るので、私はお弁当を作るのに5時起きでした。娘は携帯を選び、朝食は自分で冷蔵庫にあるものを温めて済まし、時間があればおにぎりを作っていきました。学校で友達がお弁当を分けてくれたり、パンを買って食べていましたが、先生が子どもに食事を作らないのは問題だと呼び出されたことがありました。娘が選んだことでしたが、厳しい選択をさせてしまいました。娘は、朝焼けを独り占めできるのがしあわせだと言っていました。


ひとり親家庭の子育ては人の助けを借りる

本来なら4本の手でできる子育てが、ひとり親家庭の場合、手は2本しかありません。車で出掛けて、2歳の寝込んでいる娘を起こして三階まで階段を登らせて行かなければなりませんでした。娘は今でも、どの子も同じように起こされ歩いていると思っているでしょう。私が幼いときは、父に抱っこでベッドに運ばれるのが当たり前でした。寝ている娘を起こすたびに、私が意地を張らなければ娘にこんな思いをさせることはなかったと涙を流したものです。

娘は、パキスタンとのハーフです。亡くなった私の父は、いつでも「可愛いでしょ、うちの子はパキスタンのハーフだから。」と言って娘を紹介しました。誰もが、派手な顔つきの娘を見ては「どこの国ですか?」と聞きたいけど遠慮するので、父が先に言ってしまうのです。娘が1歳の時に父は他界し、それ以降は、近所の年配の方に随分とお世話になりました。60歳も過ぎた方々は、穏やかで褒めることに長けています。私が厳しくしつけても、みなさんが娘を褒めてくださるので娘は私のしつけに疑いもなくしっかりした子に育ったかもしれません。

娘を叱って玄関の外に出したときは、泣いて謝る娘の声を聞きつけた同じマンションの方が、娘の手を握り何があったのか聞き、謝り方を教えてくれたことがありました。虐待と勘違いされてしまったようです。バルコニーに反省するまで出てなさいと言ったこともありました。そのときは、一階のママさんが「どうしたの?」といつも娘に聞いてくれました。そんなご近所の助けがあって、私たち親子は本当に恵まれています。今、娘が日本の家に帰っても、変わらぬ近所のお付き合いがあるので安心です。私ひとりで娘を育て、私そっくりになっていたらと思うとゾッとします。


異国のお母さんから学ぶ公平さ

ドバイに来てからも、学校の校長先生、教頭先生は、規則にとらわれず柔軟に私たち親子に対応してくださり感謝しきれません。各国の娘の学校の友達のご両親からも、たくさんのことを教わりました。ドバイでの、たくさんの子育ての思い出に涙が出ます。

アフリカ系のお母さんは特に、友達同士の揉め事が起きたとき、その場にいた子から話を聞き、全員が納得のいく公平な解決策を導きます。多国籍の子どもがいて、子育ても様々ですが、トラブルが起きるたびにこうしていると、どの子もごまかしたり嘘をつくことが恥ずかしいと考えるようなったり、うやむやにせず解決するまで話すようになりました。

娘がトラブルに巻き込まれたとき、娘の友達のお母さんがトラブルの相手のお母さんに電話してくださったこともありました。「正しいことは貫きなさい」昭和以前の日本には普通にあったことと思います。今は、何事も穏便にとか白黒つけずにという風潮があり、うやむやに済まされてしまいます。何か言えばクレーマーと呼ばれ、不公平を訴えるとわがままだと言われる日本が理解できません。

私が知らないところで、娘は昔で言うならジブチ共和国では指導者的な友達のお母さんから武士道みたいなことを教わったようです。


娘の想い

娘には、一時帰国で誰に言われなくても、必ずやることのひとつがお墓参りです。先日も、80歳にもなる叔母たちを連れてお墓参りに行きました。そんな娘が、私の自慢です。誰かに褒められたくてやるのでなく、自分の気持ちが晴れる、それだけでいいのです。

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帰国中は、私の母のところへ定期的に顔を出し、母のために食事を作ります。昨年は、コロナでフランスの学校と寮が閉鎖され、3月半ばから10月まで日本でひとり自炊して料理の腕を上げました。新メニューを何度か練習し、母にご馳走して評価してもらうようです。母は、娘が訪ねてくれるのが嬉しくて仕方ありません。

娘は、生まれてすぐムスリムの洗礼を受け、ファミレスもコンビニ食もレトルトや缶詰も食べさせず家庭料理で育てました。今は、私に神様はいないと言ってとんかつを食べているようですが、簡単便利なものは味付けが濃いのと添加物の匂いが気になり一切食べません。7時間差のオンライン授業があったときは可哀想でしたが、文句も言わず料理好きな子どもに育ってよかったです。

なるようになる

私は、子どもの頃からお小遣いが欲しいと言えず、自分でやりくりするのが当たり前でした。祖母が、家計をやりくりしているのを見てきたからかもしれません。祖母の節約の効果か、給料日前におかずが増えたりしていました。娘もお小遣いをねだれず、去年日本にいた期間は、食費の予算を決め、交通費や買い物に使うお金はアルバイトで賄っていたようです。レストランのアルバイトは、賄いにありつくことも踏まえ美味しいイタリアンのお店を探したようです。

この経験からか、娘は今年の夏、簿記を学んでいました。自分で会社を起こすにしても、企業で働くにしてもバランスシートを読むことは大事です。私も、サラリーマンを辞め父の会社を手伝うことになったとき、簿記を学び会計士に辞めていただき全てを引き継ぎました。生きるのに必要なことをやっていくと、次にやるべきことが見えてきます。娘は、ありがたいことに既にその流れに乗っているようです。


しつけに矛盾は禁物

細かいことを言えば、靴を揃えるとか、ソファーに立つなとか、壁には脂がつくから手をつくなとか、お風呂のタイルに水垢予防に水をかけて出るとか、大掛かりにならない予防策や、どこかにお邪魔したときに恥ずかしくないよう教えてきました。家でやっていいけど、外ではダメという矛盾はありません。子どもだから許される、ということも考えにありません。宗教で食べられないものはありましたが、好き嫌いも許しません。出されたものは、残さずいただくのが礼儀だと教えました。娘に教えたことは、私も同じに守ってきました。これが全てです。

最近の一般的な子育てよりは、かなり厳しく育てたかもしれません。ドバイに暮らし、世界中のお金持ちのお宅に仕事で伺ってきましたが、子どもの礼儀や作法は厳しく育てられています。私が伺うときと帰るとき、子どもたちも出てきて挨拶をします。食事のマナーも完璧です。両脇にたまごをはさみ落ちないよう脇を閉め、礼儀よく食事します。もちろん小さな子どもでもソファーでジャンプなんて見たことがありません。日本人の駐在者のお子さんが、我が家のソファーでジャンプすると、私はそこは座るところですと教えて差しあげますが、お母さまたちは何も気にしていません。日本は、世界からたくさんの遅れをとっている気がしてなりません。と書くと止まらなくなるので、この辺で終わりにいたします。

拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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