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実は私はきっと海外ノマドが合わない性質かもしれない。それでも海外ノマドでいる理由…日本のドラマ「いちばんすきな花」に共感する

海外ノマドのイメージって、日本とはかけ離れた生活をしているかのように思われているかもしれない。けれど私は日本どドラマが好きで、よく観ている。

今回は、「いちばんすきな花」と「ONE DAY」を毎週観ていた。そして、この2本は今回あまり人気がなかったドラマかもしれない。


創造性(想像性?)が問われる今

この2本のドラマは、ある意味とってもシンプルで、日常の群像劇みたいなものが書かれていたように思う。そこにある人の心理とか、切ない気持ちとか、とっても大事なものが書かれているように思うのに、そういう感覚が最近消えてしまているのではないかと思ったりした。

SNSのせいか、色んな情報が勝手に入ってくる現在のせいか、人は自分から積極的に物事を考えたり、想像したりしなくなってしまったように感じるのだ。それは決して行動的であれということではない。海外ノマドをしている私は、いつも
「好きなことをしている。」
「思ったことをすぐに行動する。」
というようなことを言っている。けれど、実際の私は考えすぎる性格だ。

考えて考えて…そして考える。
空想もする。そして悲観的でもある。
だからこそ、考える前に色々行動することにしている。
そして、行動してから死ぬほど悩んだり、考え込んだりする。
後悔もするし、たまに
「ああしていたらどうなっていたんだろう。」
なんて思うこともある。

考える、というよりは、たくさん調べる。何かする前にちゃんと自分で調べて、考えて、分析はする。そして、行動する。すべての情報をうのみにするわけにはいかない、けれど、参考にする。

SNSの時代、目や耳で簡単に情報が入る。けれど、それを感じたり、五感すべてで感じることはできない。そういうことを、しっかり理解した上で、SNSやPC、スマホという小さな画面上の情報を入れていかなければならないと思うのだ。

そんな中で観た2つのドラマは、ただただぼおおっと見ていたら見逃してしまうような、大事なものが、たくさん散りばめられていたように思う。
そして、現代のSNSの時代、そういう創造性(想像性)が欠けてしまった人達が増えてしまったのではないかと感じてしまった。


海外ノマドが観る「いちばんすきな花」

今回は、この「いちばんすきな花」の感想を綴りながら、海外ノマドの私の大事なものについて綴ってみたい。

「いちばんすきな花」は聴覚障碍者を扱った「SILENT」と同じプロデューサーと脚本家さんだった。そんな話は以前も書いたのだが

主人公の4人は絶対HSP(繊細さん)なんだと思って観ていた。このHSPって今ちょっと流行りみたいにも感じて、「ビジネスHSP」も結構いるなって思うのだが、本当のHSPさんって、HSPだからこそ、言えないことが多いと思う。

そして、この「いちばんすきな花」の脚本家さんがこの4人の主人公を描けたと言うことは、絶対に彼女自身が本物のHSPなんじゃないかと思ったりした。

本当に、些細な日本語の台詞回しなどが素晴らしくて、そして、そこに脚本家さんの「個性」が光っている。それを感じる私もHSPだ。そして、その繊細な台詞回しをちゃんと感じられる人や、この4人の主人公の気持ちすべてが理解できる人が、本物のHSPさんじゃないかも、と思ったりする。

そして、私は海外ノマドをしながら思うのは、海外ノマドの合わない人、TOP5があれば、HSPは1位なんじゃないかって思ったりするのだ。海外など環境が変わったり、特に国によっては日本よりもずっと単刀直入、大雑把、いい加減が文化が多いので、そんなところで生きていくのって本当に大変だと思う。

と、海外ノマドをうたいながらもHSPの私は思うのだ。だから、決して私は海外生活が得意ではないかもしれない。

「いちばんすきな花」から感じる日本語の美しさ


私の「本職」は日本語講師だ。と言っても、実は普通に日本語の文法などを教えることは実は苦手だ。本当はきっと日本語の美しさや日本語の本来必要なコミニケーションなどを教えたいと思ってしまう。だから、本当は、国語の先生になったほうが良かったのかなと思ったりする。

それは「いちばんすきな花」を観ながら、セリフのところどころにとても繊細な人の気持ちについて語る部分が多く、それがとても心地良いのだ。それは、このドラマのストーリーそのものではなくて、単純に見えるストーリーの中で話される、人の気持ちがとても素敵なのだ。
本当のHSPさんて、そういう気質を誰かが教えてくれるまで、世の中の人皆が同じような感受性を持っていると思って生きていたので、きっと周りと自分が違うことすら知らなくて、色々生きづらさを感じていたんじゃないだろうか、と思う。

「いちばんすきな花」の中のセリフを抜粋すると

「きらいって話がちゃんとできる。」
「何が好きって話ができるのも良いけど何か嫌いとか苦手とかちゃんと言える。」

「当たり前に好きなものを聞いてくる。」
「好きな人に自分が何が嫌いか知ってもらったら、すっごい生きやすくなった。」
とか

「人の優先順位ってよく分からない」
「誰より誰が大事とか」

なんて、引っ越しのシーンの普通の会話なのだが、ストーリーそのものにはそこまで関係していないようにも、思う。変な話、このドラマの中には、ドラマのストーリー展開を考えたら、省けるセリフが半分以上あるようにも思う。
この流れはその後に続く「男女の友情に関して」というような話に繋がっているのだが、ドラマのストーリーだけを考えたら、その前のいくつかのセリフがなくてもこのドラマは成り立ってしまう。

この物語は「男女の友情は成立するか」みたいなものがテーマのようにも感じるのだが、私はそう思っていない。それはこの物語の軸にはなっているかもしれないが、それよりも、そのストーリーを軸とした、省けてしまうかもしれない多くのセリフが、とてつもなく大切で、人の繊細な気持ちをたくさん表している、そんなドラマに仕上がっているように思う。

そういう意味での日本語の「分析」とか人の気持ちを「想像」していくと、日本語って美しいなあと思う。そして、その美しさを理解するのは実はなかなか難しいのかもしれないと思う。それは日本語教師として、日本語を教えるにはなかなか難しいなあと思ったりするのだ。

HSPの私が海外ノマドでいる理由

海外にいる理由HSPの私はただでさえ生きづらさを感じている。だから、この「いちばんすきな花」を観て、「大変だなあ」と思いながらも、そして、日本だからこその生きづらさってたくさんあると思うのだ。

大雑把な国やアバウトな国、そして日本よりもいい加減な国…。世界はそんな国ばかりだ。日本ほど繊細で、日本ほど時間や規則にきちんとしている国はないだろう。けれど、そんな私が海外の方が生きやすいと思える理由は1つだ。

日本はその規則や時間のせいで、周りを型にはめやすく、個々を尊重しながらもしていないようなところがある。人と違う、一般的、典型的ではないものを受け入れない傾向がある。

今でこそ多様性なんて言葉があるが、それを受け入れようとする姿勢入ってあるものの、他者を受け入れるということ、自分の好きに生きることはなかなか難しい。
多様性で自分らしく生きるとか、他の人たちと違って生きるとか、そうしようと努力する人もいる。でも私はどうしたら周りと馴染めるのかずっと考えて生きて来た人だ。どうも団体行動とか、集団行動とか苦手だ。
生まれつき変わっている、変わりすぎている場合はそれはそれで周りに溶け込めず悩んで生きてしまうのだ。

そんな中で生きていくことは私にとってとても生きづらかったのかもしれない。だから、私は自分が馴染めるところを求めてなんとなく住む場所を移動しながら、海外でノマド生活を送っているのかもしれない。

海外ノマドは「一人」のことも多い。

海外で暮らすということは、SNSで見るキラキラした生活とは程遠い。どちらかと言うと、他人の国で、知らない文化と言葉に囲まれて、生活を1から始めるということはなかなか難しい。

そして、どちらかというと、一人で生きていることも多い。もしくは1人でも生きていけるということが、海外ノマドには大事な要素かもしれない。
HSPだから、というだけでなく、その感受性の強さのせいか、もしくは周囲とは感覚が少し違うからか、なかなか型にはまって生きていけない。
そういう場合は、元々その国の人とは違う外国人でいる方が楽だったりする。

この「いちばんすきな花」のように、パッと見たら、普通で、そしてイケメンだったり可愛い女の子が、それ故に持つ悩みなどが描かれているが、そういうパッと見てすでに容姿が良いと、普通ではそれだけで、人生「勝ち組」だと思われて、彼女たちの悩みは想像しにくいのかもしれない。
このドラマはその創造性(想像性)が大事なドラマであり、そこに共感できないと話に入りにくくなってしまうため、きっとあまり人気がないと評されてしまったのかと思う。
ドラマはその内容に入り込めたり、共感できれば、ハマれるものなのだから。若しくはあり得ないファンタジーやフィクションの世界で、想像を超える面白いものでも、それはそれでハマりやすいんだと思う。

けれど、このドラマでは人の「好き」や「大切なもの」は人それぞれ感じ方が違うということが書かれている。それこそ人の感受性の違いや、多様性を受け入れるということを言っているようにも思う。

「誰かにとってゴミになるものでも、ほかの誰かにとっては大切なものだったりする。」

「他人の決めつけられた価値からはどうしたって逃れられない。」
「みんなみたいにみんなになれなくて上手に2人組も作れない。」

そして、ドラマの軸である4人の友情物語の完結へと進んでいく。

「居場所を探した4人が出会って、3人がいる場所が帰る場所になった。」


海外ノマドも居場所探しをしているだけかもしれない

別に海外でなくてもよかったのかもしれない。けれど、私がこうして転々と生きているのは、私もきっと自分が落ち着く居場所を探しているからかもしれない。そして、それは型にはまった日本ではなくて、海外に行ってみたら、ほかの人違っていても、既にに外国人として他者と別の人という枠にはまっているので、最初から別の人扱いをしてもらえることもあって、きっとさほどの生きづらさを感じないで来られたからかもしれない。

けれど、それは決して自分の「居場所」が見つかったわけではない。だから、数年経ってそこの生活に慣れると、又次の場所へと移動し、自分の「居場所」探しを続けているのかもしれない。

海外ノマドの帰る場所は

じゃあ、私の帰る場所はどこなのか…今の私にとってそれは日本じゃないと思っている。じゃあ、12歳から住んでいたフランスなのか、それとも、最近暮らしていたベトナムなのか…。

その答えこそが、この「いちばんすきな花」にあったようにも思う。

「居場所を探した4人が出会って、3人がいる場所が帰る場所になった。」

帰る場所、自分の「居場所」は場所そのではなくて、誰がいるか、なのかもしれない。そして、海外ノマドを続ける私はまだ、その自分と共感してくれる人たちを見つけられていないのかも、しれない。

私が海外ノマドしている理由は、自分の「居場所」を探しているから…。そして、今はどこに行ってもここだと思う、感じることがなく、こうして移動を繰り返しているのかもしれない。

けれど、自分の「居場所」は場所そのものではなく、誰がいるか、であるということは、きっとまだ自分が「居場所」を感じられる人たちに出会っていないのかもしれない。
そんな海外ノマドはこれからも自分の「居場所」を見つけるため、海外ノマド生活を続けてしまうのかもしれない。

だからそんな私の夢は自分の居場所を見つけることなのかもしれない。それが見つかった時に私のノマド生活もきっと終わるのだろう。


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