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【短エッセイ】「結果論」に声を上げることは簡単だが、私は「過程」に声を上げたい。

後から
結果が分かってから
あの人が優勝してから
あいつが死んでから

やっぱり
あの人はすごいと思っていたよ

やっぱり
あいつは
大切だった
あいつの考えはあながち正しかった

何かの結果が伴ってから
その結果に便乗した形で
残像を美化して
同情する。

そこに反発が伴ったとしても
自分が好きであることは
結果が見える前に
先に思いを発信できる側にまわりたい

後から
あたかも自分は分かっていたように
結果論を自分の意見に化けさせて
言うのなら

可視化された終着点がある前に
過程の最中に
あなたの素晴らしさに気づける人になりたい。


誹謗中傷によって殺されていく人間がいる世の中で、
私は、そのニュースに落胆する時も
泣きながら寝る時もある

けれど
結局自分は
所詮「応援者」と自負しているただの「傍観者」だなと。


結果に対して思いを寄せる前に、深く悲しむ前に
人生の途中のその人の素晴らしさを
見つけられて
発信できる

もちろん相手に伝えることも発信

そんなことで、ただの傍観者を逸脱できるのではないかと
思っています。

なりたい自分に近づこうと思います。


最後まで読んでくださりありがとうございます
身の回りのちっぽけなエッセイばかりですが
今日あなたが読者になってくれたことは
私がnoteを始めて良かったことの1つになりました!


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