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短編小説『あの日々を僕は忘れてしまった』⑵



 宿題が終わったら、という約束だったから、僕は帰るなり急いでランドセルを逆さまにして算数のプリントを用意した。

 いつも宿題はお母さんのいる居間でやる。
 分からないところがあったらお母さんに聞けば、お母さんは魔法のようにそれを解いてしまうのだ。

 もう少ししたら僕もお母さんのように宿題ができるようになると言っていたけれど、できれば今すぐできるようにして欲しい。
 そうしたらすぐに皆んなで遊ぶことができるのに。

 でも今日の問題は簡単だった。

 1問解くたびにドッヂボールをするときのチクチクした気持ちが僕の胸のあたりに広がる。
 早く早く、と思うけれど、この前あんまり急いで問題を解いていたら、ほとんど全部の問題を間違えていてやり直しになったことがある。
 

 だから僕は急いでいたけど、慎重に問題を解いていた。

「遊びに行く前にヨーグルト食べる?」

 お母さんがヨーグルトを片手にやってきた。
 お母さんはちょっと前に髪を切ってから別の人みたいで、時々びっくりしてしまう。でも、髪の長くないお母さんも僕は大好きなんだ。

 大好きなヨーグルト。だけど僕が食べている間に皆んなが先にドッヂボールを始めていたらどうしよう。

 宿題もやらなくちゃいけないのに、僕はヨーグルトのことで頭がいっぱいになってしまう。

 ヨーグルトはいつもなら朝にしか食べさせてもらえないから、今食べないと明日の朝まで待たなくっちゃいけない。

 どうしよう、今食べようか。でもドッヂボールが……。

「それか、パンの耳の甘いやつもあるよ」

 パンの耳の甘いやつは僕の一番大好きなおやつだ。
 給食で一度ココア揚げパンを食べて以来、同じものが食べたくってお母さんにお願いしたら作ってくれた。

 うちはお父さんがパンを食べないから、月に一度しかパンの耳の甘いやつは食べられない。

「食べたい」

 と言ってしまってからドッヂボールのことを思い出したけれど、ドッヂボールは明日もできる。パンの耳の甘いやつは、今日しか食べられないかもしれないのだ。

「本当にこれ好きなんだね」

「うん、ココア揚げパンみたいで好きだよ。お母さんのはココアがないのに美味しい」

「将来はグルメリポーターかな」

 ぐるめりぽーたー。

 ニュースを読む人の姿を思い浮かべた。どうしてパンの耳の甘いやつが好きだと、ニュースを読む人になるのだろう。
 お母さんは頬杖をつきながら僕を見て笑っている。そんなお母さんを見ている内に、なんだかお母さんが同級生のコユキちゃんみたいに見えてきた。

 ビックリして目をこすってもう一度お母さんを見る。
 お母さんはやっぱりお母さんで、コユキちゃんではなかったから安心した。

「どう? グルメリポーター」

 お母さんが笑ったまま僕にそう言う。

 カッコいいかもしれないと思った。
 毎朝皆んなに今日の天気を教えてあげる仕事は、きっと沢山の人にありがとうと言われるに違いない。

 小説家になりたいと考えていたけど、テレビを見る人から毎日ありがとうって言われるなら、小説家よりももしかしたらお金持ちになれるかも。


* * *


 パソコンの前で眠ってしまっていた。

 当たり前だが再起動したパソコンの画面に映ったのは、真っ白な画面で一文字も言葉と言えるものは表示されていない。
 せいぜいが寝落ちしてしまった拍子に無作為に押された無意味な文字列があるだけだった。

 夢を見ていた。昔の夢。昔の夢は小説を書く気持ちにさせてくれるから好きだ。

 だけど今日の夢は少しおかしかった。

 僕に母親はいない。だから、あれは昔の日々のできごとのようで実際にあった出来事とは違うのだ。
 それにコユキ、という同級生が小学生の頃にいた覚えもない。

 しかしーー。

 あの女性を見たことがあると、直感でそう感じる。それどころか、懐かしいとさえ思う。
 これはどういうことだろう。

 約四年にわたってバンドを組んでいた友人の顔も名前も思い出せない僕が、母親として登場するような謎の女性が誰であるかを明らかにすることは不可能であることは分かっていた。

 考えても考えても、頭に浮かぶことは代わり映えのない最近の日々のことだ。ぼうっとしていれば暗い画面に映った、血色の悪い僕の顔が見える。

 ふと、考えを変えればあの正体不明の彼女は小説にできるかもしれないと思いついた。

 とすればもう一度会いたい。

 会いたいという言葉に反応したかのように、一瞬胸が痛んだ。

 煙草の吸いすぎだろうか。
 いつも吸っているものはタールの量が日本のものとは比較にならないくらい多い。それを毎日馬鹿正直に肺まで吸い込んでいることは容易に原因になり得ると思えた。

 自分が今何をしていて、何ができるか。
 そういうことがわかるようになってからは、こういう正体不明の痛みにも十分想像して対処できるようになっている。

 ただ、それが即ち想像力が豊かであることに繋がるとは僕は思えなかった。
 寧ろこれは、想像力が削られたせいではないか。

 痛みが治ったことを確認して立ち上がると、台所へ移動して換気扇のスイッチとなっている紐を引っ張る。真っ黒いそれが回り始めたのを耳で感じてから、僕は逃げるようにして煙草に火を点けた。

 想像力は小説に似ているのかもしれない。
 煙が起き抜けの目に染みたが、涙を流しながらも構わず吸い続けた。

 ふと痛みを感じて左腕を見る。
 煙が染みたような痛み方で、咄嗟に机の上に散らばった大量の紙の一枚(それらはすべて僕が書いた、小説になりきれなかったモノたちの成れの果てだ)で切ってしまったのではないかと考えた。

 しかし腕にはもう随分昔にやってしまったのだろう、傷の痕が残るのみだ。
 いつ負った傷か皆目検討もつかなかった。

 分かっていることがあるとすれば、過去の僕ならいざ知らず、今の僕にはこの程度の記憶にない傷では物語を想像することが、そしてその想像した物語を編み上げることができないということだ。

 僕が今自分を物語にするとすれば、こんな傷のことを書いたりはしないだろう。

 僕は小説を書くとき、まず書きたいことを書きたいだけ書いて、そこから余計な部分を削いでいくというやり方をしていた。
 物語というものは、多分小説に限らず、語り過ぎてしまうと途端に面白みを失ってしまうのだ。

 だから僕たち小説家は、どこまで書いて、どこまで書かなかったら一番面白いかということを毎日考えている。
 そう、毎日だ。作品を書けていれば。

 そういうことと想像力は同じではないだろうか。
 僕は今、小学生の頃よりいろいろなことを具体的に想像できる。だけどそれは、本来あるはずだった無数の選択肢を想像できないことによって、ただ一つの道を奥に進んでいるだけなのではないか。
 選択肢が、減っているのではないか。

 それは僕にとって何にもまして恐ろしい想像だった。

 お酒を飲もう。オレンジ色の光を見てそう思った。

 窓を開けると夕方の枯れ草のような匂いがする。この匂いは季節を問わず世界を満たしているから好きだった。
 毎日こうやって同じ時間に同じ光と共に現れるものなんて、僕は他に知らない。

 冷蔵庫から取り出したビールのプルタブを引き上げると、小気味いい音と開いた口から漏れ出てくる香りが夕暮れの匂いを打ち消す。

 酒は思考を過去へ飛ばす。
 4年前、僕はとある文学の新人賞を受賞してデビューした。

 自らの人生を赤裸々に告白したそれは、僕の人生の悲惨さと相まって人気を博した。
 もともとネット上に公開していた小説の宣伝をしたり、読んだ本の感想を発進するために用いていたアカウントは一気にフォロワーが万単位で増えた。

 張り詰めた空気に包まれた授賞式の会場から始まった日々のことは、今でもしっかり思い出すことができる。
 多くの人が僕に拍手をしていた。羨望の眼差しも向けられていた。同時にカメラのレンズが射殺されるスパイに向けられた銃口のように、僕のことを捉えていた。

 SNSには僕と同様の体験をした人々の悲痛な叫び、或いは深い感謝の言葉が毎日寄せられた。

 これで良かった。

 あの瞬間のその思いは、なにものにも変えられないものであったと断言できる。

 そうして僕は、人生を切り売りする作家として世に放たれた。
 デビュー作は名高い文学賞を受賞したこともあり、翌年の正月には(1人だったが)初めてお節というものを食べることができた。

 過去の、小説家を目指していた僕が今の僕を見たらどう思うのだろうか。
 バンドを目指していた頃でもいい。

 あの時、デビュー当時の僕を見たらきっと、2人の僕は羨ましがるに違いない。

 なんせ、小説家としてこれ以上ない鮮烈なデビューを果たした上に、あの瞬間の僕はまさに時の人だったのだ。

 コンビニに行っただけでも噂をされた。


 が、それから4年後がこの様だ。
  創作の源泉はどこにあるのだろう。

 デビュー作を書いた時は確かに、あれが手応えというのだろう、そういうものが手の内にあった。だが今はない。

 キーボードを叩く指はそれぞれ電池が切れてしまったかのように動いてくれない。
 動くことがあったとしても、10本の指がそれぞれ独自の意志を持ったかのようにして、物語が生まれることはなかった。

 僕の内には物語がもうないのだろうか。
 夢の中の女性を思い出す。 

 あれは、母ではない。母ではないが多分、僕が忘れてしまった誰かだ。
 ただ小学校の同級生でなかったことも確かだ。

 もしかしてあの女性を思い出すことができたならば、僕はまた物語を編むことができるようになるのではないか。
 根拠のないそんな思いが、僕の想像力の賜物であれば救いもあるかもしれないと思った。



(続く)


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