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「せっかくの善意を、わたしは捨てていく。そんなものでは、わたしはかけらも救われない。」

昼夜逆転と、まともな生活リズムを繰り返し続けている自粛期間。

そして今は絶賛昼夜逆転中だ。
でも、こんな生活もまもなく終了する。
きっと来週から眠気と闘いながら通勤電車に乗っているんだろう、コロナ前の生活と同じように。

何も拘束されるものがないと、つい夜更かししてしまう。
昔から私の悪い癖だ。
だから人間的なちゃんとした生活をするために、何かしらの縛りがあるのは、私にとってはいいことだ。

でも、夜更かしをするのは昔から好き。
あーやっちまったな、っていつも思うんだけど、夜は永遠に続く時間な気がするから、それがすごく好きで。
実際はそんなことないんだけどね。
全てから解放されたような自由な時間が好きで。
だから社会人になっても、金曜日は決まって夜更かしをしてしまう。

今日は、転職サイトを見ながら色々な企業の情報をまとめてノートに書いた。
手帳や日記に、最近の自分の気持ちや、やりたいことを書いたりすることもある。
自分の内面的なことに気持ちを向けたり、整理する作業は結構好きだ。
そして今日は、久しぶりに思いつきでnoteを投稿したくなってこれを書いている。
最近は前々から考えていた内容のものが多かったから。
思いつきでやるのって、すごく気持ちいい。

今日は1日、インスタグラムをアンインストールしていた。
入っていると、用も無いのについ開いて、流れてくるストーリーを見続けて、その繰り返しになると自分で見ているくせについ疲れてしまう。
何かあると、すぐストーリーに載せたくなる自分にも疲れたり。
少しでもアンインストールすると、だいぶ違う気がする。

夜にはどうしてもシェアしたいことがあって再インストールしたのだけど、SNS疲れが解消した気がする。
外のことよりも、自分のことに目を向けたい時もある。

最近起きている抗議活動、コロナのこと、世界が変化するために動き続けている。
全部知らないといけないことなんだけど、それで自分が苦しくなるなら元も子もない。
知るべき部分を知って、あとはどう距離を置こうが自由だ。
「これを知らないと、悪だ」なんて誰にも言う権利は無い。

話は少し変わるけど、誰かのために自分を我慢することをやめよう、と最近思った。

一見当たり前のことのように聞こえるけど、
例えば、本当はそれがしたいのに、それをしたら明らかに誰かに迷惑や被害がいってしまう時
そんな状況だったら、人としての善意から自分の希望を諦めたりする。
その人が困ることで良心が痛む。
自分が悪人になることへの罪悪感。

でも、そんなのは捨てていい。気にしなくていい。

もちろん、思いやりだって大切だ。
そんなことを気にする自分は優しいけど、結果自分がそれで幸せになれないなら、苦しむなら、何がいいって言うんだ。

人を意図的に傷付けたくて攻撃するとか、ネガティブな行為でない限り、
"その人が困ったところでそれは「その人の問題」であって、「私の問題」ではない。"

これは母から言われた言葉だった。
私の母はたまに、魔女のような不思議に響く言葉を言う。

そうだ、我慢することで、私が私を苦しめる必要なんてない。
私は幸せになるために生まれてきたんだから。

極端な話、私が死んでしまうとして、他人のために私がしたいことを我慢していたなら、私は必ず後悔する。
それが例え世間的に咎められることであっても、私にとっては果てしない希望なのだから。


「せっかくの善意を、わたしは捨てていく。
そんなものでは、わたしはかけらも救われない。」


これは、これから読む本の帯にあった言葉。
そう、実はまだ読んでいない。(笑) 

でもこの言葉に引き付けられて、読もうとしているところ。
「流浪の月」、本屋大賞受賞作品みたいですね。
どの場面の言葉かもわかっていないのだけど、どうであれすごく共感した言葉だからこの言葉を借りたいと思う。

善意なんかでは、まったく私は救われないし、幸せになるわけじゃない。

世間体や周りのことを普段考えている人ほど、これを機会にもっと自分のことを考えてもいいのかもしれない。
特に、「一般論」の押し付けが強い、集団主義の生きづらいこの国では。


私は私のために決めて、生きる。
結果がどうなろうと、それが私の希望だから。

私はもう決めたよ。


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