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みどりのゆび日記①~薔薇の「棘」とは何か

 薔薇の棘が指先に刺さるたびに、「みどりのゆび」に近づく気がする。
そして少しだけピアノが上手くなる(と思う)。
 庭で薔薇の世話をしていると、時折「ほら、薔薇がきれい」と家の前で足を止める人たちがいる。散歩の途中の老夫婦や犬連れの人たち、ゆっくり歩いている人たちだ。むしろ朝の忙しい時間帯はほとんどの人が気づかない。
薔薇はオンガク、薔薇の咲く風景はサウンドスケープだなと思う。
 もうすぐ90歳に近づく父の薔薇を半ば強制的に引き継いでから、ところで薔薇の「棘」は何のためにあるのだろうと考えていた。植物学的には正解があるのだろうとは思っているので、今は未だ調べていない。
 しかし数日前の朝、いつものように薔薇の世話をしていて、ふとその理由がわかった気がした。そもそも薔薇には棘があるものと無いものがある。それはなぜだろうか?と。
 ちなみに棘が無いバラは「つる性」で、自分の力でしなやかに外界に巻きついていく。つまり他者と関わる際に棘の「必要性」がないということだ。反対に棘があるのは「半つる性」や「シュラブ(低木)」で、基本的に自立できる種類である。これはどういうことだろうか。
 その理由に気づいたのは、垣根を作っている半つる性の薔薇から伸びた新しい枝を横に「誘引」している時だった。まるで「つる性」のようにまだ柔らかくて瑞々しい枝を横に導く際に、この棘がとても役に立ったのだ。既にある枝/棘への「フック」の役割を果たし、お互いが上手に関わり合ってくれるのだ。
 実は薔薇の「棘」はずっと他者を攻撃するもの、薔薇が身を守るために存在しているのだと思っていた。もちろん動物から花を食べられないためのガードも果たしているのだろう。でもそうなると「棘のない薔薇」の理由がわからなくなる。つる薔薇に出来てシュラブに出来ないことは何だろう?それはしなやかに枝を曲げ、他者に巻きつくことに他ならない。つまり枝が硬い薔薇にとっての「棘」は他者と関わり合うためのフックだと考える方が自然だと思った。
 しかし一方で自分のような「薔薇以外の存在」が無理やり枝を伸ばそうと手を出すとき、「棘」はすかさず武器となる。実は今朝も無理やり枝の向きを整えようとしたミニ薔薇に指先をチクリと刺されてしまった。あくまでも枝が行きたい方向に導いてやるときだけ、棘はとてもありがたい存在となる。それにはまず、この枝がどちらに行きたがっているのかをよく観察しなければならない。それは薔薇の声をきく時間だ。
 フックがぴたりとはまるように、棘同士がうまく自然に関わり合ったとき、薔薇の庭には思いもよらないサウンドスケープが生まれる。棘のない薔薇も棘のある薔薇も、それぞれの生きやすい場所で響き合うような風景を目指したいと思う。

父が育ててきた20年もの

〇空耳図書館のおんがくしつ 推薦図書


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