コミュニティとイベントの違い、説明できますか?
来週、コミュニティーマーケターのイベント「CMC Meetup」で20:00~20:25のセッション2「オンラインで進むコミュニティの "セミナー化"を防ぐには?」に登壇するに際し、考えをまとめておきます。
事前にご覧頂き、可能なら質問も持ってご参加頂けると、限られた時間の中でより良い知見の共創ができるのではとの意図です。
まず、「コミュニティ」と「セミナー」の区別の共通理解がないと、その症状がどんなものか、その何が問題なのか分からないので、私なりの理解をお伝えしておきましょう。
※本論の文脈では「セミナー」はイベントと同義と捉え、イベントの方がより幅広いものなので、以降は「イベント」で統一します。
コミュニティに関心ある人でも、コミュニティとイベントとを明確に区別していない
以前、コミュニティ運営に携わる人のパネルに登壇した最後、ふと気になって、会場の参加者に「ちなみにこの集まりがコミュニティだと思う方?」と質問したところ、30人ほどいた内の1/3が手を挙げました。
思ってても挙げない人もいたでしょうから、実質は半分くらいかもしれません。
私を含む登壇者3人は当然に「明確な根拠を持って」違うと考えいました(登壇後、お互い確認しました)。
参加者はコミュニティに関心ある人々で、パネルでも関連する話もしたのですが、それでも半分の人が両者を区別してないことに驚いた記憶があります。
もちろん、学術的な定義ではないですし、合っている・間違っているという話もはないのですが、それはコミュニティの自律的成長のメカニズムを明確に意識できていないことを表していると考えます。
「持続的な横の関係」がなければコミュニティではない
コミュニティとイベントの区別のために、コミュニティの成長メカニズムについて、少し詳しく書いてみます。
コミュニティには、何かしらの「目的」があり、それに基づき、何をする・しない、誰を入れる・入れないを判断する「軸」があります。
そして、その目的や軸に対して、自ら選び、かつ、場からも選ばれた「メンバー」が属し、そのメンバー同士が「横につながり」、場の趣旨に沿って自主的に公式・非公式の「活動」をしていきます。
そうしてメンバーは「コミュニティの価値向上に貢献」しますが、それを通じて「メンバーも何かしらのベネフィットを得る」「相互利益構造」が成立します。
その「拡大再生産サイクル」が回ることで、価値ある活動が次々と生まれて場が活性化します。
そうすると、既存メンバーは満足してリピートし、既存メンバーからの勧誘や新規流入によってコミュニティが健全かつ安定的に自然成長していきます。
これが原則かつ理想です。
例えば、私が今度登壇するコミュニティマーケターのコミュニティを、私なりに説明すると以下のようになります。
1. コミュニティマーケティングの知見共有のため(目的・ビジョン)
2. コミュニティマーケティングに関わる人が(人の軸)
3. パネルと交流会を実施し(活動の軸)
4. 自ら登壇して事例を話すことにより(場への価値貢献)
5. 個別につながり、自主活動などが発生し(横の継続関係→自主活動)
6. 自身も名を知られ、キャリアアップに寄与(リターン=相互利益)
7. 相互利益の連鎖で活性化・価値増大・成長していく(拡大再生産)
イベントは上記「3」までの、単体で完結した取組みで終わりです。
コミュニティはそれ以降、即ち、メンバー間の継続的なつながりから自主的な活動が生じ、それが相互利益構造を推進力として、拡大再生産サイクルが回っている、というところが違いです。
連続イベントとコミュニティの違い
連続して実施されるイベントとの比較でもう少し違いを説明しましょう。
毎月やっているイベントがあり、主催者はそこに参加者同士の横のつながりを作っていないとします。
それは単に連続している「イベント」でしかなく「コミュニティ」とは言えません。
参加者の観点で捉えてみるとよくわかると思います。
何回かイベントに行き、時々一緒になる人がいても、話しかけたりはしないでしょう。
もし偶然話す機会があってもその時だけで、たまたま続いたとしても、それはイベントをきっかけとした個人的な関係です。
コミュニティが自然発生することもある
主催者の意図とは関係なく、そこに人と人とをつなげ、場づくりを始める幹事的な人が出ることもあります。
それはその幹事的な個人が運営するコミュニティであって、その主催者のコミュニティとは言いません。
イベント化=横の継続的関係を失うこと
企業が利益を再投資して成長サイクルを回すように、コミュニティはメンバーの自主的活動の連鎖で人が人を巻き込むサイクルを回します。
自主活動のベースとなるメンバー間の継続的関係を失うことは、自主活動が生まれなくなることに繋がります。
自主活動が無くなると縮小均衡に陥る
メンバー同士の繋がりが弱くなる「イベント化」の何が問題なのでしょうか。
それは企業が赤字になって縮小均衡になるのと似ています。
主催者が何かを企画・推進しない限り、誰も何もやらなければ、主催者が一方的に価値を提供し、メンバーはただそれを消費するだけの場になります。
そうなったコミュニティは、主催者のお金や思いが尽きたら「終わり」となってしまいます。
横の継続的関係は自主活動のベースであり、メンバー同士の繋がりが弱くなる「イベント化」は、コミュニティの活性と自律的成長の原動力が失われるということです。
後編では、オンライン化するとなぜそれが起こるのか、どうすればその問題に対処できるのかについて、私なりの見解を述べてみます。
後半では、原因と対策についてお伝えします。
補足:コミュニティであるべきとは限らない
何もかもコミュニティにすべきと考えることは間違っています。コミュニティ化があらゆる問題を理想的に解決してくれる訳ではありません。
また、コミュニティが優れていて、イベントに留まることが劣っているという考えることも間違っています。
目的や前提により「コミュニティ」が適するかどうか異なるからです。
例えば様々な単発講座があるスクールの場合、そこによく来ている人を繋げようとしても、共通する目的も軸もないので、コミュニティになりようがありません。
コミュニティは長期的継続が前提です。しかし立ち上げは、想いとビジョンがある個人が発起人として、それなりの期間それなりの工数を割いて時間をかけてやる必要が、どうしても出ます。企業のコミュニティであっても立ち上げ段階ではそういう個人が必要です。
その見通しも覚悟もない中で安易にコミュニティを立ち上げても、途中で止めてファンであるコミュニティメンバーからの信用を失います。
そもそもその安易さは、参加者がコミュニティの本質を明確に理解していなくても自ずと通じるので、止めた方が良いです。
また、下手にコミュニティ化することは、自ずと軸を保たせることになり、場合によっては活動や人の多様性を失わせることになります。
単科の講座が沢山あるようなスクールであれば、それは逆に新しい企画の足かせになりかねません。
ご参考:オンライン化の知見共有コミュニティ
よろしければTwitterもフォローください〜 https://twitter.com/Ryu_8cchobori