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シュヴァインシュタイガー「CL決勝や海外挑戦の裏側、引退後の生活、そして今のブンデスの魅力と課題とは」

—— 以下、翻訳 (インタビュー記事全文)

バスティアン・シュヴァインシュタイガーは現役時代、やんちゃな少年からリーダーへと成長し、数々のタイトルを獲得していった。このかつてのワールドカップ優勝選手はまた、多忙な現役時代の中で得た学びを、新たな人生にも取り入れているという。自身の人気の秘訣や今後の計画についても語ってくれた。

シュバインシュタイガーさん、今でもまたボールを蹴りたいという思いに駆られることは、たびたびありますか?

バスティアン・シュヴァインシュタイガー:正直なところ、全くそういう思いはないね。サッカーを見ている時だけ、それも、こんなパスを出したいと時々思う程度だね。

ボールを持ってプレーしていない人がパス?

シュヴァインシュタイガー:その通り。何年もかけて、ゲームの状況にどう対処するか、どう打開するかについて経験を積み、その後のサッカーはとても楽しいものになった。そして、今でもテレビの前に座っている時に、その瞬間に正しいパスを出したいと思うことはあるよ。

サッカーが恋しくはならないですか?

シュヴァインシュタイガー:いや、もうサッカーに未練はないね。引退してからは、他のことにも興味を持つようになったんだ。

プロ選手としての経験から得られたものは?

シュヴァインシュタイガー:たくさんあるね。何よりも、ある程度の規律だ。これは私だけでなく、妻にも言えることだね。サイクリング、ランニング、フィットネス、ゴルフ、テニスなど、色々なスポーツを一緒に楽しんでいる。私たちは二人とも、とてもスポーティな家庭の出身なんだ。だから、規律と秩序を持っている。とはいえ、それはどれも緩いものだけどね。

少し結婚後のアドバイスをお願いします。夫婦の職種が同じだと、仕事と結婚生活との線引きが難しいとよく言われています。とはいえ、シュテフィ・グラフとアンドレ・アガシの夫婦に関しては、それがうまく行っているようです。その点、アナ・イバノビッチさんはプロテニスの元世界女王ですね。あなた方お二人については、どうですか?

シュヴァインシュタイガー:そうかもしれないが、うまく行ってるよ。私にとっては最高だ。以前、私自身も少しテニスをしていたが、今では無料でテニスを教えてくれる先生がいる。嬉しいのは、他の人と一緒にプレーすると、3回もラリーすればネットかアウトになってしまうが、彼女と一緒なら20回、30回とラリーが続くんだ。私がネットに当てるまではね。

通算17年間のプロ生活のうち、 あなたは13年間をFCバイエルン・ミュンヘンで過ごしました。その後、マンチェスター・ユナイテッドを経てシカゴ・ファイアーに移籍し、2019年にキャリアを終えましたね。この2度の移籍から得たことは?

シュヴァインシュタイガー:「オールド・トラフォード」という信じられない雰囲気を持つスタジアムでプレーし、プレミアリーグを経験するというのは、私にとっては大きな魅力だった。アメリカもそうだったね。そこでは、選手として、人として、私は多くのことを学んだ。シカゴでは最高の数年間を過ごした。ミュンヘンは、私が一番の成功を収めた場所であり、ここも偉大で忘れられない数年間だったと言えるよ。

一方、シカゴではタイトルは勝ち取れませんでしたね。

シュヴァインシュタイガー:選手としては常に勝ちたいと思っている。そのメンタリティは常に持っていたいと考えていた。それはシカゴでもね。しかし、そこでの私の目標は、常に何かを作り上げることにあった。欧州での経験を伝え、それをクラブに還元していくことは、私にとって非常に重要なことだったんだ。野球やアメフトなど、他のアメリカのリーグの盛り上がりがどれほど大きいものかを目の当たりにし、そして、MLS(メジャーリーグサッカー)がいかに成長しているかを経験し、それを手助けすること。これは非常に楽しかったね。

ドイツ人の多くは、あなたのアメリカ移籍をステップダウンだと見ていました。

シュヴァインシュタイガー:私にとって、このステップは信じられないほど良いものだった。オーバーラウドルフの故郷に戻ってきたような気分になったよ。馴染むのにも問題はなかったし、シカゴの方が生活は少し落ち着いていたね。

つまり、より快適な生活だったということですね?

シュヴァインシュタイガー:その通りだ。私はやや世間のメディアから少し離れていたので、より自由に行動できていたね。そして、シカゴで家庭を築き、子供2人もそこで生まれた。

では、欧州に戻った理由は何でしょうか?

シュヴァインシュタイガー:妻と私は、シカゴという街に少しだけ恋をした。それでも、また欧州に戻りたいという思いは持っていたんだ。

今はどのような日常を送っていますか?幼いお子さん達もいるため、おそらく一日の始まりは、やや早いのではないでしょうか。

シュヴァインシュタイガー:その通りだが、もともと私は決して長時間の睡眠を取る方ではなかったんだ。幼少期は山間部で育ったこともあり、父はいつも朝一番にスキー場のゲレンデに行くという発想の持ち主だった。リフトは朝7時にオープンしていたと言えば、私たちの起床時間が何時ごろだったかは想像がつくと思う。早朝5時半に、カウネルタル氷河でジョギングをして体を温め、手早く朝食を取ってからゲレンデへ向かった。これはこれで、素敵な生活だったとは思うけどね。

また早起きだという思いですか?それとも、ずっと続けていたのでしょうか?

シュヴァインシュタイガー:ああ、早起きは気に入っているんだ。早朝の新鮮な空気、そして自然の中の平穏。スキーの季節だけではなく、夏場でもそれは言える。心落ち着く時間だね。

バイエルンのプロ選手は、スキーをすることは許されていたのですか?それとも、怪我のリスクがあるため禁止されていましたか?

シュヴァインシュタイガー:契約書にそれが記載されていた理由は理解していた。例えば、ブラジル人サッカー選手が経験のないスキーに行く前に、それを禁止しておくのが良いからね。しかし、もちろん、私がスキー好きで、上手く滑れることを、他の選手たちは知っていた。だから、私のことはいつも目をつむっていたね。

14歳でサッカーを始めるまでは、友人のフェリックス・ノイロイター氏と共に、あなたはドイツの若手スキーヤーとして活躍していましたね。それ以来、スキーの練習には一度も行っていないのですか?

シュヴァインシュタイガー:いや、できるときはいつもスキー場にいた。でも、もちろんプロサッカー選手になると、選手の思考にスイッチが入ることが多くなる。以前なら、コースから外れて森の中を滑っていたことを考えるとね...

...そして、木々の周りをぐるぐる滑ると?

シュヴァインシュタイガー:そのとおりだ。フェリックス・ノイロイターと一緒に、よくやっていたよ。有刺鉄線のフェンスがあるから、その前でタイミングよく止まらなければならなかった。そして、スキー板を外して上に投げ、斜面を登って、また滑り降りる。そんな遊びだ。現役時代の時は、こんなことはしないようにしてたけどね。

あなたの恩師、ヘルマン・ゲルラント氏の昔の発言に、こんな言葉があります。『シュバイニーは若い頃、よく下らないことをした。そして、彼は私からキツい言葉を受けることになった。その後、私は帰宅してから思った。私たちも、昔は同じだったんじゃないかとね。』この「下らないこと」とは、何だったのでしょうか?

シュヴァインシュタイガー:私にも見当がつかないね。(笑)ヘルマン・ゲルラントとは、とても楽しい時間を過ごしたものだ。とにかく私のことを、何度も何度も走らせていたよ。それでも、常に好感が持てる愉快な人物だった。あるとき、16歳くらいの時に、髪を黒く染めようと思ったことがある。ゲルラントはいつも朝7時には、寮の朝食テーブルに座っていた。その日、私が部屋に入ると、彼は私の頭に手を当ててこう言った。「なんて見た目だ!」と。「ちょっと違ったことをしたかったんだ」と私は返した。すると、「今日はその黒頭が消えるまで、ずっと周回だ」と言われた。そういことはあったね。

面白いトレーニングの決め方ですね。

シュヴァインシュタイガー:良い学校だったよ。面白いのは、ヘルマン・ゲルラントが言うように、そう、彼自身これまであらゆる経験をしてきたということだ。後の取締役社長や会長らもかつては若く、何度かミスをしていた。私にとっていつも重要なのは、同じミスを二度と繰り返さないということだった。ピッチ上と同じくね。二度と同じパスミスは許されないんだ。

あなたの元チームメイト、ズヴェズタン・ミシモヴィッチは、デビュー当時しばしば太りすぎていました。そんな時は、ゲルラント監督がトレーニング中、彼にボールを触れさせるのを禁止していたとさえ言われていましたね。

シュヴァインシュタイガー:ズヴェズタンがボールをもらうと、ヘルマン・ゲルラントは叫んだ。「誰が太った奴にボールを渡したんだ?」と。ズヴェズタンはサッカーの才能に恵まれていたが、周回する時は、常にレインコートを3枚着て周回しなければならなかった。クリスマスに何が欲しいか聞くと、彼は「板チョコ」と一言返ってきた。それが彼の一番欲しいものだったんだ。

フェリックス・マガト監督の下で、ミシモヴィッチはアシスト王となり、2009年にヴォルフスブルクでブンデスリーガ優勝を果たしましたね。

シュヴァインシュタイガー:マガト監督は厳しかったが、若い頃は彼から学べるものはあると思う。基本的に、私はどの監督からも何かしら学びを得てきた。例えば、オットマール・ヒッツフェルト監督からは、選手への接し方、彼は本当に紳士だ。ペップ・グアルディオラ監督は、細部に渡って戦術に強みを持っていたね。私が最も感銘を受けたのは、当時すでに多くの成功を成し遂げていたユップ・ハインケス監督だ。2013年の「三冠」シーズンを前に、彼は67歳という年齢ながら、それを完遂したことだ。これには脱帽だね。

2013年には遂に、ウェンブリーで行われたUEFAチャンピオンズリーグ決勝で優勝を果たしましたね。その時の重要な動きの1つとして、当初のゲームプランとは裏腹に、ビルドアップのため、あなたがセンターバックの間まで下がってプレーしたことが挙げられます。あれはハインケス監督の指示ではなく、あなた自身の判断だったというのは事実ですか?

シュヴァインシュタイガー:ずっとピッチ際に立って、監督の指示を仰ぐなんてことはできない。選手はピッチ上で自ら解決策を見つけなければならないんだ。そして、特にユップ・ハインケス監督は、自分の思うプレーができるよう、試合中は比較的自由を与えてくれた。彼からは、その信頼を得た。だからこそ、こうした柔軟なプレーができたのだと思っている。ボルシア・ドルトムントはこの決勝戦で、立ち上がりが特に強力だった。だからこそ、ビルドアップ時により落ち着きをもたらすために、自分のポジションを下げたのだ。それにより、相手からのプレスが緩和された点は良かったね。

その当時に比べ、今や試合のテンポはどんどん早くなり、プレスもよりシャープになってきました。そして、ゲーム自体の落ち着きがますます失われているように思います。落ち着きをもたらす選手が、今また必要とされているのではないのでしょうか?

シュヴァインシュタイガー:選手たちと話をしていると、もちろん才能ある選手は多いという意見はたくさん聞く。しかし、かつての選手たちは、特定の状況下でどうプレーすべきかを熟知していた。ゲームはより速く、より技術が向上しているが、バイエルンで言われているように、こうした「バランスの取れる」選手が、多くの場合で欠けているね。

この能力は、テンポを変えることもできるということですね。

シュヴァインシュタイガー:どちらも重要だ。昔から私が重要視していたのは、チーム内の若手とベテランの融合だ。つまり、若いプレースタイルと、より成熟したプレースタイルとの組み合わせとも言えるね。

この年齢的な融合は変わりましたね。2002年から2015年にかけて、ブンデスリーガはこの13年間で、選手の平均年齢が27.1歳から24.5歳に下がっています。

シュバインシュタイガー:サッカー界では、今や30歳でベテランだと思われていることが気掛かりだ。30歳になると、ゲームの進行や体の仕組みに対する理解が深まるのだからね。35歳で辞めたのは、体がそれを求めたからではなく、頭が他のことを欲したからだ。実のところ、当時、体のキレ自体は、これほど良いと感じたことは過去になかった。

視覚機能のトレーニングからヨガまで、現代の多くのプロ選手たちは、自分の可能性を引き出すために様々な方法を使っています。あなたもこうした取り組みを何かやりましたか?

シュヴァインシュタイガー:何よりも、自分のエネルギーを効率的に使うことを心がけてきた。無駄なエネルギーを消費しないことだ。こんな統計がある。ある選手は15キロ走った、これは素晴らしい!だが、この15キロのうち5キロは不要な動作だった可能性がある、というものだ。

2014年にリオで行われたW杯決勝で最も走行距離の長い選手は、15.3キロのシュバインシュタイガー選手、あなたでした。

シュヴァインシュタイガー: 延長戦に突入した試合だったね。とはいえ、それでも不要な走りはさほど多くなかったと思う。常に正しい判断をするよう心掛けていた。だから、無駄な走行距離はほとんどなかったはずだよ。

あなたはキャリアの中で、事実上あらゆる中盤のポジションでプレーしてきました。とはいえ、終いには、アメリカでセンターバックとして起用されたこともありましたね。

シュヴァインシュタイガー:とても楽しかったね。以前は、10番やボランチがゲームメーカーを担っていた。だが現在は、センターバックですらゲームメーカーの役割を求められることが多い。フランツ・ベッケンバウアーがリベロをやっていたようにね。ドイツは今一度、センターバックの育成にもっと注意を払うべきだと思う。代表選手を育成するうえで、今日必要なのは、オン・ザ・ボールとオフ・ザ・ボールの両方の質の向上だ。今や優秀なセンターバックは、あまり多くないように思うね。

あなたがブンデスリーガを離れてからの5年間、プレー面でどのような変化があったのでしょうか?

シュヴァインシュタイガー: 戦術面では、多くの点が発展した。試合のテンポは上がったね。全体的に、ブンデスリーガの魅力は増したと思うよ。国外からもそうした意見は耳にする。イングランドやアメリカでも、ブンデスリーガに関心を持っている人は多い。今のブンデスリーガは、上位8チームでタイトル争いを繰り広げているわけではない。だが今後は、もう少し混戦になれば面白いと思うね。

バイエルンにとって、タイトルとは?

シュヴァインシュタイガー: FCバイエルンは長年にわたり、その特別な地位を築いてきた。だが、それに非常に迫るチームもいくつかあるね。2つか3つの小さな要素が欠けている程度の差ではないだろうか。だからこそ、ブンデスリーガは正しい道を歩んでいると思う。間違いなくね。今後も注目していきたい。

2020年から、あなたはドイツTV局『ARD』の番組で解説者を務め、代表チームも担当していますね。この仕事で心掛けている点は?

シュヴァインシュタイガー:今の選手は100回くらいボールをキープできる選手は多いが、それよりも、ピッチ上で何を体現できるかの方が重要なのだ。性格、姿勢、チームワーク、インテリジェンス。1本先や2本先のパスのイメージだけでなく、3本先のパスで何が起きるかまでがすでに見えるほどのインテリジェンスを持った選手たちと一緒にプレーできる幸運を、これまで私は得てきた。そのため、彼らはチームメイトを完璧に活かすことができたんだ。私が特に注目しているのは、そういった点だ。

いつかは監督に?それとも、これは一番の目標ではないのでしょうか?

シュヴァインシュタイガー:いや、一番の目標ではないね。今は、監督になって年間365日を練習場で過ごすなんて、想像もできない。でも、それならば、365日も働かなくていい監督の仕事もあるね。(笑)

それは何ですか?

シュヴァインシュタイガー:いや、まあ。今の生活にはかなり満足しているよ。とはいえ、2年後、3年後、そして5年後に人が何をしているかなんて、誰にもわからないね。

しかし、基本的には、監督とマネージャーでは、どちらがいいですか?チームにより近い方か、やや距離がある方かと言えば?

シュヴァインシュタイガー: どちらかに決めるのは難しいね。でも、自分が本当に物事を形にすることができ、責任も持てるようなポジションに魅力を感じている。成功する術を私は知っている。そのために、クラブや協会の力になるというのは、将来的には想像できることだ。だが、まだARDとは2022年まで契約が残っているよ。(笑)

どのような立場であれ、あなたには大きな飛躍の可能性があるということですね。ドイツ人サッカー選手の中でも、あなたほど人気のある選手はほとんどいません。これについては、どう説明できますか?

シュヴァインシュタイガー:自分ではなかなか答えられないね。私が言えるのは、サッカーが楽しかったから続けていた、ということだけだ。そして、5万人以上の観客がいるスタジアムでプレーできるのは、何か特別なことだと常に感じていたから続けていた、ということも言えるね。それを当たり前に思ったことはない。シカゴには小さなスタジアムがあり、時には1万人しか来ないこともあった。だが、1万人も来てくれることへのありがたみを学ぶことができたね。

つまり、プロサッカー選手であるという幸せ?

シュヴァインシュタイガー: 選手として、チームやクラブ、ファンとは繋がりを持つ必要があると、常々感じていた。そして、それは名誉のようなものが常に重要であるということだ。今では、私はもっと他に関心がある。昔も同じようなケースがあったね。

例えば、それは何でしょうか?

シュヴァインシュタイガー:プロとしてプレーする意味を理解していない選手にもわかるよう、それを示すことを心掛けてきた。サッカーをするのは、決して大金のためではない。情熱や思い出、熱狂も重要なことなんだ。代表として大会に臨む際は、代表のファンゾーンや、国旗を持つファンの写真を目にすると、こうした場面の写真を編集してもらい、スタジアムに向かう途中で見ていたものだ。選手によっては、音楽を聴くのが好きな選手もいるが、私はこうした情熱が伝わる写真を見るのが好きだった。

まさに、それこそがあなたの人気の理由なのかもしれませんね。

シュヴァインシュタイガー:オーバーラウドルフで育った、バスティになりたいと常に思っていた。もちろん、私を取り巻く環境も変わってきた。でも、私はいつも自分の心や直感に従って行動してきたんだ。実際のところ、今でもそうだ。そして、他の人たちと同じだと、私はいつも感じていた。自分は特別な人だなんて、思ったことはないよ。

▼元記事
https://media.dfl.de/sites/2/2021/02/DFL_01-21_web150_ES.pdf


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