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岐路 1

高校3年生の秋、先生と進路の話をしていた時の話。先生の言葉に納得がいかず、僕はその時はじめて自身の思いを自分の言葉で主張した。そんなこと別に大したことじゃないように思われるかもしれないけど、自分にとってはその瞬間が「自我の目覚め」であり、間違いなくそこが「人生の岐路」だった。

僕はもともと口下手で内向的な性格だ。心に思うことはあってもいかんせんそれを表現するボキャブラリーが無いので、うまく相手に伝えられない。特に先生など大人に対しては、「経験も知識も豊富な人生の先輩である」というふうに過剰にリスペクトするあまり、どうしても気後れしてしまうのだ。仮に自分の意見や考えを主張したところで、どうせ巧みな話術でもってあっさりと論破されるに決まっている。そんな諦めに似たような感覚があった。

僕は私立の進学科に属していて、毎日の放課後や夏休みなんかにも補習授業があったりと、大学受験に向けて3年間みっちり受験勉強に取り組んだ。
良い大学に入ることでより良い就職ができ、それが幸せな人生に繋がるものだと漠然と考えていた。もちろん自分の考えじゃない。そういう常識を周囲の大人から散々すり込まれて育ってきたのだ。
けれど僕は失敗を恐れる余り、現実から目をそらし、自分と向き合うことから逃げ続けていたのでどのようにして進路を選択したらいいのかわからずにいた。そうして学校選びすらろくにしようとしないままとうとう高校3年生の秋を迎えてしまった。
推薦入試のシーズンがもう目前に迫っており、クラスの連中は皆志望校を絞り込み、入学願書の作成に勤しんでいたが、僕は未だ自分の進路に答えを見出せないでいた。
そして、ついに僕がいちばん恐れていた瞬間が訪れた。
推薦入試が迫っているにも関わらず、何のアクションも起こさずもじもじしている僕に、業を煮やした担任の先生が職員室に呼び出しをかけたのだ。
恐る恐る職員室に入ると案の定、険しい表情の担任が待ち構えていた。
 
先生「なんで願書を出さない」
 
言い逃れしてなんとかその場をやり過ごそうかと考えたが、適当な口実が見つからない。そもそもそんな空気じゃない。逃げることができないことを悟った僕は覚悟を決めて、けれど恐る恐るこう切り出した。
 
僕「まだ行きたい学校が見つからないので……」
 
それは決してウソではなかったが、当然これでは通らない。
 
先生「まだ迷っているのか。早くしないと締め切りになってしまうぞ!もういいから適当なとこから何校か選んで、とにかく早く願書を出せ!」
 
このままではまずい。押し切られてしまう。結局また自らの意思で選択しようとせず、他人の意見に身を委ねてしまうのか。こんなことを繰り返してるから、一向に自分のことを好きになれず自信も持てないままなんだ。だけど、いつも何かに追われて引きずられるようにして生きるのだけはもうたくさんだ!
尾崎豊は「自分らしく生きるためには自由になる勇気を持つことが必要なんだ」と言っている。けど自分らしさってなんだろう……自分が何がしたいのかもわからない。
僕は声を振り絞り出すようにしてこう答えた。
 
僕「えっと……つまり……学校に…何のために行くのかが……わからなくて……すいません………」
 
僕のキャパではそれが精一杯だった。
けれども、先生から返ってきた言葉は僕の疑問に答えたものではなかった。
 
先生「は?今はもうそんなことを考える時期じゃないだろう。みんなそれぞれ資料を参考にしたりして自分の偏差値に見合った学校にある程度狙いを絞ってここまでちゃんとやってきてるぞ!お前は3年間何やってたんだ。」
 
確かに先生の言うことは最もだった。自分をかまけて・・・いや、自分と向き合うことが怖くて、現実から目を反らし逃げ続けてここまできた自分自身に問題がある。でも現時点で進学する動機もはっきりしないのに適当な学校を選ぶのだけはどうしても嫌だった。これは甘えなんだろうか?(岐路2へ続く)

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