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岐路 4

その夜、自宅に何度も先生から電話が来た。推薦入試の願書提出の催促であることはわかっていたけど、電話に出る気になんてなれやしない。
先生から事のあらましを聞いて心配した母親が何か言っていたが何も耳に入らない。どうにもやりきれない気持ちになり、たまらず近くの公園に身を隠した。
追い詰められていた。相談できる人もいない。周囲の人間は皆敵のように思えた。

こうして僕は結局、現役受験生の特権ともいえる「推薦入試」を受けなかった。
 
それからしばらくたったある日のこと、世界史の授業で先生が僕らに一本の映画を薦めてきた。今晩その映画がテレビで放映されるらしい。
映画のタイトルは「学校」。「男はつらいよ」等で有名な山田洋次監督の作品だ。
生真面目でいて浅慮な僕はその晩、先生の言われたままにその映画を観た。
 
………衝撃的だった。
 
その映画は、それぞれ何らかの理由で学校に行けなかった人達が通う夜間中学の話だ。その「理由」は様々で年代もバラバラだけど、共通するのはみんな純粋に“勉強がしたくて”その学校に通っているという点だ。驚きでしかない。
そこには、偏差値教育や詰め込み教育といった冷たいシステムとは真逆の真の教育の姿があった。先生と生徒が一体となって授業をしている。上も下もない。時には先生が生徒に教えられたりもする。
こんな授業は見たことも聞いたこともない。自分のいる環境とは全く異なる世界だと感じた。
 
“幸せとは何か?その答えを知るために勉強する”
 
いい学校に入るためでもなければいい会社に入るためでもない。学ぶということはそういうことだったのか。そうか、僕には生きるために必要な教養も知恵もない。だから人生の選択もできずに今もこうして苦しんでいるのか。
いつも怯えて周囲の顔色や機嫌ばかりを伺い、何かに追われ、引きずられるようにして生きるのはもう懲り懲りだ。伏し目がちで弱い自分をなんとかして変えたい。もっと自信を持って自らを主張し、胸を張って生きていけるようになりたい。

僕は今まで自分が何も考えないでただ漫然と日々を過ごしてきたことを恥じ、深く後悔した。と同時に自分のなかで心から勉強したいという思いがふつふつと湧き上がってくるのがわかった。

学校の授業で教わることが全てじゃない。むしろ、より良く生きていくためや自分自身を磨くために必要な自由かつ柔軟な思考力はこの国の教育システムのなかでは身につけるのは難しいのだろう。映画で見たような理想的な授業も現実にはないんだろうな。けどそれでもいい。大事なのは学ぶ姿勢であり意志を持つことじゃないのか。もう環境や他人には期待しない。俺は今生まれた。微塵の迷いもない。この思いのまま突き進むのみ。
そのためにはぬるま湯に浸かっていてはダメだ。家族がいる慣れ親しんだこの土地にいてはせっかくの決心もいずれ鈍ってしまうかもしれない。そうだ、まず環境を変えなければ。できるだけ遠くに行きたい。誰も知らない新しい環境へ行き、生まれ変わったつもりで何もかもやり直そう。
 
こうして僕は首都圏にある大学へ進学するという結論に達した。それは世の中の右も左も分からぬ、自分自身が一体何者なのかさえ知らない未熟な僕が出した精一杯の答えだった。
僕が知りたいのは「幸福とはなにか」という疑問一つのみ。その謎を解くためにもっと賢くなるんだ。(岐路5へ続く)



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