だから辞めたい〜私の中の繊細な私の話〜
今日のような日は改めて思う。
だから、私は辞めたいんだ。
辞めることにして正解なんだ。
職場への不満や自分が抱える負担への憤り…なんてものは正直"副産物"だ。
辞めたい理由、辞めなきゃいけないと思う理由。
それは根本的な私の性質にある。
●アダルトチルドレンとHSP
最近では適応障害や発達障害など、
有名人の引退や活動休止の理由として挙げられる事が増え、広く認知されて来たと思う。
私は過去に、アルコールが入ると我を失ってしまう時期があり、精神科を受診した事があった。
そこで医師から言われたのがアダルトチルドレン。
これは明確な"病気"ではなく、機能不全家庭に育った者が陥りやすく、生まれて来て1番最初に触れるコミュニティである"家庭"の居心地が悪かったため、他者との距離感や接し方がわからないまま育ち、結果として生きづらさを抱える事となるいわゆるトラウマのような物だ。
思い当たる節もあり、
ネットやこれまでの経験から「もしかして…」と思ってもいた事から、改めて自分の生きづらさの原因に理由があった事に当時は安心した。
人の顔色を伺い、自分に対して嫌悪感を露わにする人間に対しての攻撃性が強い。
実際口に出す事はなくても、全てに"白か黒"をつけなければ気が済まない。
今なんとか社会生活が送れているのは、単に歳を取って、自分の持つ性質を理解し、自分の中で腑に落ちない事や決着のつかない事など、それらの落とし所をある程度作れるからだ。
決してそれで生きづらさが軽減された訳ではない。
うまく付き合えるようになった、それだけだ。
加えてこの頃よく話題となるHSP。
こちらは特に診断を受けた訳ではないが、特徴を見たところ自分と当てはまる部分が大きい。
"繊細さん"などと言われるが、ほどがある。
大きな音や叫び声・怒鳴り声は、映画やマンガなど架空の世界の物であっても胸が締め付けられる。
調子が悪いと赤ちゃんの泣き声にも胸が痛む。
他人が気にもしない事を異常に気にする。
他人なら大して動揺もしない、相手の小さな言動、動きに過敏で、すぐ相手の気分にペースを持っていかれる。
京都に住んでいた時…特に新型コロナウイルス拡大前のあの人混みや混雑した改札、エスカレーターなどのピリピリした空気に当てられて号泣しながら帰宅し、彼を困惑させたりする時もあった。
また、人の視線に過敏で、接客中先輩や上司に後ろからじっと見られる事が極端に苦手だ。
小学生の頃は書取りやテストの解答など、先生に覗き込まれる事が苦手だったな、と最近思い出した。
「HSPなのではないか?」…それを私は時々頭の片隅に置いていながらもずっと見ぬふりをしてきた。
少なくとも誰しもそういう繊細な一面を持っているだろうと思っている、と言うのもひとつだが。
それを認めたくない1番の理由は、"社会で、普通の人と同じく働いている事"そのものを否定せざるを得なくなりそうだったからだ。
●"辞めたい"の根本的な理由。
本題に入る。
今日、改めて「この仕事を辞めたい」と強く思った。
何もかもが上手く行かなかった。
お客様を満足させたとは言えない…どころか、下手すれば上司にクレームが入るだろうと思っている。
成功か失敗かで言えば、後者だ。
最低最悪の営業。久しぶりに死にたくなった。
死にたくなって、久しぶりに、根本的な退職理由を思い出した。
文章となれば上手い下手は別として自分の思いをこうして掘り起こす事ができる。
だがこれを"言葉"にするのは難しい。
失敗があり、落ち込んでいる事を話すと、「失敗なんて誰にでもある。私だって昔は…」「乗り越えようよ!」との返答をいただく事も多い。
なぜ、そう思ってしまうのかわからないが、私にとっての"失敗"はもはや"終わり"だ。
それを口にすると、
ある人は私のことを「プライドが高いからだ」と言う。
…確かにその部分だけを切り取れば、失敗して相手にこれでもかと言うほど叱責される事が辛い、プライドが傷つくから、と言う意味に捉えられても仕方ない。
聞けば教えてもらえる事を聞けない。
それもまた、「人に教えられるのが嫌だから」と捉えられる事がある。
私自身も、一時は「そうなのかも」と最初からないプライドを捨てようと躍起になった事もあった。
狭い世界で天狗になっているのだとしたら、それはすなわち、人間として・技術者としての"停滞"や"怠慢"を意味するからだ。
そう思って飛び込んだのが、高レベルの技術や接客力を求められる今の会社だった。
でもこれはちょっと違ったようだ。
確かに暴言を嫌と言うほど浴びせられたり、自分のやり方を真っ向から否定されたりと嫌な事もたくさんあった。
でもそれは自分の中では"一部"にすぎない。
"嫌な出来事"の一つにしかすぎない。
周囲に不快な思いをさせたり、怒らせたり、がっかりさせたりしてしまった事。
明らかに適正がなく、それがわかっているのに仕事を続け、会社やそこにいる人間に迷惑をかけている事。
私が働いている事で、誰も幸せになっていない事。
人を傷つけたことに傷ついてしまう。
何かするたびに人をあらゆる面で憂鬱な気持ちにさせたり、無駄な仕事を増やしたり、ピリピリさせてしまう自分。
聞けばわかる事、相談すればいい事も、先輩や上司の機嫌や顔色を伺ってはタイミングを逃し、自己判断で行動して取り返しのつかない事態に発展させてしまう事もある自分。
それをわかっていても、相変わらず聞くのも相談するのも怖い自分。
それなのに、他の人と同じように現場に立って働いている自分。
不満足であろう仕上がりでも「ありがとう」と言ってくれる優しいお客様に気を遣わせて、お金まで使わせている自分。
たまたま、こんな私の、こんな私でもできる事を「すごい!」と買ってくれる上司や先輩・同僚が居ただけで、自分の中での自分の評価は、
「時間を売る事でしか他者に貢献できないお荷物」
である。
その"時間を売る事"すら、もうできない。
彼と過ごす時間や、友人たちとの時間、1人で過ごす時間、そう言う物がたまらなく欲しい。
そうなると、会社にとって、仕事にとって、私は全くの無価値だ。
ワガママと言われても、返す言葉もない。
こんな自分が、ここにいていい訳ない。
こんな気持ちで、少なくとも"接客業"をすべきじゃない。
そう思ったからだ。
その他の理由は、これの副産物にすぎないのかもしれない。
それが今日、久しぶりに死にたくなってみての改めての感想だ。
●仕事を選ぶ。それしか方法はない。
技術的な問題は、正直今後自分がどれだけ勉強するか、どれだけ経験を積むかでいずれは必ず解決する。
もしマイペースに磨いて行けるのであれば…と思う事もあるが、現実、今の会社の環境下では"仕事は常に本番"で、私のペースで…などと悠長な事を言っている暇はない。
今後もこの仕事に携わるのであれば、追い立てられる事なく技術面の問題を自分のペースを守って磨いて行ける環境に身を置くつもりだ。
おそらく、
私が「この仕事に向いていない」と結論に至った理由は、接客業として必要な"人間力"そのものが無いに等しいと気づいたからだ。
前職に、「技術的には△だが人間力でお客さんの心を掴む」と言われている先輩がいた。
キレイで、厳しく、温かい人で、仕事中は怖かった。
たくさん叱られたが一方で私の技術や仕事を買ってくれていた。
"人間力"について考える時、いつもこの人の事を思い出す。
私の総合的な技術力は、おそらく自他ともに△だろう。
同じく△でも、私のように「他の者と変わってくれ」と客を怒らせる者もいれば、彼女のように何故か客を納得させる事の出来る者もいる。
「たまたま劇的に合わなかっただけ」かもしれないが、他のメンバーにはそれがない。
…つまり、おそらく私に"問題"があるのだ。
現職でも、他のスタッフがこれほど叱責されたり、明らかに嫌そうな顔をされたりする所を見たことがない。
数年現職に身を置いて、その事実に目を向けた時、この働き方や環境が"問題"を抱える自分には向いてないのではないか?と言う疑問が頭を擡げるようになった。
もしかして他のメンバーなら、
同じような場面…叱責や暴言に出くわしても、難なくかわせる、もしくは休日、人によっては寝れば忘れる、で切り替えられるのかもしれない。
私はと言えば、何度も何度もその時の残念そうなお客様の顔や、言われた言葉を思い出しては何度も何度も傷ついてしまう。
ある種のトラウマだ。
「捉え方や考え方を変えろ」と言う人もいるが、それこそこれまで培ってきたそれらを、飼い慣らす事はできてもガラッと変える事は難しい。
無理に変えよう、頑張ろうとした結果が今の状態。
簡単に自分を変える事はできない。
それでもこの仕事に携わるとしたなら、自分に見合った環境をきちんと選ぶしかないのだろう。
"仕事を選ぶ"と言えば傲慢に聞こえるかも知れないが、私の場合は"選ばざるを得ない"。
今のように、人員や配置の問題、上司の"ひとこえ"で半強制的に苦痛を伴う仕事を「やるしかない」環境では、今後も現場の状況次第で新たなトラブルを招きかねない。
社内で仕事をしている時は周囲に味方もいるが、出張に出てしまえば救いの手もなく、また、よく知らない周囲の人間を味方につけるほどのコミュニケーションスキルも技術も持ち合わせていない。
現職で出張に出た際、これまで大きなトラブル等は無かったが"このままではいつか"が頭を離れない。
●こうして孤独になった。
こういった不安や恐怖を、
もちろんこれまでも上司や先輩、同業者の友人に相談した事は幾度とある。
思い返してみても、そう言えばこの手の相談事でかけられた言葉に納得した事がない。
「気にするな」「みんなそうだ」「切り替え」…そう言うけど、それができない。
ちょっと変わったお客さんがいた、とか、職業あるある、など表面的な出来事に対する話には共感できるし、共感を得る事ができる。
だが、この異常とも言える大きな不安や恐怖・緊張感に関する「みんなそう」に、私は全く共感できないし、される事もない。
いや、大なり小なりどんなものでも"仕事"にはそれらが付きまとうだろう事は理解できるが、他者の言うそれは、何かが私とはちがう。
それを口にすると、今度は「甘え」とか「怠慢」「あなただけじゃない」とか言う言葉が返って来そう…そう思うとますます、誰かにこの話をする事や理解してもらおうとする事を躊躇ってしまう。
…今思えば、いつも。
こうして私はどんどん他者に心を閉ざし、自ら孤独へとまっしぐらに堕ちて行く、これがパターンだったような気がする。
今回、退職の件で上司と話し合った時も、かけられる言葉に同じような違和感を抱いた。
「みんなそう」…ちがう。
「あなただけじゃない」…それも理解できない。
赤の他人と分かり合える事などない。
例え、それが長年寝食を共にする彼であっても。
理解できない部分はあって当然だ。
だけど私は、この自分の重大な欠陥を、仕事をする上であり得ない問題を、抱えながらこのまま同じ道・同じ会社で歩いて行く事がどうしても辛いのだ。
みんな同じであるなら、なぜこんなにも毎日毎日憂鬱で、時々現れる"希死念慮といなくなりたい"の狭間で戦い抜く事ができるのか。
それがわからない。
この先の人生、人間として、大人として未完成で他人より能力が低い自分に絶望しながら、一生この不安に苛まれながら生きていくしかないのなら、せめてもう少し柔らかい環境を自分に与えてあげたい。
そう願うのは「衰退」で「怠慢」なのか。
これが私が誰にも語れない本音なのだ。
●勇気と覚悟を持って。
「技術的には絶対にconaさんの方が上なのに、今いる環境がconaさんを追い詰めている」
同業者の後輩であり、数少ない理解者である友人の言葉だ。
最近この日の事をよく思い出す。
たまたま退勤時間が重なり、
仕事の相談を兼ねて彼女…Rとお茶をした帰り道。
偶然、以前Rも私もパートとして勤めていたとある会社の元社員・Iちゃんとすれ違った。
社員だった頃は、技術的にも人間的にも評価が良いとは言えなかった彼女は、私たちを見つけて嬉しそうに声をかけてくれた。
明るく華やかで、幸せそうで、キラキラして見えた。
冒頭のセリフは、この出来事の後にRがLINEで送ってくれた言葉だ。
「Iちゃんには今の環境が合ってるんだ」
「今Iちゃんがキラキラして見えるなら、それは環境のおかげだ。conaさんと逆。」
"環境がそうさせている"
「環境のせいにしてはいけない」…そう思い込んでいた私の心の鎖が解けた気がした。
以前から"おかしい"と感じていた事や、"これは嫌だ"と思いながら耐えて来た事、それらが全て決して全部自分だけのせいではないかも知れない。
目が覚めた気がした。
以前はフリーランスとして、
今の業種にまつわる色んな店舗・色んな現場へ出向く毎日を送っていた。
平日は平日できちんと仕事を確保し、週末は依頼された先へ出向いて割のいい仕事を選び、繁忙期は思いっきり働いて閑散期は旅行を楽しむ。
この頃から、見知らぬ現場への出張には苦手意識を持ってはいたが、そのうちに何度も出向いた場所・馴染みのある場所ができて行く。
働いたら働いただけ報酬は上がる。
辛くなったらギリギリ生活できる程度に仕事を絞る。
気分で働く事は、決して褒められた事ではないが、私にとってはこちらの方が"向いていた"と言えるだろう。
自分が出来る範囲の、手の届く範囲の仕事と仕事量を自分で選択して生きていた時の方がはるかに幸せだった。
今更こんな私に、
そんな働き方ができるかはわからないが、例えば次は、今の仕事と携わりつつも全く関わりのない業種を選んでみる、とか。
業種は変えず、以前と同じような働き方を目指す、とか。
今の会社に就職して、出来るようになった事も多少はある。
それを他で活かす道を考える、とか。
この数年で、
いかに自分には今のような働き方が向いていないのか嫌ほどわかった。
人はこれを"逃げだ"と揶揄するかも知れないし、退職自体を悪く思う人間も少なからずいるだろう。
それでも、自分の心の平穏のため、幸せを追求するため、今後の仕事との付き合い方についてはじっくりと考える必要があるし、手遅れになる前に"見切り"をつける勇気と覚悟をもたなければならない。
コロナから一転、世間に動きが出て来たこの頃は、この業界も盛り上がりを見せている。
でもいつ、また、あの時のように、突然職を失うかわからない。
況してや常に人員不足の現状。
働き方を選べる時代。
コロナや不況以前に、時代にそぐわない現業界のやり方では、不況の影響も手伝ってどんどん需要が減り、担い手もいなくなるだろうとは今も思っている。
他人は私の人生までも背負ってはくれない。
生きづらさを抱えた私のような者は、他者よりもさらに身軽に、水のように柔軟に形を変え、環境を変え、そうして歩いて行くしかないのだろう。
責任は自分が取るしかない。
自分の人生の責任は取らざるを得ない。
だからせめて、この重みに耐えうる環境を、自分に選んで与えてあげよう。
自分には自分が、優しくしてあげよう。
これが誰にも理解されない私の"答え"なのだ。
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