見出し画像

ゆらゆら旅をして得たもの

こんにちは、インターンの森山寛菜です。これは2021年2月~6月までCompathでインターンをして感じたことを振り返るレポートです。

この5ヶ月間Compathでインターンをした経験は私にとって何を意味するんだろう?と考えて最初に浮かんできたのは「感情に耳を傾けること」でした。リサーチに関わったり、インタビュー記事を書いたり、ラジオをつくったり、イベント運営に入ったり... スキルとしてできるようになったことはいっぱいあるけど、それよりも先に “自分の感情に耳を傾けるようになった”という自身の変化がぱっと思い浮かんだことが、私にとってのCompathを一番よく表していると思います。

振り返るとCompathに出会う少し前から私の中で点となる出来事がいっぱいありました。それが繋がって今の自分があると実感します。このレポートではCompathにくる前の時間も含めて振り返りながら、私が感情の声を聞くようになるまでの “ゆらぎ” を言葉にしてみようと思います

画像6

森山 寛菜(もりやま・かんな)
シモンズ大学(アメリカ、ボストン)卒。小5のとき山奥の村に山村留学する。中高は韓国で過ごし、アメリカの大学でPRを学ぶ。留学で感じたことは、みんな違ってみんな人間ということ。最近は秋からはじまる一人暮らしライフを豊かに生きるため口笛を練習中。写真は東川町の美味しいお店「りしり」にて。
インターンでしたこと
1周年レポート(Compath Dialogue Book)リサーチのお手伝い
ラジオ(oplysning radio)の編集
Compathプログラム体験者インタビュー記事の執筆
Compath Dialogue Day(会社設立1周年記念イベント)のお手伝い

個人と社会の狭間でゆらゆらしたわたし

画像9

ゆらゆら期 ①
💭私の頭の中:「個人が努力した分だけ報われる。社会のせいにしてはいけないんじゃないかな。社会で生き抜ける個人にならないとだよね」
📌できごと:留学・インターン、いろんな土地でいろんな経験をする

大学に編入するときのエッセイで “あなたのこれまでの人生に題名をつけるなら何にしますか?”という質問がありました。私は “Think of Life as a Journey”(人生を旅のように考える)と答えています。今思い返すとちょっとキザだなと思いますが、実際旅人ような人生を生きてきたと思います。

3つの学校に通って入学と卒業は同じ学校という不思議な小学校生活を送ったり、韓国やアメリカに留学したり。留学中に家が引っ越していて帰省先が馴染みのない土地に変わっていたり。たまたまだったり自分で選択したり、1つの場所に留まらずに色んなところで生活してみて、私の当たり前が他の人の当たり前ではないということを学びました。自分と違うことに驚かなくなったのは、このときの経験が大きく影響していると思います。それと同時に自分が努力したらそれだけ可能性は広がると思っていました。

でも大学生になってNPO/NGOや団体でインターンをしながら個人の可能性が社会によって制限されるという現実があることも知りました。でも正直なところ、そのときの私にはあまりピンときていませんでした。個人の可能性を活かせるかどうかを社会に結びつけるのは、社会のせいにすることにもなるのではないかという印象をもったからです。またNPOなどの活動をしながら、時折、社会のニーズとすれ違っているような感覚をもったり、できることの限界を感じたりすることがありました。

その経験から就職はモノやサービスを売っている会社にしようと決めます。お金が全てではない、とはいえお金を生み出すって大事だよなと思ったからです。必要とされるモノは売れるし、必要とされないモノは売れない。資本主義万歳というわけではないけど、ニーズにお金が支払われることで需要と供給をマッチさせるシステムは合理的だよね、そう考えるようになります。

ゆらゆら期 ②
💭私の頭の中:「と思ったけど、いまある社会に自分を合わせていくの違和感めっちゃあるな」
📌できごと:就職活動

そんなこんなで就職活動がはじまります。資本主義社会で生きていく以上、人材も商品。よーいどんで競争がはじまったら内定という勝利をもらうか落とされるかです。ここで社会に合わせないといけないことに強い違和感を感じるようになります。

それまで聞いたことなかった自己分析、業界研究、ガクチカという言葉が出てきてなんじゃこりゃと思っているのに就職活動生の界隈ではその言葉がもともとあった言葉のように、あまりにもすんなりと受け入れられていました。「自己分析をして何がしたいのか、どんな価値観を大事にしているのか言葉にしましょう」と言われるけど、私の言葉は誰かのものさしで測られていて、そこに合う言葉を探さないといけない。本当の意味で私のためにはなっていない自己分析を求められることに気持ち悪さを感じていました。「就職活動」という一言で私の感じる違和感がぜんぶ「そういうもんだよ」で片付けられてしまっている。このズレに共感してほしいのに「かんながやりたいことやったらいいよー」「大丈夫、うまくいくよ」と声をかけられると、全ての言葉がすれ違っているようにしか感じられませんでした。

「就職活動」と名前がつけられた舞台の上にいる限り就活生という仮面をかぶって全力で演じないといけない。この舞台が嫌だから自分の舞台をつくってしまおう、自分の合う舞台にしかいかないからと完全に振り切れる人間でもなかったので、私は与えられた舞台で演じきるしかありませんでした。そういう状況になったとき私が置かれているこの舞台が前はピンと来ていなかった社会なんだと理解しました。

画像2


ゆらゆら期 ③
💭私の頭の中:「でもこの社会で生きる限り、社会で認められる個人になるのが大事だよな」
📌できごと:Compathでインターンをはじめる

ご縁があって内定をいただいた会社に就職を決め、私の「就職活動」という演目は幕を閉じました。そして大学最後の学期にCompathでインターンをはじめます。実は私、Compathが何をしている会社かも知らずにインターンをしたいと申し出ていました。別のインターン先でお世話になった早紀さんが相方と一緒に会社をつくったらしいぞ、じゃ行こう、というノリでインターンをさせてくれと言っただいぶレアなタイプの人間です笑。この時点での私のCompathへの知識は「なんか北海道のすごい自然があるとこで、なんかデンマークいっていいなって思った人たちが、なんかしてるっぽい。」これです。(何も分かっていないwww)もともと知っていた早紀さんはともかく、こんな得体のしれない大学生を「かんなちゃんのフラットな視点が聞きたい~」といきなりリサーチに巻き込む香さんも香さんだな(良い意味)と思います。

画像8

Compathでの初仕事のとき。まだちょっと緊張している感じ。
心なしか若く見える(5ヶ月前だけど笑)

だから実をいうと人生で寄り道をすること、余白をもたせること、といったCompathが追求する価値への共感というのは私の中に強くあったわけではありませんでした。そしてもっと実をいうと、Compathが今の社会のあり方に一石を投じようとしているのにも関わらず、この時点での私はこの社会に染まりきろうと思っていたし、Compathが寄り道の場をつくろうとしているけど、私は一本道のキャリアを突き進もうと思っていたところでした。社会に疑問を抱くよりも、そこに乗っちゃったほうが生きやすいだろうなと思ったからです。

学生のときはインターンもボランティアも勉強もやりたいことを色々してきたけど、社会人になったらキャリア1本に絞ってバリバリ働こう。会社で求められることをこなして、その中で認められるようになろう。そう思っていました。これまで色んな価値観に触れて自分を広げようとしてきたけど、最終的に落とし込んだ先は社会のシステムに乗ることでした

画像4


ゆらゆら期 ④
💭私の頭の中:「ありたい個人の姿を大事にしながら、社会をつくっていくってのもありなんだ」
📌できごと:Compathで色んな人に出会う

会社にはいって一生懸命働くこと、そこで求められていることをこなすことはもちろん大事だと思います。でもCompathに関わる色んな人の姿をみて、それだけを人生の全てにする必要はないと気づきました。

今まで個を尖らせるか、社会システムに乗っかるか、どちらに振り切ろうかと狭間で揺れていたけれど “ありたい個人の姿を大事にしながら、社会をつくっていく” というどっちでもなくてどっちでもある “在り方” に触れました。(ちょっとややこしいですね)

これまで、

「個人が努力した分だけ報われる。
社会のせいにしてはいけないんじゃないかな。
社会で生き抜ける個人にならないとだよね」

「と思ったけど、
いまある社会に自分を合わせていくの違和感めっちゃあるな」

「でもこの社会で生きる限り、
社会で認められる個人になるのが大事だよな」

こういう変遷で「個人」と「社会」を見てきたけど、個人と社会ってそう簡単に切り離せないよなと実感しました。「あたりまえじゃない?」という声が聞こえてきそうです。そう、当たり前なんですけど、ゆらゆら揺らいでやっと実感になりました。そもそも、個人の努力が報われると思っていたときの私も完全に個人に振り切っていたわけではなく、たまたま与えられた社会が自分の努力をうまく拾ってくれていたから社会に違和感を感じていなかったということなのだと思います。

だから個人と社会どちらか一色に染まらなくてもいい(というか、どっちかだけとるのはそもそも無理)。個人と社会は表裏一体で、どちらも変化していくものだからどっちの色も変えながら、混ぜ合わせていけば、もっといい色をつくっていけばいいのかーと納得しました。

画像9


これからも大切にしたい Compath からのおみやげ

ここまで、個人と社会の間でゆれていた私の話を書きました。色々考えて悩んで「ありたい個人の姿を大事にしながら、社会をつくっていく道を模索したい」と思った私が、Compathでの経験を振り返って一番大切にしたいと思ったのが「感情に耳を傾けること」でした。

感情に耳を傾ける
Compathで大事にしている時間がチェックインチェックアウトです。Compathでは朝にチェックインがあり、金曜の夕方にチェックアウトの時間があります。チェックインでは最初にいまの気持ちを味わう時間を1分過ごします。発言する前に自分の心境にアクセスして状態を確かめる時間を持ち、発話する準備が整った人からスタートします。チェックアウトでは “今週の天才” といって、この1週間自分とお互いの天才だなと思ったことを書き出します。

画像11

東川で対面で”今週の天才”をしたとき。
天才が書かれたポストイットにまみれてる。

インターンとして入るときCompathの2人に「チェックインとチェックアウトの時間が楽しくて仕事してるみたいなもんなんだよね」と言われたときは、あんまりその言葉の意味がわかっていませんでした。その言葉が染みたのは Compath Dialogue Day(会社設立1周年記念イベント)を準備しながら、チェックイン・チェックアウトとはなんぞやを勉強しなおしたときです。

チェックイン・チェックアウトとは:
“前の時間と気持ちを切り替えて、これからの時間に意識を向けるためにお互いの状態や気持ちを共有する時間”

この記事を読んでCompathで感じる心地よさはチェックイン・チェックアウトで自分の感情に耳を傾けている時間からきていたんだと腑に落ちました。

「すごく心地よい時間だったんだよね」「実はすごく居心地悪くて、モヤモヤしてたんだ...」チェックイン・チェックアウトでみんながこんな言葉を口にするのを聞いているうちに、私も心地よさについて考えるようになりました。特に居心地が悪い状況にあるときよく考えるようになりました。あれ、今わたしなんでこんなに居心地の悪さを感じているんだろう、何にモヤモヤしてるんだろう、なんでやる気がでないんだろう。こんな具合です。

画像7

振り返ってみると、これまでの自分は多少居心地が悪くても「なんで居心地が悪いんだろう」と考えることはありませんでした。多分なんで楽しくないかを考える前に、楽しまなければいけないと思っていたし、置かれている状況にいつもポジティブであることが良いことだと思っていたんだと思います。

でも名前を与えてあげていなかった感情に「居心地が悪い」「もやもやしてる」という名前をあげたら、今までだったら無かったことにしていた感情がそこに在ったことに気づきましたその感情をもっている自分を善とも悪ともジャッジせず、湧き上がってきた感情を観察すればいい。そう思えるようになってからは気が楽になりました。あ、これが私にとって「心地よい状態」なんだと気づきました。

画像3

そしてインターン最後に関わった Compath Dialogue Day では、自分が心地よいと思えた状態をどうやったら参加者のみなさんに味わってもらえるかを考えて形にする経験をしました。私が大切にしたいと思った「心地よさ」がどうやって作られているのか考えてイベントを運営する過程で、私の内側にあったものが形になって見えるようになっていきました。このイベントが私の集大成だったというのは大袈裟ですが、これまで私の中でぐるぐるしていたものがすーっとここに集約された感じがありました。

画像9

Compath Dialogue Day の最後にみんなでパシャリ


おわりに

画像10

東川にはじめて来た日にみた夕日

1本道だけで突き進んでいたら出会わなかった人たちが、この場所で交差している。この場所で関係性が編まれているというのが私がCompathに抱く印象です。

それを象徴するエピソードを1つ。
インターンで東川に訪れたとき、北海道でヒッチハイクしている子、地域おこし協力隊員としてやってきた子、Compathの早紀さんと私で温泉にいったことがありました。私たち4人の共通点はCompath。はじめましての人もいる中、温泉に向かうドライブで自己紹介をして、湯船につかってお互いの話を聞きあったあと、みんなで夕飯をつくりました。私はフォルケに行ったことはないけれど、多分こんな感じなんだろうなと思いました。

それぞれが人生という長い旅をしていて、たまたま東川というまちを通ったから会った人たち。それは友だちとか仲間とか、そういうのじゃなくて、旅先で会った人というのが一番しっくりきました。きっとフォルケでもこんなふうに人と出会うんだろうな。そんなふうに思ったのを覚えています。

背景がバラバラな人たちの寄り道が重なるところでは、〇〇大学のわたしでも〇〇会社のわたしでもない、森山寛菜というわたしの言葉が出やすくなるような気がします。そうして出てきた自分の言葉、相手の言葉に耳を傾け合いながら他者の存在って大きいなと思いました。一人だったら見過ごしてしまう私の感性にいいねしてもらえることで自分を肯定できたり、私も誰かの当たり前をすごいことですよって言える他者になったり。自分だけでもっているとほつれていた毛糸がしゅるしゅるとほどかれて、色んな言葉と編まれていく感じを味わいました。

だいぶ長くなりました。ここまで読んでくださってありがとうございます。こうしてゆらぎを言葉にしてから Compath(共に歩む小道)という名前を見ると、あーなるほどーってなります笑。うまく言えないですけど、前より名前に込められた意味が分かったような気がします。

これでインターンという関わり方には終止符をうちます。でも、ふらっと寄り道するような気軽な気持ちで、これからも関わり続けていきたいと思っています。

画像12

画像14

インターン最終日に撮った写真と
みんなからもらった天才

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?