こもれび文庫

社会福祉法人千楽が運営する、いじめ・虐待・引きこもりを考えるソーシャルワーカー&当事者・学生の集まりです!お問い合わせ:comolism@gmail.com

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    • 連載 こもれびの窓から

      毎日新聞の記者・論説委員だった野澤和弘さんの連載。30年近く、ひきこもりについて取材し、考えてきたことを掲載します。

    • 連載 ひのたにの森から~救護の日々

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    こもリズム研究会とは…

    ―さあ、こもリズムをはじめよう― いじめ・虐待・ひきこもり・障害について、あるいは広く社会で見過ごされがちな「生きづらさ」について考え、発信する「こもリズム」研究会が始まりました。2021年4月よりソーシャルワーカーと当事者・学生が集まって活動しています。   「こもリズム研究会」を立ち上げる一つのきっかけは、2020年6月に千葉県浦安市に開所した浦安市発達障がい者等地域活動支援センターミッテMitteでの発達障がいのある方への日中活動支援・相談支援にあります。 地域に暮ら

      • 好きなひと

        高校時代に好きな人がいた。一つ上の先輩だ。 その人には文武両道という言葉がぴったりだ。生徒会長をしていたし、スポーツも、全国大会で入賞するような人だった。不正や悪を許さないまっすぐな性格で、言葉もストレート。全校集会、壇上でスポットライトに照らされるその人を初めて見た私は、密かに憧れるようになった。 共通の友人がいたことをきっかけに、一緒に帰るくらいには仲良くなった。今思い返せばとても気持ち悪いことだが、その人の移動教室の時間を全部覚えていた。今でも覚えている、火曜日の5時

        • 「声にしなければ伝わらない」とはよく言ったものだ。 私もそう思っていた1人で、声がその人の思いの全てだと思っていた。 私は大学1年生の頃、様々な学校に通う人が入居する学生寮に住んでいた。 入寮してすぐの寮内説明会の時、声をかけてくれた子と仲良くなった。 ここでは名前をNとする。Nは赤茶色の髪をショートカットにしたボーイッシュなスタイルの子だった。髪色と同じ、くりくりとした丸い瞳でまっすぐに私を捉えた彼女に、私はすぐに惹きつけられた。 彼女と私は同じ階の部屋に住んでいるこ

          • なぜ人を殺してはいけないのか

            15歳だったら、人を殺しても死刑にならないらしい。 それを聞いてから、私は、あることをずっと図っていた。 その人のこと、殺そうと。 彼さえいなければ、こんなことにならないだろうと思っていた。 まずは、どうやって殺すのかを考えていた。 家にある包丁でそのまま刺したら、向こうは男性で、力が強そうだし、一発でうまく刺せなかったら、もう勝算がない。そこで、その人を殺そうとしていることがバレたら、私は絶対母や周りの人からの説教に耐えられないし、これからまたその人と一緒に暮らせなけれ

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            わたし

            点滅している青信号を渡ろうか渡らないか、いつも悩むよね。てか、なんで信号の色がみどりなのにみんな青信号って言っているの? 今月はアルバイトを入れすぎたせいで、頭も体もごちゃごちゃになってしまった。先週土曜日はバイトを終えてすぐ、家に駆け込んでいた。そこから、一歩も家から出ることがなく、今日の17時まで、丸2日間ずっとスマホの世界に閉じこもっていた。 締め切りが迫ってきた課題も見に行きたかった映画も友達の誕生日会も、全部捨てて、ただ食べて横になってまた食べて横になっての生活

            死神

            死神は、多分いる。 6歳の時、目の手術で1週間入院した。生まれつき重度の斜視で、手術しないと失明すると言われていた。全身麻酔でとてもつらくて怖い、一生したくない経験だった。麻酔が効きやすい体質で、通常より身体に負担がかかってしまっていたらしい。 小児病棟は個人部屋が埋まっていて、4人部屋に入院することになった。向かいのベッドは、腎臓病。隣のベッドは耳の病気。斜め向かいは、心臓病だった。3人とも歳上で私よりも入院生活が長く、病院の先輩だった。 大きくなって母から、腎臓病の

            ある計画

            「何月何日何時何分、放課後、Tに頼んでカニ公園に呼び出して殺す」 自由帳に書かれたその文字を、私は知らない。 昼休みになると、ひとりの男の子の机の周りに、クラスの男の子たちが集まってきた。「みんな仲がいいんだな」と彼らを横目に図書室に行く。教室に帰ってくると、慌てたように散り散りになっていく。たくさんの目が私を見て、そらした。なんでだろう。 よく晴れた日、図書室は整備のため休室で、教室で過ごすことにした。特別な理由はなく、ただいるだけ。休み時間になっても移動しないこちらを

            ふでばこ

            人のものを、盗んではいけない。 小学校に入学してすぐに、嫌いな女の子が1人できた。あゆかちゃんだ。彼女は、バレエをやっていた。廊下を歩くとき、いつもくるくる回ってバレエのターンを自慢するように見せてくる。そうやってターンするのに、毎日短いスカートを履いているからパンツが丸見えで、本当に気分が悪かった。しかも、信じられないほど自己愛が高い。正直美人の部類に入っていなくて男の子たちに「ブス」と揶揄われていた。 「小さい頃ブスだった子は、将来めっちゃ可愛くなるんやで」といつも答え

            おしえご

            「先生、久しぶり!」 私には4回しか教えたことのない教え子がいる。4回しか教えたことがないのに目が合うたびにパッと笑顔が咲き、1年しか違わないのに私のことを「先生!」「先生!」と呼ぶとてもかわいい教え子がいる。 私は大学1年の春から冬までの間、個別塾の講師をしていた。担当は英語と国語、とちょっと数学。推薦受験で入学したような私のぬるい知識ではこの子たちの受験料に見合わないのではと思い1年持たずに辞めてしまった。 小学生の頃は塾を忌み嫌っていた私だが、講師という立場で入っ

            あ、限界だったんだ。 頬を伝う生ぬるい液体が私にそう伝える。   小学4年生春。同じ日本人に囲まれ何不自由なくコミュニケーションができていた生活は、父の仕事の都合によって突如見た目も考え方も言語も全てが違う人々に囲まれる生活へと一変した。 渡米した当初、文章として話せる英語は「ハロー。マイ ネイム イズ ジュナ・ウエダ。ナイスミーチュー」と「アイム ファイン サンキュー。アンド ユー?」くらいだった。 当初両親の心配事は全て姉たちだった。極度の人見知りである長女と次女が学

            わたしの父は犯罪者です。人を傷つけました。何度か窃盗を行いました。 そんな自分に耐えられなかったのか、父は自ら命を絶ちました。 とても真面目な人だったのです。窃盗も傷害も、そういう病気のせいだったのだということは、父が亡くなってから初めて知りました。 父が罪を犯して捕まった時も、わたしたちのことを考えて両親が離婚した時も、父が行方不明になった時も、わたしは泣けませんでした。いつもなら大号泣してしまうお葬式で、父の姿を見ても「いつもみたいに寝てるなあ」としか思えませんでした

            2030年のわたし

            8年後、27歳の私が、まともな人間関係の中で健やかに過ごしていますように、と願う。 20歳の誕生日を目前にして、既に世界がひっくり返ってしまうような絶望をいくつか味わっている私は強いはずだ。贅沢は言わないから、もう良いことしかないと思うくらいのことは許してほしい。 今の充実した生活と素敵な人間関係が持続していますように。呪いから解放されていますように。 私の人生の最初のピークは奇しくもちょうど8年前の12歳までであった。中学受験の失敗を引きずり、中高一貫校での自分として

            新月のように

            時計の針は、もうすぐてっぺんを指すところ。 今日も希死念慮と闘う時間がやってきた。丑三つ時の幽霊なんか怖くない。一番怖いのは孤独だ。 昼間は誰かと一緒に過ごしたり、賑やかな店舗に入ったりして、何となく孤独をごまかしながら生きている。しかし夜になれば皆各々の家庭へ帰っていき、店は続々と閉店していく。否が応にも、1人になる時間が魔物のようにひたひたと迫ってくる。 親元を離れ、見知らぬ土地で一人暮らし。誰にでも弱みを見せられないまま大学を卒業し、当時の友人や先輩後輩とは疎遠にな

            家族

            「おもちゃいらないの? 片づけないと捨てるよ!」 いやだと駄々をこねていると、父の手はおもちゃから私に移り、全面ガラスばり、15階のベランダに出された。夜だと暗いほうから明るい場所がよく見える。 泣きながらも、母と室内で話す父がほんの一瞬、笑みを浮かべたのを、私は見逃さなかった。3歳の記憶。ほんの5分くらいのことであろう。あの顔が今も脳裏に焼き付いている。 その日は突然やってきた。2012年の夏の朝、妹が姿見を倒して割ってしまった。「あー!」と割れたことに対して驚く中、

            約束

            眠れない夜って、どうすればいいんだっけ。 祖母から教えてもらった手のひらのつぼを押しても眠気は現れず、羊も55匹目を数えた所で飽きてしまった。 チクタクと時計の音がやけに大きく聞こえる。明日も学校があるのに、どうにも寝付けない日だった。 私は眠ろうとすることをあきらめて、二段ベッドの上段から降りた。下段には弟が眠っている。すやすやと熟睡している姿が少しだけ腹立たしいが、これといって彼を起こす意味もないので、音を立てないように寝室のドアを開く。 すると消したはずの階段の電

            目覚まし時計

            玄関から鳴り響く規則的なアラーム音。 母の呻き声に続いてビリビリと段ボール箱を開封する音がして、アラームは鳴り止み、すすり泣きの声に代わった。 身体が重く、頭がズキズキする。瞼が腫れあがって目が開けられない。何もする気が起きず、私はただベッドに横たわっていた。 朝6時。父の目覚まし時計に起こされた。 持ち主はいなくなったのに、目覚まし時計は当たり前に時を知らせる。いつも通り起きて仕事に行くはずだったのに、起こされたのは私と母だった。大好きな父がもういないということが、