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朝、雑踏にて

朝が嫌いだ。
昨日も、一昨日も、そして、明日も、明後日も。
長く、暗く、冷たく。私は今、出口なきトンネルの中にいる。

あれから早半年。弟は中学3年の秋口から学校を休み始めた。週1日の欠席は次第に増え、卒業が近づいた3月には週の半分以上を自宅で過ごした。
「学校へ行きたくない」
この言葉が嫌いだ。弟を嫌いなのではなく、この言葉を言う弟が大嫌いなだけ。

事の発端は明らかで、体育教師から怒鳴られ、暴言を浴びせられたことが原因だった。
体育教師は授業中にふざける生徒を注意しようとしたが、二つのミスを犯した。それは、生徒を見間違えたこと、言葉選びを間違えたこと。
弟はふざけていなかった。周りの生徒と同じように授業を受けていた。
体育教師は弟を黒板の前に立たせ、こう放った。
「カス」
それから弟は笑わなくなった。

それでも、彼は強かった。学校には行かずとも勉強を続け、受験を勝ち抜いた。立派な高校生になった。家族は安堵した。これまでの生活に戻れると。

しかしそう簡単にはいかなかった。私たちが考えるよりも根は深かった。
彼の中には半年間の生活で刷り込まれた「学校」に対する不信感や居心地の悪さがあった。さらに、急激な生活スタイルの変化が拍車をかけ、高校生になった今でも学校を休んでいる。その頻度は増え始めてさえもいる。

私は、忙しなく行き交う人を見ると胸が張り裂けそうになる。
あの若い体育教師は今日も生徒の前に立ち笑顔でいるのだろうか。弟は今日も自室に篭り暗い顔をしているというのに。

ホームには通勤、通学中のたくさんの人たち。気づけば電車を逃していた。

                      text/ゆうじん

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