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ネズミ

愛が創造だとすれば、恨みは破壊だと思う。

もしあなたは、恨んでいる人がいるのかと聞いてくれるのであれば、「いる」と答える。彼女を恨んだ理由は簡単に言えば、学校時代のいじめである。かつて私は誰かに会うと、彼女にされた悪いことを言いふらしてしまい、彼女と学校ですれ違うたびに、いつもコントロールできないほどに眉をひそめ、心で世界の最もひどい言葉でののしってしまった。たとえ卒業後でも、彼女の一挙手一投足をこっそり注意したり、彼女のソーシャルメディア上の動きを狂ったように保存したりしていた。これらの行動はただ、いつか彼女を嘲笑するためであり、心の中で自分を溺れそうに恨み、純粋に恨みを晴らすためであった。

ほとんど身の回りの友人に少し大目に見ようと勧められたが、生活の中で、私を直ちに苦境から引き離させるものはずっと存在しないようであった。その一時停止ボタンを見つけられずに、私のすべての感官は蝶の翼のように広がって、感情的にあらゆる情緒を感じていた。

時には彼女が深夜で敬虔的に過去にしたことを懺悔するのではないかと考えたこともある。でも、やはりそれはなかった。私はこの忘れ難い恨みを背負って苦しい日々を送っていた。

その恨みが全身まで広がった際に、私は避けることなく一種の朽ち果てた欲望を生成した。昼の私は一匹の蝶のようにひらひらと舞いながら、一人ひとりの肩とすれ違うが、夜になるとかつて受けた苦しみをカラフルな模様の中に埋蔵しようとする。それらの模様の意味をわかった人は一人もいなかった。

私は彼女のように人を傷つけることができず、過去に彼女から与えられた傷を忘れることもできない。そこで、オドオドと暗闇の中のネズミのように彼女を恨むしかなかった。

どうして勇敢に彼女に抵抗しなかったのか、どうして何度も何度も逃げたのか、どうして他人のように果敢的に行動できなくて、たいしたことではないからと自分を納得させられなかったのかと、恨むようになってきた。

これらの処理し切れなかった感情の一つ一つが静かな夜に自分を銃で撃つようだった。たぶん人間は自分のことを傷つけることにおいて、命中率は永遠に100%にも達すると思った。

孤立無援の無数の夜をまだ覚えている。それらの熱烈な銃声をまだ覚えている。恨みの壊滅性は、加害者に与えたのではなく、私自身に与え、また、恨みが私にもたらした苦痛は、当時彼女に与えられた苦痛を遥かに超えていたことに気づいた。
 
いかなる慰めを求める行為は、全て真に私を恨みから解放させてくれなかった。二日酔い、旅行、泣き崩れ、さらに友人と膝を交えて話し合うことなどは、いずれも束の間の安心感をもたらすだけである。恨みを忘れるのは非常に難しい過程であるので、私は何度も憎しみに投げ倒されてしまう。

救いを必要とするのは恨みの垣に閉じ込められた自分だった。

                      text/Coco

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