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忘却の海

時間は本当にいろいろな人やことを、忘れさせてくれるようである。

先日、偶然に長く使わなかったソーシャルメディアを見ようと思って、ログインを試みたが、パスワードを忘れてしまった。そこでパスワード取戻のページにアクセスした。ページにパスワード取戻の質問が表示された:

あなたの一番好きな人は?

迷わずに私は自分の名前を入力したが、認証に失敗した。ちょっと腹が立った。昔一番好きなのはなんと自分のことではない。私はお父さん、お母さん、おばあちゃん、叔母さんの名前、さらには小さい頃からずっと付き添ってくれたぬいぐるみの名前まで入力してみたが、全部正しくなかった。急に自分を責める気持ちでいながら、落ち込んでいた。
一方で、かつて一番好きな人は自分でも家族でもなく、ずっと側にいたものでもないからであり、他方では、以前最も好きな人も、今の自分に忘れられたようであった。

時々自分が忘れている人と、現実の中にいる人とはもしかして関係がないかもしれないと感じた。彼らはただ静かに私の忘却の中に存在するだけで、まるで音のない海のようである。その海には一台の古いテレビがあり、画面にしばしば雪のように白く光ったドットが表示されている。また、ラジオから昔好きだった歌がゆっくりと流れて、庭の籐が依然として静かに私の壁を叩いているが、風が吹いてきた時、それらが立てた音をいつも誰かの足音と聞き間違えてしまった。

でもやはり少し悔しい。私は画面を見つめて、最後にこのアカウントをログインしたのが中学生の頃のようだったと思い出した。記憶は少しとぎれとぎれに、ぼんやりとした影をゆっくりと浮かばせた気がした。私は慎重にもある名前を入力し、意外に認証がパスできた。それは、あのころ片思いしていた男の子の名前であった。

一瞬ちょっと笑いたくなった。昔の自分の幼稚さか、それとも自分がようやくこのアカウントを取り戻したことがおかしかったのか。私は椅子に座って、頭に手をついて、甘かった瞬間を思い出そうとした。でも、何も思い出せないことに気づいた。

いつから、彼のことを忘れ始めたのか? 私にもよくわからない。まだラジオはゆっくりと流れていて、空が澄んでいて、白い雲は逆巻いていて、川の水も流れている。風は依然として梢を吹き、籐が壁をダダダと叩いていたが、私はもう人混みの中で、一目であなたの姿をターゲティングしたり、足音を聞き取れたりできなくなった。たぶん思い出がフレームをフラッシュし始めるのが、忘却の始まりでもあろう。

今、私はすでにますます多くの人と物事を、自分の忘却の中に飲み込ませることを受け入れるようになった。彼らがたまに出現して私を“邪魔”することも受け入れていた。たぶん、すべての人々の頭に、私の触れられない海域が存在するかもしれないが、そこは彼らに属する忘却だと思っていた。

                       text/Coco

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