『冷静と情熱のあいだrosso』を読んで【本好きの読書感想】
ずっとずっと幼い頃からある記憶
大人になってから覚えた記憶
江國香織の描いた小説にある登場人物の想いや過去が、まるでそのまま自分のものであるかのように感じてしまう女性はきっと多いと思う。
わたし自身もずっと子どもの頃から彼女の作品が大好きで、その理由がまさに「懐かしさ」とも言うべき、この不思議な感覚にあるのだと思っている。
そんな彼女の作品を紹介するにあたって。
「冷静と情熱のあいだ」を、久しぶりに読もうと思ったきっかけを交えながらちょっとだけ、お話ししたいと思いますので、良ければぜひ。
覗いていって見てください。
先日友人との会話の中で「絶対的な睡眠量」が足りていないと愚痴をこぼした。友人は私の何倍も忙しくカッコよく働いているから、そうでない私が「睡眠が足りていない」だなんて言うのは申し訳ないやらかっこ悪いやら、どことなくバツの悪い気持ちにもなるけれど、それでも優しく聞いてくれるとてもキュートな子だ。
何も持たない、出来ないわたしは
いつも誰かに甘やかされているばかりで、
そう思うとまるで砂糖漬けのお菓子の瓶の中で生活しているみたいだと
思ってしまうほどに、
その日は久しぶりの幸福な休日だった。
そんな日の夜、私はここ半年の中でいちばんぐっすり眠った。
本当に言葉通り、泥の様に眠った。
帰ってからはご飯もつくらず、お風呂も入らず(化粧も落とさなかった!)夜の洗濯もせずにベッドの中でまるで子どもに戻ったかの様に「いまあるこわいもの」も「あしたの不安」も全てのリストを削除して、一ミリも何も考えずに気づかずにぐっすり眠った。
そしてその翌日の朝は恐ろしい程に気持ちが良くて身体がとても軽かった。
ねむりの沼に全ての錘を沈めてきたようで「ああ、ぐっすり眠った!」と身体を起こして背伸びをした瞬間に昨日までと世界が違って見えたほどだ。
そうすると私は無性に、江國さんの「冷静と情熱のあいだ」を読みたくなってしまった。
それは冒頭に引用したシーンを何故か思い出したからで、他にも好きな場面はあるけれど、あのシーンの葵のことがとくべつに、痛いほど好きだ。
誰かと一緒に、生活していてもいつも孤独であること。
そしてその方が居心地が良いと感じてしまう感覚。痛みが少しある方が心地よいだなんて倒錯していると思われそうだけれど、たぶんそうじゃない。
誰にも、全てを明け渡すことは、わたしにはどうしても出来ない。
そんなことをすれば私は全力でわたしの全てを捧げることに一生懸命になり過ぎて疲れ過ぎてそしていつかわたし自身は無くなってしまう事を知っている。
自分と相手を完全に同化させてしまうのだろうということを分かっている。
それが何より恐ろしく身体と心を擦り減らし疲弊させる事を知っている。
だからそうならない為に、自分を保つ為に、私はいつも少しだけ「孤独」な方を選ぶ。
「孤独」を選ぶことで、正しく、健康に、間違う事なく生きていける。
孤独は最良の友である。
淋しいやつだと言われるかも知れないけれど
“その方”がどうしようもなくわたしにはちょうどいい。
だから私は江國さんの本を読み続ける。
映画もおススメ!