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『バカロレアの哲学』を読んで【本好きの読書感想文】

哲学が彼らに与えるのは、いわば社会で生きる「武器」としての
論理的思考力・表現力なのです。

「バカロレアの哲学」坂本尚志 より

バカロレアとは?

「バカロレア 仏語: Baccalauréat 」とは、 フランス の 国民教育省 が管理する、高等学校教育の修了を認証する 国家試験のことです。(Wikipedia参照)厳密には別物なのですが、日本で置き換えて考えるのならば、大学入試やセンター試験にあたるものと考えても良いと思います。バカロレアには、以下の3つの種類があり、各々の進路希望に沿って受験をします。

  • 普通バカロレア

  • 技術バカロレア

  • 職業バカロレア


バカロレアについて、ちょっと小咄

フランス語の学生が(例えば一年生の頃に教授が教えてくれるキャッチーな話なんかで)よく聞く話の一つに、バカロレアの哲学科目試験が満点だった学生の解答についての話があります。
本書で述べられているところからお借りすると、



「リスクとは?」という設問に対する解答として
白紙の用紙に
「これである。」
と、だけ一言書いたという話。


ジョークなんだけど、なんていうか、すごくフランス「っぽいな」と思ってしまいますよね。因みにバカロレアってその略語の発音「Bac」から、どこぞの国ではセクシーな試験だと揶揄われるというジョークなのか実話なのか分かんない話もあったりするらしいですよ。


本書について


本書によれば,
別にフランス人が皆んな哲学得意です!という訳ではないということ。
分かり易いところから少しづつ紐解く、社会市民になる為の哲学論を纏めたこの一冊ですが、第1章を導入とし、2、3、4章で基本的な構造と知識を教授した後、5、6章では実践と応用についての問題をバカロレア試験などから例題を複数挙げています。

以下は個人的に引っ掛かりや発見など特別興味深い点から得た感想を羅列していますが、上記の構造上1,5,6章については除きました。


第2章「思考の型とは何か?」について

「思考の型」という点から起こる「自由と制約は対立しないのか?」という疑問に対する、ある一つの解答を提示する為の根拠として俳句や短歌を挙げられていたことがとても興味深く、フランス人の哲学的思考というものが日本人にとっての心でもあるこの二つの文学形式に繋がった事は日本人である私にとっては大変納得のしやすい類例となった。
その上で多少飛躍はしたものの、この場合に置いては思考の型という制約から得ることの出来る無限の自由は存在する、という感覚を実感する事が出来ました。


「思考の型」とは、考え方の形式、道筋、手順のようなもののことです。
個人的にはプロトコルみたいなものなのかしら?
といった感覚で受け止めて読み進めました。


第3章「思考の型の全体像」について

また非常に興味深かったのが、バカロレアの哲学論文では個人の体験や感想は切り離されたものとしてある、という事です。

個人的な体験や感想から得られる問題は他の人にも当て嵌まる確証はない為無効な根拠にしかならない。

そこで有効になるのが、小説や絵画、音楽などの中のみに存在するそれらであるという事。(本書では「カラマーゾフ」を例に挙げています。以下余談ですが、欧州においては何故教養としての文学や芸術が自然と根付いたのだろうという疑問に対する一つの答えをこの点から見つけることが出来るのではないかという推察が出来る気がしました。)


本書で著者は、差異の認識の上に「差異の寛容さ」が成り立つ事を記した上で「批判的思考」によって自分自身の知識や与えられた知識が正しいのかを疑う事ができると述べています。

そうして私が考えたのは、

批判とは否定する事ではないという事でした。
自己と他者、そして世界にある差異を見つけ、
それに向き合う為のものなのだという事です。



第4章「労働、自由、正義ー何がどのように教えられているのか」について

自由を定義する、その出発点にあるのは
「自由とはなにか?」という問いを作ることにあると述べている本書では、問題を解く力よりも問題を立てる力に対しての重要性を記しています。

しかし、そもそも解く力が無ければ立てる力は出来ません。そして解く力として一つの武器になるのが「思考の型」であり、その中には多くの知識が必要であることを述べています。

そこでこの章では自由意志から決定論、自然法から実定法など様々な視点をアリストテレス、スピノザ、プラトン、マルクス、エンゲルス、リヴァイアサンからニーチェその他多くの哲学者を引用しながら論述していました。
中でも感銘を受けたのは、

正義を規定するものは「法律の一般性と具体的なものを調停する洞察力あるいは実践的な知性でなければならない」と述べ、未だ発見されていない法を予見するのは理性によるのでは無く「慈愛」でありそれは「賢者の正義」だ

本書より引用したライプニッツの言葉


と記述されていた部分です。

これは法律が画一的なものでは無く、ある意味相対的であり、その相対性の起点に人間がいることによって感情の篭った一種生き物のような動きをするものだという感覚を持っていた私にとって一つの根拠となる大変大きな提示となりました。


哲学とは?


哲学って誰か特別な人がマニアックに追求するものでは無くて、普段の日常で暮らしている私たちがふと思う事や感じる事を第三者に伝えたい時や、逆に自分だけの中に留めておきたい時に必ず「あるもの」なんじゃないのかなと感じます。



通勤電車とかでも隣に立ってるおじさんやお姉さんが
今その瞬間に実は哲学してるかも知れないって考えるだけで面白いし、
それを思って思考を巡らせる事が既にもう哲学なんじゃないの
って思っちゃうわけで…
と、まあそんな風に
気楽に楽しみたい学問だなって思っています。

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