『SOTNER』を読んで【本好きの読書感想文】
本の概要について
本のあらすじ(KEY WARD)
ある一人の男の一生を描いた小説。
本のあらすじ(ストーリー)
STONERを読む意義とは?
果たして彼は幸福であったのか、それとも不幸であったのか。
その生涯において繰り返された不可抗力的な(時には嵐の様な)出来事たちによって成す術もなく薙ぎ倒されていった彼自身を知ったとき、私たち読者が見出すものは何だろう。
人生とは?という問いに対する一つの答えを内包し、慰めとなるこの美しい物語は、半ば永久的に私たちの心に寄り添い続けてくれるはずです。
本の感想
確かに、ウィリアム・ストーナーの生涯は、平々凡々としたものであり、多くの人がそうであるのと同じように、何ら特筆すべきもののない一生であったと言い切って良いものかもしれません。
ですが幸運なことに、彼は困難の中に生まれながらも偶然にも文学への扉を開くことが出来ました。しかしそれは次なる困難へと続く扉でもあり、彼の人生はずっとそうした「困難と小さな喜び」を繰り返していたように思います。人生山あり谷ありという言葉があるけれど、まさにその通り。
たぶん、困難(それは「不幸」とよんでもいいかもしれない)の分量は、小さな喜び(そしてこれは「幸せ」と呼んでもいいのかもしれない)よりもずっと大きく、彼の人生の中の大部分をを占めたものだったかもしれれない。
だけれど、おそらくどの人の人生もきっとそうで、
「幸せ」よりも「不幸せ」であることの方がきっと多いのだと感じます。
だからこそ、この物語を読んだ私たちは、
彼のその生涯に自分のそれを重ね合わせ、
彼に対する「深い哀しみ」と、
それ以上に「深い親愛」の気持ちを
抱かずにはいられないのだろうと思います。
一番はじめに、この本を開いた瞬間に「とても静かな本」だと、そう思いました。
だけれど、読み進めていくうちに全く異なる感動を得ることになったのが、少し意外だったのです。
それは、静けさの中に宿った「嵐のような情熱」や「何かを希求する切なさ」が洪水のように止め処なく押し寄せてくることによって引き起こされた感動であり、だけれどその奔流は時に苦しさを感じさせるほどでもあったのです。それでも、最後の数ページ、数行を読むうちに心は再び静けさを取り戻し、まるで深い安息に包まれたような気持ちになりました。
明るい日差しに包まれた夏の午後の日のような心地の良い囁きを包み込む
静謐な世界を、私たちはずっと望んで生きているのかもしれない。
そんなことを不意に思って、暖かな気持ちで読み終えました。
読み終えて(エッセイのようなもの)
最後の一行を読み終わり、
背表紙をと閉じたら、ぱたんと軽い音がした。
その瞬間、ウィリアム・ストーナーの生涯は再び閉じられたのだと感じ、
私は物語の世界から現実に戻った。
それでも心の中には、どうしようもない深い悲しみと愛しさが溢れかえっていて、その気持ちから離れるためには少なくない時間が必要だった。
深呼吸して、閉じた本に再び目を落とす。
ちらりと見えた赤。
残されていたのは、
秘められた情熱と日々と、それを覆い隠す静謐な余白だけだった。
物語について考えたこと
なぜ、この物語が読者の心をこんなにも惹きつけるのか?
彼の人生における「ある部分」は、確実に私たちの人生における「ある一部」と重なる。その「ある部分」が“どの部分”であるのかは、その人その人(読者)によって違うのだろうが、そんなことは大した問題にはならない。重要なのは、
彼の生涯で繰り返された困難(「不幸」)と小さな喜び(「幸せ」)が、
私たちの人生にぴったりと重なるように寄り添って、
親愛の感情を抱かせる点にあるように思う。
そしてこの点こそが、この作品が時を経て現代に蘇り私たちの前に現れてくれた理由であり、更には再びこの小説が忘れ去られるということがあったとしても、きっともう一々度(文学を愛する誰かによって見出され)その次の時代でも読み継がれることだろうという確信をもたらしてくれる大きな根拠でもある。
この物語を読めば、一人の男の「平凡でつまらない人生」の内にあった、耐え難い困難の日々やそこに起こった感情の機微が鮮明に映り込んでくる。そしてこれらの情景を捉えた者だけ(読者)が、その人生を生きた男の形を浮び上がらせ “ウィリアム・ストーナー” という親しみと悲しみを備えた人間の像を結ばせる。
そうして鮮やかに蘇った彼の吐息は、私たち読者の中に半ば永久的に留まり続けることになる。だからこの彼の生涯はその物語を終えた後でも、私たちの心に静かに寄り添い、その場所で密やかに生き続けるのだろうと考える。これからも末永く広く読者へ読み継がれる物語であると強く思わせてくれる、傑作と言って良い作品。
風景描写の美しさ
随所に表れる美しい風景の数々。
これはまさにウィリアム・ストーナーという人物が見ていた景色であり、私たち読者も作者が描写した表現を通して、彼の見た景色を見ることになる。
つまりそれは彼の目が美しい風景を捉えることのできる澄んだものであったということであり、その澄んだ目には最後まで美しい光が宿っていたのだということを、最後に彼が見た景色は、物語っている。
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