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『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その29 武藤 里伽子は杜崎 拓をいつ好きになったのか? パート6

タグ: #読書の秋2021 ,#海がきこえる,#海がきこえるⅡアイがあるから,#氷室冴子,#スタジオジブリ,#アニメ,#小説,#考察,#ネタバレ

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 前回、里伽子の「東京行き」計画の舞台裏と、拓が里伽子の「居場所」になった瞬間について考察しました。

 今回、東京で里伽子を待っていた「救いようのない出来事」について考察したいと思います。

なお、該当する拓に関する考察記事を合わせて読むと、このシーンへの理解がより深まると思います。

〇関連記事:『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その14
      『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その15


「つなぎ」としての拓ー里伽子にとって「希望」から「失望」へと変わっていく東京行きー


 高知空港でのやりとりのあと、里伽子と拓は機上の人なります。
 父親のいる東京に近づいている「安心感」からか、里伽子は、拓に気の抜けたひどく緊張感のない笑顔を見せます。
(飛行機の機内での里伽子の心境について、以前考察したとおりです。)

 前回考察したように、友人の小浜が東京行きを取り止めたことで、拓が里伽子の東京行きにつきそうことになりました。それによって拓は、高知における里伽子の新しい「居場所」となったわけですが、いまだその「居場所」は不安定であったと筆者は考えます。

 なぜなら、この時点で里伽子は以前のように東京の父親と一緒に暮らしたいと考えていたからです(結局、救いようない現実を思い知らされて叶うことがなかったのですが)。
 東京の「父親」という絶対的な「居場所」に戻ることができさえすれば、高知における「拓」という「居場所」は必要なくなります。それゆえ、里伽子にとって、(この時点では)拓という「居場所」は、東京の父親に会うまでの「即席」あるいは「つなぎ」としての「居場所」であったように思えるのです。

 拓にとって里伽子との旅は、「見せかけの絶不調」から「絶好調」へとなっていく「幸せな旅」であったのに対して、里伽子にとって物語の「中間点」である拓との旅は、「見せかけの絶好調」から「絶不調」へとなっていく「不幸な旅」であったのです。

 「アニメ版」、DVDパッケージの裏表紙になっている成城の坂道を2人連れ立って歩くイラスト(考察その1のタイトル画像)は、「アニメ版」の「中間点」であるとともに、2人の「好不調」の波が「アニメ版」で、唯一ピタリと一致していたシーンであると筆者には思えてなりません。


「アニメ版」里伽子の名字の謎ー「ハードカバー版」にその答えがあったー


 飛行機で羽田に降り立った里伽子と拓は電車の乗り継ぎを経て、里伽子の父親のマンションのある「成城」(せいじょう)にたどり着きます。

美香さん「どなたですか」
里伽子「あのう…武藤さんですか?」
美香さん「そうですけど…」

 里伽子は玄関のインターフォンで父親を呼び出しますが、出たのは聞き覚えのない女性の声。里伽子の顔に困惑が広がっていきます。
 風雲にわかに急を告げてという状況に入っていくシーンなのですが、視聴者の中で、気をつけてみている方には、里伽子同様に「ある困惑」が広がっていくと思います。

「里伽子の父親の名字って、離婚したはずなのに”武藤”名字なの?」

という困惑が。また、このシーン「文庫版」の読者だと、

「あれ、里伽子の父親の名字は"伊東"なのでは?」

と別の疑問が出てきます。果たして、真相はどうなっているのでしょうか。

  「アニメージュ版」において、里伽子の父親の名字は"武藤"(「連載第九回」)であることから、「アニメ版」もそれに倣(なら)って”武藤”になったものと思われます。
 その後、刊行された「ハードカバー版」でも"武藤"なのですが(「ハードカバー版海きこ」第四章 128ページ)、「ハードカバー版海きこ2」の記述(第一章 11ページ)から、里伽子の両親がたまたま同じ"武藤"名字だったことが明らかになるのです。
 ただ、名字の種類が少ないお隣の国と違い、同じ名字同士で結婚というのは、いささか違和感を覚える部分でもあります。

 それゆえに「文庫版」から里伽子の父親の名字は、"伊東"に変更されたのだと推定されます。

 このシーンにおいて里伽子の父親は、里伽子が借りていたお金を拓に返しています。以前の考察で書いたように、ハワイ以来、拓と里伽子がお互いに対する「関心の継続」に大きな影響を与えていた、「お金」のつながりが解消されてしまいます。

 里伽子と拓の恋物語は、ここでおしまいになる可能性もあったはずですが、読者の方もご存じのようにそうなりませんでした。
 なぜなら、父親という「居場所」を喪失した里伽子がホテルの拓の部屋に飛び込んできたからです。


「つなぎ」から「避難所」へー里伽子が拓のホテルの部屋に駆け込んできた理由(わけ)ー


 東京か近県に、親戚がいるんなら、どうして昨夜(ゆうべ)、そっちにいかなかったんだと恨みたくなったが、父親のことがショックで、それどころではなかったんだろう。
「海きこ」第四章 168ページより引用

 翌日、ホテルのティールームで岡田と会ったのち、急に親戚のところに行こうとする里伽子を見た拓は昨日部屋に駆け込んできた里伽子の心境をこう推察しています。
 「父親のことがショック」でという理由は確かにあると思うのですが、里伽子の視点に立った場合、ホテルの拓の部屋に里伽子が駆け込んできた理由はそれだけだったのでしょうか?

 里伽子が拓の部屋に駆け込んできた原因ー大きく2つあると思います。

 1つは、(父親のマンションに行き、里伽子の母親が隠していた事実の一端を知ったことで、)「味方」だと信じていた父親が「自分の味方」でなくなっていたことを悟ったから。

 そして、もう1つは、信じていた父親が、(自分たち一家を家庭崩壊のすえに「高知」に追いやった張本人である)不倫相手の女性(美香さん)の「味方」になっていて、里伽子にとって(家族の幸せな思い出の残ったマンションの「現状」を無断で変更して、)帰るべき「居場所」を破壊してしまったから。

 帰るべき「居場所」である父親とマンションを一度に喪失した里伽子。

里伽子「あたしって かわいそうね…」(サッと左手で左眼をこする)

 拓の部屋で「飲み物」を飲みながら、独り言のようにつぶやく里伽子のセリフからわかるように、里伽子が拓の部屋に駆け込んできた理由ーそれは、「居場所」である拓にかわいそうな自分の抱える「救いようのないかなしみ」を受け止めてもらいたかったからです。
 そして、里伽子が叔母のところに真っ先にいかなかったのは、里伽子の叔母が里伽子のかなしみを受け止める相手(居場所)でなかったからです。
(かなしみを拓に吐き出したのち、岡田と会い「現実」を受け入れて「大人」になったからこそ、里伽子は叔母のところに行くことができたともいえます。)

 東京行きの当初、「つなぎの居場所」でしかなかった拓が、里伽子のかなしみを受け止めたことをきっかけに、里伽子にとって「避難所」としての性質を持った「居場所」になっていくのです。
(東京から帰ったのち、里伽子は小浜のことも高知での「居場所」として友人関係を続けています。筆者は里伽子が、小浜を「日常の居場所」、拓を「避難所としての居場所」として共存させようとしていたのでないかと考えます。)

 「避難所」としての拓の存在ーのちのいくつかの出来事でそれを裏付けることができます。

 「元カレの岡田に見栄を張る」「学園祭でのつるし上げ事件」や「大学生となって拓との再会」、そして「美香さんが体調を崩した事件」。そのすべてにおいて里伽子は、拓に助けを求めて(あるいは頼りたかった)います。里伽子にとって、拓はどうにもならない感情や事件を抱えたときに頼るべき「避難所」のような存在だったのです。
 のちに里伽子と拓はお互いの想いを告白し、晴れてつきあい始めるのですが、「避難所」としての拓の存在は変わることなく続いています。

 里伽子にとって、拓は必要になったときに頼る相手なのですが、他人にはそれが「ワガママ」に見えていたようです。

「こっちから電話するまで、連絡よこすなってわけか。なんかワガママなコだな」
「いや……」
 そうでもないぜ、といおうとして、さすがにそう言い切ることに迷いが出てしまった。ゆるせ、里伽子。心のなかで、ひそかに謝った。
「海きこ2」第四章 174ページより引用

 のちに、大学での拓の友人である「水沼 健太」(以下、水沼と略す)が自身の経験から里伽子を「ワガママ」だと評しているくだりです。かく言う拓自身も高校時代は、里伽子の身勝手さを「ワガママ」と思っていました。
 ですが、大学生になって里伽子と再会を果たした拓は、知沙と話す中で(高校時代の)里伽子の「ワガママ」の意味(拓に助けを求めていた)に気づき、里伽子のアパートで「ワガママだけど好きだった」と告白するに至るのです(「海きこ」第五章 216~224ページ)。

 はからずも、拓を「避難所としての居場所」とすることになった里伽子。拓に悲しみを吐き出しながら、いつしか深い眠りにつきます。
 拓は、眠りについた里伽子が風邪をひかないように毛布をかけてあげます。そして、拓自身は狭くて窮屈なお風呂の浴槽で眠ります。
 自身を少しでも「かわいそうな境遇」に身に置くことで、かわいそうな里伽子の境遇を心から共有したかったからこその拓の行動だったと筆者は考えましたが、里伽子が拓の想いに気づくのはもう少し先のことになります。

 翌朝、目覚めた里伽子は、拓がお風呂で寝ていたために「不便な思い」をするのですが、そんな里伽子の心の内を見てみましょう。

 あたし、いつの間に眠ってしまったんだろ。毛布…そうか、杜崎くんがあたしが風邪ひかないようにかけてくれたんだ。
 昨日、パパのマンションを飛び出してきたあたしを、杜崎くんは何も言わずに受け止めてくれた。途中でわけわかんなくなっちゃったけど、杜崎くんだから何もかも話せてしまった気がする。(流石にママにやさしくしてあげてと言われた時には少しムカついたけど)
 あたし、杜崎くんのこと単なるお節介な人だと思っていたけど、どうしてこんなにもあたしのことを心配してくれるのだろう?
 そういえば、杜崎くんの姿が見当たらない。(洗面所のドアを開ける。)あっ、杜崎くん、どうして”お風呂”なんかで寝ているの?ふふふ、おかしな人。ソファーやイスを使えばいいのに。でも、これじゃあ支度するのに、1階の洗面所にいかなきゃならない!まったく、もう。
 はあ、これで「東京」にも(「高知」にも)あたしの「居場所」ってないんだなあ。パパはもう、あの美香さんって人にベッタリにだし。あっ!まだあたしにも「居場所」が残っていた!岡田くんだ!
 すっかり忘れていたけど、こっちにいた時につきあっていたカレならあたしのこと大事にしてくれるかもしれない。さっそくカレに電話してみようっと!(岡田が友人のリョーコとすでにつきあっていることをまだ知らない)


 今回、東京での「居場所」をなくした里伽子にとって、拓が新しい「居場所」なっていくシーンについて考察しました。

 次回、岡田との再会と里伽子を待ち受けるさらなる悲劇について考察したいと思います。


今回のまとめ

東京での居場所を喪失し、拓が里伽子の「居場所」になっていくまで

 小浜が東京行きを取り止めたことで、拓が里伽子の新しい「居場所」となったが、当初は、東京の父親に会うまでの「つなぎ」としての「居場所」でかなかった。
 父親のマンションを訪れた里伽子は、父親が「自分の味方」でなくなっていたことを悟る。そして、父親が美香さんとともに、家族の幸せな思い出の残ったマンションの「現状変更」をしてしまったことを思い知らされる。
 里伽子が帰るべき「居場所」である父親とマンションを一度に喪失し、拓の元に駆け込んできたことで、「つなぎ」でしかなかった拓が里伽子のかなしみを受け止めたことをきっかけに、里伽子にとって「避難所」としての性質を持った「居場所」になっていく。

※記事に使用した場面写真は、スタジオジブリ公式サイトが提供する「スタジオジブリ作品の場面写真」のうち、「海がきこえる」のページのものを使用・加工しております。


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