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『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その30 武藤 里伽子は杜崎 拓をいつ好きになったのか? パート7

タグ: #読書の秋2021 ,#海がきこえる,#海がきこえるⅡアイがあるから,#氷室冴子,#スタジオジブリ,#アニメ,#小説,#考察,#ネタバレ

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 前回、拓が里伽子の新しい「居場所」なっていくシーンについて考察しました。

 今回、里伽子が元カレである岡田と再会するシーンについて考察したいと思います。

なお、該当する拓に関する考察記事を合わせて読むと、このシーンへの理解がより深まると思います。

〇関連記事:『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その16


「東京」を身にまとう里伽子ー里伽子が「東京」の武藤(伊東)里伽子に戻る瞬間ー


 拓がホテルの部屋を離れている間、「アニメ版」において里伽子は、(東京の)元カレである岡田に会うために身支度をします。「元カレと会うため」、そして父親のことで傷ついた「自分の心を奮い立たせるため」の里伽子の気負いが感じられるシーンです。
 ドアを出たところで里伽子は部屋に戻ってきた拓とバッタリ出くわします。拓に見送られて里伽子は1階のティールームに向かうのですが、里伽子の気合いの入った身支度が意味するのは、自分の心を奮い立たせて元カレに会うためだけなのでしょうか?里伽子が岡田と会う理由を見直してみましょう。

 里伽子が岡田と会う本当の理由ーそれは、懐かしいからでも元カレだからでもありません。昨日、父親という「居場所」をうしなった里伽子にとって、「東京」での自分の「居場所」(この場合、学校というかつての里伽子が所属していた「世間」の居場所)がまだ完全に喪失されていないことを確認するためです。その象徴となる人物が元カレの岡田だったというだけなのです。
 「高知」に来たことで世間からズレてしまった里伽子。自らを飾り立て、華やかな「東京」を身にまとうことで、里伽子は自分がまだ「東京」の人間であると再確認しようとしていたのです。

 「アニメ版」、ドアの前で鉢合わせした里伽子は、拓に(外見の)変化を見せつけます。里伽子の姿に驚く拓ですが、拓が気づいたのは、里伽子の(外見)の変化だけでありませんでした。

 「アニメ版」、里伽子に呼び出されて岡田と会った拓は「見栄を張る」里伽子と「くだらない」岡田の会話に腹を立てて、ひとり部屋に戻ります。拓は、岡田と話す里伽子の姿を思い出しながら、里伽子への失望を心の中で口にします。

拓「ぼくはがっかりしていた あの いつも堂々としていた里伽子が東京では つまらない見栄を張ってあんなバカ男とニコニコ笑ってるだけのコだったなんて」

 以前の考察でも引用した拓のセリフですが、拓ががっかりした理由ーそれは、岡田と話す里伽子が外見のみならず、内面までも「東京」を身にまとっていたからです。
 それは、岡田と会っていたときの里伽子が、拓が好きになった「高知」に来たことで「ズレて変質した」里伽子でなかったことを意味しています。

 岡田との再会ーそれは、里伽子が「東京」での「居場所」を再確認するとともに、「東京」の武藤里伽子に戻るための瞬間でもあったのです。

 以前の考察でもふれたように、「アニメ版」(正確には「アニメージュ版」と「アニメ版」)と「小説版」(正確には、「ハードカバー版」と「文庫版」とで、このシーンにおける岡田との会話はかなり変更されています。

 なぜ、このシーンが変更されたのか理由は定かでありません。筆者なりに考えると、それは小浜のときと同じ理由だろうと思われます。
 まず、岡田がその後の物語に一切登場しないことから、岡田が拓と里伽子(と物語)に与える影響を小さくしたかった。
 そして、「アニメ版」において、拓が里伽子に「がっかり」する、里伽子が拓の「やきもち」に気づくという、2人の「感情の変化」を省略することで、2人がより素直にお互いに惹かれていくような展開にしたかったのではないかと、筆者には推定できるのです。


岡田を呼び出した里伽子ーこの時点で里伽子は拓のことが好きになっていたのか?

 里伽子は岡田を呼び出して、ホテル1階のティールームで会います。岡田から里伽子の友人でもあったリョーコとつきあっていることを打ち明けられた里伽子は、さっそく「避難所」ともいえる拓に助けを求めます。
 理由は言うまでもなく、元カレの岡田に対して「自分にも高知に来てから、拓というボーイフレンドができた」という「見栄を張る」ためです。
 

里伽子「杜崎くん 悪いけど一階のティールームに来てくれない?」
拓「どうしたが 財布忘れたがか」
里伽子「いいから来て 助けると思って すぐに来て」

 以前の考察で見てきたように、父親のことで傷ついた里伽子の想いを共有しようとしたことがきっかけとなり、拓は、里伽子のワガママも、里伽子に振り回されることも、「里伽子という女の子の個性」として受け入れることができるまでになっていました。拓は(岡田が待っているとも知らずに)1階の里伽子の元に向かいます。

 岡田と再会する前の段階で、里伽子は拓のことを好きになっていたのでしょうか?「アニメ版」のクライマックスシーンに、このシーンに関連する印象的な里伽子のセリフがあります。

里伽子「ふふっ 東京にね あたし会いたい人がいるんだ」
里伽子「誰かっていうとお…その人はね お風呂で寝る人なんだよ」
(思わせぶりな笑顔を浮かべ、小浜(視聴者)に背を向け立ち去っていく)

 この(里伽子が岡田と再会する前の)時点で、里伽子が拓を好きになっていたかと言えば、イエスでありノーでもあると筆者は考えます。
 なぜかというと「アニメ版」「拓の部屋に駆け込んできたシーン」について2つの視点で考える必要があるからです。

 まず、イエスであるのは、「アニメ版」クライマックスにおいて、「大学生」の里伽子が「お風呂で寝る人なんだよ」というセリフを口にしているからです。言うまでもなくこのセリフには、拓が「お風呂で寝たこと」を指すとともに、この時の出来事がきっかけで拓を好きになったという意味が含まれています。
 それゆえに、先の里伽子のセリフから、「大学生」となった里伽子が高校時代の東京旅行を振り返ってみた場合、この時点で里伽子が拓を好きになっていたかといえば、イエスだといえるのです。

 一方、ノーであるのは、高校時代の里伽子にとって、拓が「避難所」といえる存在になったにも関わらず、(拓がお風呂で寝た)翌日、元カレである岡田と会っていたからです。
 のちにノーがイエスに変わったことからわかるように、里伽子は(無意識のにうちに)拓に対して漠然とした好意を感じ始めていたと思われます。ただ、この時点で里伽子が拓のことを本当に好きになっていたら、(東京での「居場所」をなくしたショックが尾を引いていたとはいえ、)わざわざ元カレと会ったりするものでしょうか?
 それゆえに、高校時代の里伽子は、この時点で里伽子が拓を好きになっていたかと言えば、ノーと言わざるを得ないのです。

 かつての「居場所」であった岡田から友人とつきあっていることを知らされた里伽子は、父親と岡田という「東京」での2つの「居場所」を喪失してしまいました。
 「小説版」の拓の述懐にあるように「救いようのない状況」ですが、このことがきっかけとなって里伽子の心境にある変化がおとずれます。


「里伽子は まるで30分で一気に大人になったみたいだった」ー里伽子にとって絶対的だった「東京」が相対化するときー


「アニメ版」、里伽子に呼び出されて1階のティールームにやってきた拓でしたが、里伽子と岡田の会話のくだらなさに腹を立てて、2人を残して部屋に戻ってしまいます。

拓「まったく くだらんちゃ お前も そっちの男も」(その場を去る拓)
岡田「ふっ 彼 ぼくのことでヤキモチ妬いてんのかな 悪かったなあ」

 岡田は、拓が立ち去った理由を「自分にヤキモチを妬いた」(拓が(ガールフレンド)である里伽子のことで嫉妬した)と誤解します。拓の述懐を踏まえるなら的外れな見解でしたが、一方で拓の里伽子に対する想いに関して言えば、岡田のセリフはまさに正鵠(せいこく)を射ていたと言えます。
 「小説版」において、大学生となった里伽子は「拓が自分のことを好きなんだろうと思っていた」と拓に打ち明けているのですが(「海きこ」第五章 236ページ)、このことを踏まえるなら岡田の一言は里伽子が拓の想いに気づくきっかけであったと言えるかもしれません。

 ですが、この時、里伽子の心の中で大きな変化が起こっていました。拓の部屋に戻ってきた里伽子は、拓に対して心境の変化を打ち明けるのですが、その背景に何があったのでしょうか?
 まず、このシーンの里伽子のセリフを読み解いていくと、2つの変化があったことがわかります。

 1つは、里伽子が見栄を張って拓を呼んだ自分自身と、自分のことしか喋らない岡田のくだらなさに気づいたこと。
 そしてもう1つが、里伽子が高知に転校した里伽子に関心を示すことなく自分のことしか喋らない(かつてつきあっていたときに気づかなかった)岡田の人間性に気づいたこと。

 里伽子は、自らを飾り立て、華やかな「東京」を身にまとうことで、自分がまだ「東京」の人間であると再確認しようとしました。しかし、岡田が友人とすでにカップルになっていたことを知ります。父親のみならず、元カレの岡田という「居場所」をも喪失する里伽子。
 「東京」における2つの喪失に直面した結果、里伽子の中で「絶対的」であった「東京」が音を立てて崩れ去り、里伽子は「相対的」な視点で「東京」(この場合、父親や岡田のことも含みます)を見ることができるようになったのです。
 それはちょうど、拓の考察で触れたように、大学生となって高知に帰省した拓(や松野、清水や小浜たち)が故郷の「高知」と進学先の「東京」(や京都など)の文化圏の違いを実感して、「世界が狭かった」ことに気づいたことと同じです。

 里伽子は、東京行きにおける2つの喪失を経て、(東京にいたころの自分の)「世界が狭かった」ことに気づいたのです。
 「高知」という新しい世間でズレて「個性」が変質してしまったことで、いくら自分を飾り立てて心身ともに「東京」をまとおうとしても、里伽子は元の自分に戻ることが叶わないのです。たとえ、本人がどれだけそれをのぞんだとしても。

拓「里伽子は まるで30分で一気に大人になったみたいだった」

 「大人になった」と拓が述懐した里伽子の心境の変化には、「東京」「相対化」が背景にあったのです。
(一方で、里伽子は、高知をまだ「相対化」するに至っていません。なぜなら、この時点の里伽子は高知という「世間」にドップリつかっているからです。里伽子が高知を「相対化」するのは、大学進学後一度高知から離れて東京に戻ったのち、夏休み高知に帰省するのを待たなくてはなりません。)

里伽子「ひどい東京旅行になっちゃったわね」

 里伽子は拓の部屋を出て叔母の元に向かう前に、拓の方を振り返りながら、こうつぶやきます。

 それはぼくにいっているというより、自分にいっているみたいだった。このときの彼女に、ボクを思いやる余裕があったと思えないから、ほんとうのところ、自分にいっていたのだろう。
「海きこ」第四章 169ページより引用

 拓の考えはともかく、里伽子の視点に立ってみれば、ハワイへの修学旅行で拓に嘘をついて以来、ずっと「うしろめたさ」を感じていました。今回の東京行きでも拓を振り回してしまった里伽子。
 特に岡田との会話で、拓の本音はどうであれ怒らせてしまったことで、里伽子は拓への申し訳なさを感じていたはずです。なぜなら、拓の部屋に戻ってきた里伽子のセリフには、岡田と話していたときの「見栄」「嘘」でなく、里伽子の「本音」が語られていたからです。

  拓への「うしろめたさ」から(うっすらと拓の好意に気づきつつも)、(岡田と会ったのち、叔母のところに行くために拓と別れた時点で)高校時代の里伽子は、いまだ拓のことが好きでなかったと考えます。
(先に書いたように、大学生となった里伽子の視点で振り返ってみるならば、拓のことが好きになっていたといえますが)

 里伽子の拓への好意は、東京から高知に帰ってきたのち、母親との確執や心無い同級生たちの「噂」に晒される中、急速に膨らんでいったものであるように思えるのです。

 最後に、拓の部屋を出て叔母のところに向かおうとする里伽子の心の内を見てみましょう。

 はあ、岡田くんがリョーコとカップリングしていたなんて、やっぱりショックだったなあ。しかもあたしがいなくなってからたった2ヶ月でつきあい始めるだなんて。岡田くん、以前はよく気のつく優しい人だと思っていたのに。でも今は、岡田くんが他人にしか思えてならない。
 あたしのつまらない「見栄」のために、杜崎くんを呼び出したりして本当に悪いことしちゃったなあ。杜崎くん、途中で怒って帰っちゃうし。本当にあたしや岡田くんがくだらなくて怒ったのかな?それとも、岡田くんが言うようにあたしのことでヤキモチを妬いたからなのかな?
 あたし、本当に高知に来てズレちゃったんだなあ。パパも岡田くんもあたしから離れていってどんどん東京が遠くなっていく。もちろん、高知にだってあたしの居場所なんてどこにもない。
 でも、杜崎くんと話をしているときだけ、あたしは自分の気持ちに素直になれる気がする。
 あたし、杜崎くんにいつの間にか頼りきっている…

 今回、岡田との再会と、「居場所」喪失に伴う里伽子の心境の変化について考察しました。

 次回、里伽子と拓の恋物語と対立の山場を見ていく前に、拓同様に里伽子のことを(コッソリと)気にかけていた一人の女の子について考察していきたいと思います。


今回のまとめ

岡田と再会したのち、里伽子の心境が変化していくまで

 里伽子が岡田と会ったのは、東京」での「居場所」がまだ完全に喪失されていないことを確認するため。里伽子の着替えは里伽子が東京の人間に戻る瞬間でもあり、スイッチとしての意味合いもあった。
 岡田との再会シーンは、「アニメ版」と「小説版」で展開が異なるが、岡田が拓と里伽子に与える影響を小さくしたかったことが要因の一つとして考えられる。
 岡田と会う前において、里伽子は拓が好きかどうかについて、イエスでもありノーでもある。(大学生の時点と、高校時代とで異なっている)
 岡田が去ったのち、父親と元カレの2つの居場所を喪失したことで、里伽子の心境に大きな変化があらわれる。里伽子は「相対的」な視点で「東京」を見ることができるようになった。
 叔母の元に向かう時点でも、里伽子は「うしろめたさ」から拓に好意を抱くに至っていないと考えられる(拓の好意には岡田のセリフから気づいた可能性がある)

※記事に使用した場面写真は、スタジオジブリ公式サイトが提供する「スタジオジブリ作品の場面写真」のうち、「海がきこえる」のページのものを使用・加工しております。


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