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働き方改革は自分本位に考えよう

とある、5年前、10年前。
毎週土日出勤、終電で帰れない会社員時代をふと思い出す。
誰も不平不満を言わない日曜日のオフィス。
僕が、みんな何がたのしくて生きてるんですかね、ロボットみたい。
と言ったら、ふざけんなってめっちゃ怒られた。

未だに、あの時、2、3発殴っておいてもよかったのでは。
というような、シーンは何度もあり。
25歳から34歳の9年間の会社員生活が、
途方もなく無駄だったように感じることもあれば、
あれがあったからこそ、今があるのだと、
感謝など微塵もないものの、そこに価値を見出したい気もしている。

僕自身が、会社勤めに向いていない人間なのだと気付くまで、
9年かかり、もがき苦しんだ。

僕がフリーランスに転向した理由はまったくポジティブではない。
転職を繰り返し、どこに行ってもしっくりこず、
精神を病んだ。
最後となった会社が僕に告げたのは、
現場に出られない人間に払う給料はないし、
休職制度もないし、何も保障はしない。
辞めるとしても会社にマイナスになるので、自己都合にしろ。
そういうものだった。

ここまで、自分の時間を犠牲にして、
毎週の土日も休めるかわからず、
終電で帰ることができたらラッキーな日々。
別に高い給料をもらっているわけでもない。
大好きだったじいさんの葬式にも行けなかった。
妹の結婚式にまさかの偶然で行けた。
夏休みも有休もない。
そんな日々。
仕事ができなくなったら、会社は人間なんて、
ポイ捨てする。
僕の何かがプツンと切れた。

こんなところに中間マージンを落とすなら、
全部自分でやろう。

フリーランスになるのなんて簡単である。
税務署に開業届という紙を1枚出すだけ。
そこからまた地獄。
2014年の開業初年度は年間売り上げ3万行ったか行かないか。
とてもじゃないが、都内のひとり暮らしは撤退し、実家へ戻ることとなった。

やっと、ひとつ大きな仕事が決まったのは2017年のこと。
それまで、コンビニの夜勤で食いつないだ。
そのひとつの案件がなかったら、
今でもコンビニでレジを打っていたのかもしれない。

開業してからのここまで。
自分の人生はまだ落ちていくのかと眩暈がしたものだ。
そして、ネジが61525本くらいどっかに飛んで行った。
もう、どうでもいい。う○んこ投げてやる。
自分のやりたいようにやる。
図々しくなったし、ひとを見る目もやっとついた。

顔合わせして、いいことばっか言ってくる会社は、
だいたい、裏切るし、基本的に自分たちのほうが立場が上だと考えている。
嘘をついていたり、小バカにされているのはすぐわかる。

ネガティブすぎるのも困るのだが、
若干でも自分たちと取り引きするリスクの話ができたり、
人間っぽいとこが感じられないとあんまり長い付き合いは期待しなくなった。
すごく僕の感覚的なことなので、言語化は難しい。

あー。ほとんどむかし話の自分語りになってしまった。
僕みたいなロストジェネレーション世代などは、
仕事があれば、就職さえできれば、なんでもします、だった。

でも、今は、会社のために何もかも犠牲にしてがんばれって言われても。
いや、そんなの知らんがなである。
それで、自分へのリターンはあるのか?
お金、スキル、やりがい、個々人が仕事をすることで求めるものもいろいろだし。
若者に限らないはず。
それを相手、取引先、勤務先に求める時代だし、求めるべきだとも感じる。
ひとを雇う側なら、そこを提示できないと厳しい。

がむしゃらに働いた先に待っているのは、
誰も助けてくれない寂しい老後。
多くのひとが気付いてしまった。

今、20歳だから、あと50年生きられるか。
そんな保証は何もない。
明日の朝、目が醒める保証は何もない。

1日1日があたえられたものなのだと。
それに気付いたら、どうせみんな死ぬんだし。
たのしいことをたくさんしたい。
仕事だっておもしろいことをしていきたい。
会社のために、縛られて生きるなんてつまらない。

自分の本当に大事なものって。
大切なひとと自分の時間だと感じる。

つまらない仕事とくだらないコミュニティに殺されないで。
働き方改革は自分本位に考えよう。

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