残る言葉と存在の不思議
なんだかついつい、
良い意味で言動が気になってしまうひとがいる。
10人か15人くらいだろうか、、、
実際に会ったことがあるひとはそのうち数人で、
残りはSNSで繋がっているだけ。
素性は、本当のところは、よく知らない。
こういう距離感の繋がりは僕にとっては心地がいい。
ああ、もう少し仲良くなれたらな、
そう感じていられる距離が、安心するのかもしれない。
どんなに親しい友達になろうと、たとえ家族であろうと、
自分の一定のスペースに、
ズケズケ侵入され始めると、
もうたまらなく疲れてしまうから。
そんなに気難しいことは注文していないはずなのだ。
仲間だというなら、友達だというなら、
なおさら、
僕は僕だし、あなたはあなた。
親しいからこそ、おたがいを尊重する。
価値観はみんな違う。
まったく同じ方向は向けないし、
歩くスピードは違う。
それでも、一緒にいたら心強い。
何かできそうな気がする。
それが僕の仲間だったり、友達だったりする。
話がずれた。
なんだか気になってしまうひとは、
やわらかかったり、
やさしかったり、
まっすぐだったり、
正直だったり、
いろいろ。
いやいや、このご時世、
そんな綺麗ごとみたいな人間じゃ、
ありのままの人間じゃ、
やっていけないでしょ。
ひとの裏側を感じ取るのが得意な僕にとって、
何も感じ取れないひとってなんなの、、、
ここ数年、しばらく不思議だったのだけど、
裏がないものはない、ということらしい。
言葉が頭に残るひとってやっぱりいて、
とても不思議。
波長や温度感が、
僕にとってはちょうどいいのだろうか。
僕には何もできないので、
ただ、ひそかに見てるだけ。
全部、中途半端で、誰の何にもなれない自分の、
欠けた心を支えてくれている言葉と存在。
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