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ひらめきを3Dに。

文章を書くとき、頭の中に立体ができあがるような感覚がある。

具体的には頭の中に縦軸と横軸と奥行きのある数学でいうところのユークリッド空間みたいな場所があって、そこにとある立体を作り出す感じがしている。あくまでたとえ話だけれど、自分の中でなんだかしっくりきている。


文章を書きたいと思う瞬間を考えてみると、それはきっと自分の目の前にあるものやことが、自分の人生ときれいに交わった気づいたときだ。そして、ある出来事に出会ったときに、それととてもよく似ている出来事を知っていたり、あるいは知らなかったりするほど人はおそらく感動しやすい。(よくピザを食べる人がイタリアの本場のピザを食べて感動するとか、生まれて初めて歌手のコンサートに行って感動するとかそういうこと。もちろん、自分の感度を高めていれば日常の何気ないことにも感動する。)

そういうときの感覚を記録したい、うまく伝えたいと思う気持ちが書く、という行動に結びつくのだと思う。


頭の中のグラフと立体の話に戻る。

縦軸としておいているのは感情だ。ただ何となく感じた気持ちというあいまいな点をたくさんつなげて、その出来事に対してどう思ったのか、何がそう思わせるのか、これからそれにどう向き合うのか、というようなことを線にしてその線を何本も引いていく。

横軸は論理(その出来事のとらえ方)だ。難しい出来事ならそれを単純化する仕組み、何かと似ていることなら共通点、初めてのことなら相違点なんかを考える。その出来事がどういうものなのかをあらゆる型に当てはめて、理解しながら線を伸ばしていく。論理構造がしっかりしていていると書きたいことがしっかりしているということになる。感覚的な話であっても、話の展開の仕方や話す順番を整えておくと、文章を書き進める道しるべになると思う。

こうして縦線と横線を何本も何本も引いていると、なんとなくの形が浮かび上がる瞬間がある。「書きたい」が「書ける」になるときだ。別にきれいな正方形や円である必要はない。自分の中でなんとなく、「あ、いいな」と思える形になっていたら書き始める。輪郭がくっきりしていればしているほどぶれずに書くことが出来ると思う。逆にぼんやりとした形であっても書き始めているうちに縦横の長さがだんだんと変化して別の形になることもある。書こうとしていたプロットから大分離れた文章になることも多々ある。

書きたいこと、は頭の中ではまだ平面的だ。平面が立体になるために必要な奥行の軸はこの書き進める作業で出てくる。伝えたいことを伝えようと何かを書き始めるとそこにどんどんと肉がついて勝手に厚みが出てきてしまう。これが奥行きだと思う。どういうたとえ話をするか、接続詞は何を使うか、どういう文章構成にするかなどを決めていくうちに、その人らしい形になっていく気がする。

肉厚にしすぎるとおデブになり、そぎ落とし過ぎると貧相になってしまうので、その形にしっくりくる奥行きをなんとなく探す。なんかこう、筋トレとかダイエットとかそういうものをしてなんとなく目指している体に近づいていくようなそんな感じで。


最後に文章の体裁を整える。優しい文章にしたければ「ですます調」にして立体の角をとる。感情に任せてできた粗削りでゴツゴツとした立体なら短文にまとめ、出来るだけ語感の強い言葉にそろえる。書いてみたものよりもっといい例を思い付けば交換したり足したり引いたりして奥行きを調節する。全体を見て、細部を整える。納得するまで何度でも何度でも繰り返す。

大事なのは初めに書いた粗削りの平面の図形のいいところが壊れていないこと、全体のバランスが取れていることだと思う。体型や人柄を考えながらその人にあった洋服を選んであげるようなイメージに似ていると思う。


思い付いたままに書くこともあれば、しっかりと骨組みを作ってから書くこともある。でもやっぱり、書いているうちにいつの間にか不思議な立体が出来上がっている。自分にとって素敵な形はやはりお気に入りになるし、人にも見せたくなる。うちの息子がね、なんて話す親たちの気持ちが少し分かる。


自分と世界の交点はいつも平面として体験する。

けれど、そこから自分が何かを生み出すとき立体を作り出し、生まれた立体は少々おそろしいほどに自分をくっきりと映す形になっている。


何かを作るというのは、鏡に映った自分を見る作業なのかもしれない。鏡に傷がついたり歪んだりしていると映る姿もなんだかいびつに見える。そんなへんてこりんな姿を見て、「まあこれも自分か」なんて笑えたら結構楽しいかも、と思う。


こうやってまた、頭の中からふいに飛び出してしまった自分の匂いがプンプンする立体を作ってしまった。書くことはしばらくやめられないのかもしれない。

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