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『ジョジョの奇妙な冒険』に心を動かされた話

ジョジョの奇妙な冒険 第五部に、「真実に向かおうとする意志」という言葉が登場します。

※以下、少々のネタバレを含みます!注意してね!

「そうだな・・・ わたしは『結果』だけを求めてはいない。『結果』だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ・・・近道した時『真実』を見失うかもしれない。やる気もしだいに失せていく。
 大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回は犯人が逃げたとしても、いつかはたどり着くだろう?向かっているわけだからな・・・違うかい?」

これは主要登場人物の一人、レオーネ・アバッキオの元同僚警官が発した言葉です。

アバッキオは生来正義感にあふれる人物で、その生まれ持っての性格から警察官になります。しかし、腐敗した街や警察官内の汚職を目にした彼は失望してゆき、そして、最終的には、彼自身も賄賂を受け取って犯罪を見逃すような、正義感のかけらもない警察官となってしまうのでした。

そんな折、ある事件が彼の人生を変えます。彼の同僚が、アバッキオを庇い、強盗に撃たれて死んでしまうのです。同僚が撃たれる原因となったのは、彼自身の汚職でした。アバッキオは収賄が見つかり警察から追放されると同時に、彼自身の責任で同僚を死なせるという、決して外れない十字架を背負うことになったのです。

希望を失い、罪を背負ったアバッキオは心がすさんでゆき、路頭に迷ってしまいます。しかし、そこでギャング集団パッショーネの試験を受け、見事合格するのです。そして、いろいろあり(詳しくは漫画やアニメを見てね)、彼がパッショーネのボス・ディアボロに殺されたあと、おそらく生死の境目(?)で、彼は同僚の警察官と再会し、この言葉をかけられるのでした。

ギャングになったあとでも、アバッキオの心の底には常に正義の心があったのです。アバッキオは回り道はしたけれど、彼自身の正義に向かって歩み続けていました。元同僚警官のこの言葉は、そのことを表しているように思えます。

さて、自分の人生について考えたとき、なかなかすべてが合理的に進む人は少ないのではないでしょうか。なかには、いろいろなことを先回りして計算し、その通りに人生を送っている人もいるでしょう。そのことを否定するつもりはないし、そういう人生を送れることは、僕はむしろすごいことだと思います。挫折や回り道ばかりの僕にとっては、うらやましいくらいです。

僕のことについて話すと、大学受験で挫折し、学費免除を名目に全く興味のない学部に入学し、それでも学費のために通っていました。その間、いろいろな経験をさせてもらいましたが、正直なところ、今抱いている目標を達成するためには、授業もそれらの経験も、ほとんど必要のないものだったように思います。大学生活に限らなくても、今の自分にとって本当に必要だった経験なんて一握りで、回り道だらけの人生のように感じられます。自分がもし、「人生の脚本を書き直してもいいですよ。」と言われたら、こんなに右往左往した人生は絶対に書かないです。

しかし、結果から見れば、僕の人生は挫折と回り道ばかりでしたが、それでも、「よい人生」という大きな目標は失わずにやってこられたような気がします。「よい人生」というのは周りの人に優しくすることだったり、小さな目標に向かって邁進することだったり、いろいろな意味を含んでいます。ときどき、その目標を見失って、人としてダメだなぁと鬱屈する日もありましたが、なんだかんだ最後には「これじゃだめだ!」となっていたような気がします。

「結果がすべて」だという信念を持っている人は多いです。たしかに、客観的に価値を与えられるのは結果です。例えば、大学受験などがいい例で、入った大学の名がその人の評価を決定づけ、そこに至るまでの道のりは多くの場合見向きもされなかったりします。ある意味、当然のことではありますが、結果だけでは測れないのが、人として生きるということではないでしょうか。大学に入るにしても、そこに行きつくまでには多かれ少なかれ葛藤があったはずで、案外そっちのほうが僕としては思い出されます。

だから、客観的にはたしかに「結果」が大事なのです。でも、やはり一人の主体としての自分を見たとき、僕のアイデンティティを形成しているのは間違いなく、あの挫折と回り道に満ちた生活なのです。そして、あの「必要ない」と思っていた経験たちも、実は現在の僕を形成しているのです。今、僕が向かっている小さな目標にも、それらの経験がなければ行き着かなかったかもしれません。実際のところはわかりませんが、可能性としてはあり得ることです。

そして、「よい人生」という大きな目標があるとして、そこに向かって行く意志さえ捨てなければ、いずれはそこに辿り着くのです。そこにはたくさんの回り道や挫折があるでしょうが、確実に辿り着くのです。また、たとえそこで寄り道をし、無駄だと思っても、無駄は無駄でまた、その意味を持っているのです。この台詞には、サルトルの「実存主義」的な強さが感じられ、荒木飛呂彦先生が「ジョジョは"人間讃歌"をテーマにしている。」という意味が、少しだけわかったような気がしました。

こんなふうに、その同僚警官の言葉は、僕が辿ってきたたくさんの回り道や挫折を、なんなく肯定してくれたように感じられ、また、それが「人間」であることだと、言ってくれたような気がしたのでした。

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