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深夜の考え事 その1

深夜。ふいに訪れる孤独。

今日は小学生時代からの友人とZOOM飲み会をしたのだけれど、いまいち上手に話せなくて後悔が残った。他愛のない話が上手にできない。終わったあと、妙な寂しさに包まれておもむろにPS4を起動した。こんな夜も、ゲームは僕の味方だ。だが、いくら味方だからといって、ゲームは決して僕の心を温めてはくれない。静かな6畳間の片隅で、ウィンウィンと音を立てながら佇んでいるだけである。

眠れるのだけれど眠る気にならないような、微妙な境目をいったり来たりしているあいだに、深夜3時になっていた。明日もまた、試験のための勉強をしなくてはならない。幸い、やる気はあるけれど、小さな、そして奇妙なしがらみたちが僕の邪魔をする。ネガティブな感情。必要以上に悲観的になることはとっくの昔にやめたはずなのに、夜は僕を深みへと連れて行く。朝焼けはまだ見たくない。

過去。犯した過ち。「取り返しのつかない過ちの一つや二つ 誰にでもあるよな そんなもんだろう」と、King Gnuは歌っている。たった20年とちょっとしか生きていない僕にすら、もはやどうしようもない過ちは腐るほどある。これからもその数は増えていくに違いない。

昨日の夕方、You Tubeをふらふらと探索していたら、イチローが、「遠回りしていない人は深みがない。遠回りしたほうがいい。」と言っていた。まあそうだろうと思う。でも、これは自分が遠回りの人生を送っているから思うのであって、人生を合理的なものだと考えて生きていたらきっと賛同できないだろうな、なんてことを考えていた。まったく、不都合ばかりの人生だ。だからこそ楽しいのだ、なんてことは口が裂けても言えないが、今は「人生はそういうものだ」と思って割り切っている。残念ながら、僕はそういう生き方しかできない。

突然、庭を掘ったら石油が出てくるような、突発的な幸せが欲しいと願う。そんなこと、起こりっこないことはわかっている。諦念。そのような幸せが手に入らないからといって、今が幸せでないわけではない。というか、僕より苦しい夜を過ごしている人なんてそれこそ腐るほどいるはずで、そういう人たちのことを思うと、自分が不幸だなんて安易に言ってしまうことほど傲慢なことはない。だから、僕は幸せだと言い続けなければならない。これは、真理だ。

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