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#134 団塊の世代も、人生100年時代新しいネーミングを

おはようございます。fumioです。
今日は、よく睡眠がとれたと実感できる朝を迎えることができました。何となく嬉しい1日のはじまり。
今日、いろいろやりたいことや、どうしましょう?と頭に去来もしています。

さて、本日のお題は、団塊の世代を名前を改名しちゃおーというノリです。

■なりたくない年齢へ
 50代の私って、どのように周りから映るのだろう?と思います。それは、外見の変化もありますが、立ち居振る舞いや考え方など。特に、いちまでも好かれたいとかいう気持ちもないです。

 その人の人となりがあり、ことばやこれまでの過ごしかが立ち居振る舞いにでるような「おとな」になりたい。(現時点での思い)

 「あこがれない」「理想にできない」といった印象です。というか、あこがれや理想を語れるような現時点の周りの風景もあるのでしょうか?私たちと括ってしまいますが・・・。

 なりたい大人が見当たらない。

■そもそも、そんな大人はいないのか?
 若いとき、小学生・中学生・高校生の時期、それぞれに「おとな」って考えると「なりたくに大人もいたけれど、かっこいいおなもいた」。当たり前に、周り・人・仕事と交渉しながらきたけれど・・・。

 意外と「おとなになっていない」自分に戸惑い、がっかりもするけれど・・私個人が、嫌だった両親の姿(癖・考え方)や「おとな」を見上げていたこと「こんな大人になりたくない」にはならないようにとか、「逃げているのか、逃げていないのか?」など考えながら、来たけれど・・。

 中身は、高校生か大学生どまりだ~と「50代のおとな」(おじさん)は感じています。

■反面教師という生き方?
 自分も含め、反面教師になる覚悟で生活するのか?反面教師を探して「あのようにはなりたくないと生活するか?」私は、後者のタイプです。「おとな」になるために、「おとなって、めんどくさいことできる」と感じて今にいたるので、軌道修正はできません。

 プラス、「めんどうなこと」ができるようになれるかな?と臆病な気持ちでいっぱいです。

 そして、選んだ生業で、いろいろ大人に出会い「すごい」から「○○○○」な方に出会いました。最期まで憎めない・弱くなりでも支えたい・ひきつけられる「おとな」から最期に至る前も前なに・・・・。と思うおとなも。

■「団塊の世代」という象徴
 そんな気持ちの私は、「団塊の世代」の方の立ち居振る舞いや姿勢が、私たちの「おとなから高齢者」になるイメージと周りの空気や風景に大きな影響を与えると感じています。

 「ぼけ」「痴呆」が「認知症」とネーミングを変えたことで、「人」にフォーカスして病を得て生きる人になってきているように。

 団塊の世代の方もネーミングをかえて、みたらこれからの「大介護時代」、その後のポスト大介護時代が変わるのではと思います。

■大後悔時代へ
 今のままでは、大介護時代のあとは、団塊の世代の方が「造り」「消費し」(壊し)「与え」「後片付け」を私たちが行い・・・。その後をご自由にとなる社会にしかならない・・・。

 私たちは、団塊の世代の孫にあたる世代に、とんでもないものを残すことになるかもしれない予想はできます。

 団塊の世代のネーミングをかえて、今から行動をかえてもらい、私たちもかわり馴染んでいくこと。

 何か、素敵なネーミングがないだろうか?

 よい1日をお過ごしください

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