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「貶したところで、彼女が優秀なら私は負ける」

先日、ミーン・ガールズという映画を見た。

アメリカのいけてる女子高生が出てくるような映画は、昔から好きで、なんとなく元気を出したい時に見るのが習慣だ。

〈あらすじ〉アフリカで自宅学習をして育ったケイディが学校へ。ひょんなことからスクールカースト最上位の女子の派閥に気に入られ、今どきの高校生活の送り方を学んでゆく。
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という、まあ結構ありきたりな話なんだけど、2004年に公開された映画だとは思えないくらい現代的。

最初は「カーストなんてぶっつぶせ」って仲間になっていくのだけど、徐々に染まっていっちゃうんですよね。というのは、決して仲間になるというのではなくて「やっていること変わんないじゃん!」って友達に言われてしまう。

それで、映画のクライマックスで次のようなセリフが出てきたんです。

「貶したところで、彼女が優秀なら私は負ける」

*

なんとなく最近は正義と正義のぶつかり合いを感じることが非常に多い。

それってお互いに一生懸命だからだとは思うんだけど、たまにそのことが激しくなりすぎて、必要のないところ、本題からかけ離れたところまで貶していることに「なんだかな」と思うんだよね。

なんだろう、例えばマナー違反をしている人がいたとして、口論になった末「ブス」って容姿を貶し始めちゃうような。

でも、これってもはやマナー違反を問題視しているんじゃなくて、叩いている相手に勝ちたいみたいな意地の部分が強くなってしまっているじゃん。それってすごく違う気がしているんだよね。

結局、どんなに相手を貶したり、敵視しても自分が評価されることに直結するわけではないのですよ。うん。

でも、じゃあわたしはどうなのかっていうと、できてないと思うんだよね。嫉妬しても意味がないとわかっていても嫉妬しちゃう。でも、その期間でなにか成長につながることはあったのかっていうと、たぶんなかった。

じゃあ、私はどうしたらいいのか。

そのことを教えてくれたもう一つの作品がこちら。

ファッションに無頓着な浅黄秋に、THEキラキラ女子の春乃がこんなふうにいうんです。(この2人がなぜ交友関係を持つことになったかはぜひ漫画を見てほしい)

「人って、他人の粗が大好きで仕方のない生き物よね…でも、それがなんだっていうの?そんなことでいちいち傷ついている暇があるなら自分を磨けばいい。自分で動き出さなきゃいつまでたっても変わらないのよ」

あーもう、このセリフに関しては、私、毎日持ち歩いているバレッドジャーナルに写経させていただきました。卑屈になっても可愛くなれない、その理由の芯をついた言葉だよね。

誰かに何かを言われたからって、自分が自分を愛せていたら「あ、うん。そうなんだね」って流せる。

今の私がいちいち傷ついてしまっているのだとしたら、それは自分に自信がないからだし、自分のことを好きってはっきり言えないから。

ちなみに大好きな愛沢えみりちゃんが、自身の著書の中で日本では「見た目にこだわる暇があるなら、その分がむしゃらに仕事を頑張ればいい」という風潮があるけど、私は見た目にこだわった方がなんでもうまくいきやすいのも事実と明言したい的なことを書かれていて「あー好き」となったのも思い出しました。

いろんなところに話が飛んでしまったけど、かわいくなりたいなら、他人の目を気にする前に自分を磨くこと。そして、自分を好きでいること。

私がめっちゃ好きだなと思う人は、みんな自分のことが好きだから、今年はそうでありたいなと思ったのでした。

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