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お客様はお客様です

「おい!ふざけるな、俺は客だぞ!お客様だぞ!」

朝からコンビニの店内に大きな声が響いている。男がレジで店員に向かって怒鳴っているのだ。どうやら男はタバコを購入したいらしいのだが、銘柄を独特な略し方で言うので、アルバイトの男の子はどれかさっぱり分からずに困惑してしまい、正式名称か番号で教えて下さいと伝えた。男はその言葉を反論と捉えて激昂。アルバイトの男の子を怒鳴りつけているのだった。

「なんで俺がお前に分かりやすく丁寧に伝え直さなきゃいけないんだ!お客様が言う事を理解できないんだったら辞めちまえ!」

片方のレジがタバコ騒動でストップしてしまっている為、隣のレジで長蛇の列をさばいている先輩スタッフが隙をついてササッと男が指定するタバコを男の子に渡す。こちらでよろしいでしょうか?とタバコを差し出す男の子の手から、むんずとタバコを掴むと代金をバチっとカウンターに置き「チッ」と舌打ちしながら男はコンビニを出て行った。

先輩スタッフにアルバイトの男の子が礼を言うと「クレイマンに当たって不運だったね」と先輩は言った。

数分後、クレイマンと呼ばれていた男は通勤電車に乗っていた。満員でほとんど身動きが取れない車内にはピリピリした空気が漂っている。信号のトラブルで電車が止まっているのだ。エアコンのゴゥーという音、誰かのイヤホンから聞こえるシャカシャカした音漏れ、咳払い、ブツブツと呟かれる独り言。

「……信号トラブルってふざけるなよ。……こっちは金払って乗ってるんだぞ……。点検くらいしっかりしとけよ……。俺はお客様だぞ……」

唯でさえピリついた車内に男の文句がブツクサと響き渡る。隣に立っているサラリーマンの男が「ふー……」と少し大きめな溜息をついた。その溜息は交通機関に対してのものなのか、1人で文句を言い続ける男に対してのものなのか。

・・・

少しの遅れが出たものの、電車は、ほぼ定刻に男が下車する駅に着いた。勤め先に出社した男は、いつもの様にダラダラとパソコンの電源を着ける。メールソフトを開くと下請けの制作会社からメールが届いていた。メールの件名だけ見て「ふー……」と溜息をついた男は席を立つと、ホワイトボードに“外打ち合わせ・終日”と書きオフィスを後にした。

取引先の担当者との打ち合わせは午前中のうちに終了した。打ち合わせといってもそのうちの8割は、どこそこの飲み屋が最悪だ、最近の若い奴らは年上を敬わないなどと雑談というか愚痴の様なもので、もっと言えばこの打ち合わせ自体、実際の業務上は不要なものでなんとなく仕事をしている雰囲気で行っているものだった。

取引際の企業を出ると、男はそのまま営業車で近隣のコンビニに向かった。唐揚げ弁当とノンアルコールビールを買った男は、エアコンでキンキンに冷やした車内で昼食をとる。

ゆったりとリクライニングさせた運転シートに深く座り、カーナビで昼の情報番組を見ながら男はダラダラと唐揚げ弁当を平らげた。そのまま男は大きく伸びをすると寝転がって瞼を閉じて眠った。明日は土曜日だ、朝からパチンコでも行くかとぼんやり考えながら。

長かった梅雨が明け、空は目に痛いほどに青く、入道雲が山の様にそびえ立ち、聞こえてくるのは蝉の鳴き声と、はしゃいだ子供達の声。ジージーワーキャー、ジージーワーキャー、そんな夏の音が響いていた。

・・・

日差しの強さに目を覚ました男が時間を見ると午後2時だった。店内で炭酸飲料水を買ってきた男はぐびぐびとそれを飲むと、エンジンをかけて車を走らせた。向かった先は数百メートルほど離れた別のコンビニ。

駐車場の端に車を止めるとポケットからスマートフォンを取り出してソーシャルゲームを起動した。淡々とゲームをしていた男だが数分もするとブツクサと独り言を話し始める。

「なんだよ、コレ本当に出るのかよ……。……課金してこれはクソだろ……。お客様をなんだと思ってんだこのクソゲー」

どうやらゲーム内でイベント限定のガシャが開催中なのだが、なかなか目当てのキャラクターが出ないらしい。あまりに出なくて諦めた男はコンビニの店内へ向かい漫画雑誌と週刊誌を次から次に読み漁った。

・・・

就業時間直前に帰社した男は、そのまま帰り支度を始める。パソコンの電源を落とそうとした時にメールが溜まっている事に気がついた。朝、メールが届いていた制作会社から何通もメールが来ている。カバンの中に入れっぱなしになっていた社用の携帯電話には着信が何件も入っている。男が面倒臭そうに電話を折り返すと、すぐに電話は繋がり、電話先の相手は焦った様子で話し始めた。

「お世話になります。何度かご連絡させていただいていたのですが、今よろしいでしょうか。実はいただいていたデータに不備があり、こちらで使用することが出来ません。つきましては改めて別の形式でデータの再送をお願いしたいのですが」

「はぁ……。今そんな事を言われても困ります。そういった事であればもっと早めに連絡していただかないと。データを送ったのは昨日ですよ」

「いえ、昨日データをお送りいただいて直ぐに使用できない事がわかったのでお電話させていただいたのですが、もう帰社されていた様でしたのでメールをお送りしておきました。ご確認いただけていないでしょうか」

「いやね、こっちだってメールを常に確認できる環境にいる訳じゃ無いんですよ。もちろん電話だって同じです。私だってね、暇じゃ無いんですよ。そもそも納期は月曜日ですよ。今そんな事を言われても困るんだよ」

「はい……それもあって早めにご連絡をさせていただいていたのですが……」

「とにかくさ、今からデータをどうこうするのなんて無理なんで、そっちでなんとかアレしてよ。で、納期も遅れせる訳にはいかないから月曜日の朝一で確認できる様に送っといて」

「いや……そんなこと言われても、データが使えなかったらどうにもならないんですよ……」

「だからさ、それをするのがあなたの仕事だろ。こっちは依頼主なんだよ、あなたにとってはお客様なんだよ。あなたのところに仕事を振ってやってんだ。あれは出来ない、これは出来ないばかり言ってたら仕事なくなるよ。じゃ、月曜日待ってますんで。よろしく」

電話を切ると男は時計を見てボソっと呟いた。

「5分も残業したわ」

そのまま男は「お先ですー」と言って会社を後にした。

・・・

その夜、男はチェーン店の居酒屋で大学生の頃からの友人達と飲んでいた。話題は仕事や世の中に対する愚痴ばかり。あれがクソだ、これがクソだ。彼らにかかると世の中の物事は全てがクソらしい。ホワッツ・ア・ワンダフルワールド。

アルコールを追加しようとして、店員を呼び出す男。

「すいません、お待たせしましたー!ご注文は?」

「にゃまひゅーよっひゅふぉほりはふぁふたふ」

男は泥酔しており、ろれつが全く回っていなかった。

「すいません!もう一度よろしいですか?」

「ひゃまひゅーよんほかあわうぇっへいっへんだふぉばか」

「……あのー。すみませんがもう一度おっしゃっていただけますか……?」

「うぅへーぇぇぇー!おぅぇふぁおひゃふふぁふぁふぁふぅおぉぉぉー!!」

大声を出しながら男は急に立ち上がろうとしたが酔っ払っているため、足元がふらつく。ぐらりとよろめいた男はそのまま倒れた。倒れ込んだ先にはテーブルの角。角に頭を打ち付けた男はそのまま動かなくなった。男が倒れた衝撃で宙に浮いた冷奴は男の顔面に直撃し、ずるりと垂れていた。

・・・

男が目を開けるとそこは暖かく光に包まれた空間だった。どことなく甘い花の香りが漂ってくる。打ち付けたはずの頭に痛みはなく、なんとなくぼんやりとした気分に包まれている。なんだこれはと思っていると、目の前の空間がどんどんと明るくなり男は眩しさのあまり目を閉じた。

再び目を開けた男の前には老人が立っていた。白い衣を着て白いひげを長く蓄えた老人は穏やかな表情で男の目を見つめながら口を開いた。

「お前は本当にどうしようもないやつだ。口を開けば他人や社会の文句ばかり。そのくせ自分では何も行動をせずにただダラダラと時間を消耗しているだけ。そんなお前をこの世界に置いておく訳にはいかん」

「ちょっと待てじじい、俺は死んだのか」

「この世界に住まうことが出来ない者は地の底に行く。そこでお前がこれまで人々の心を傷つけて来た分だけの苦痛を味わってもらう」

「おい、何を言ってるんだ。それって地獄ってやつだろ。嫌だ。ふざけるな」

「お前達の様な者がいる事で、我々の世界もお前が以前いた世界と同じ状態になってしまう。何も考えずに人を傷つける人間と、傷つけられ続ける者。ここは、これまで真剣に生命に向き合ってきた者の為の世界なのだ」

「お前が勝手に決めるな!俺だって真剣に生きてきた。!ここに来たのだってお前が連れて来たんじゃないのか。ここに招かれてるんだ。俺は客だそ!お客様だぞ!お客様は神様だぞ!」

叫ぶと同時に足元に空間が空いて、男は暗闇の中へと真っ逆さまに落ちて言った。「お客様は神様だぁぁー」という男の声はだんだんと小さくなっていきもはや聞こえなくなった。老人の姿は消えて、もうそこには誰もいなかった。ただ、甘い花の香りが漂っていた。

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