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居住者さんとの齟齬

眠れぬ夜はnoteを更新。
前回の更新からまた、いろいろなことがありました。

ショックだったこと。
居住者さんのTwitterに、時々書き込みをしていたのだけど、ある日、「あなたのTwitter運用はあまりにプライバシーに配慮しなさすぎる。住んでいる場所までわかってしまうし、居住者の写真を載せたりもしている。私のアカウントはたくさんのフォロワーがいるので誰がみているかわからない。あなたがコメントすることで、私がここに住んでいることがわかってしまうから、書き込むのをやめてほしい」と言われた。
彼女は、最近生活が変わったからか、月一会などの集まりにほとんど顔を出さなくなっていた。
Twitterでいろいろ不調の様子を発信していたため、心配になったのでいろいろ書き込んで声がけをしていたつもりだったのだけど、それが逆効果で、むしろ迷惑だったらしい。
(その時の私の心の動きがどうであったかということは省略する。)

Twitter運用に関して、立ち上げからまもなく認知度の低い時期は、プライバシーは関係なく、あったことや感じたことを逐一書きつけていっていた。それが記録となると思ったので、誰が読むか、どう思われるかといったことはあまり考えずにラフに更新を重ねていた。
それが、MUGENプロジェクトとして、正式に補助事業に採択され、ある程度公共性をもつ活動となってからは、そのアカウントは停止し、新たにオフィシャル用のアカウント(現アカウント)を作成し、今度はもう少しプライバシーやおおやけ性に配慮しながら発信をするようになっていった。
自分の中ではそうしているつもりだったけれど、さきの居住者さんなど、見る人から見れば、とんでもない、というようなプライバシー軽視の危険な発信の仕方をしていたらしい。

プライバシー感覚は人によって違うので、なにが正しくなにが間違いというのはなく、厳しいか緩いか、という感じだと思うけれど、私の更新によって嫌な気持ちになる人が出るのであれば、そのやり方はやめなくてはならない。
なにがOKで、なにがNGか、ということは、あらかじめすべての人に自明に共有されているものではないので、ひとつひとつ確認していかないといけない。それをしないと、さっきのように、突然非難されたり糾弾されることがある。こちらは悪気があってやったことでなくても。
彼女の表情を見ていると、知らなかった、そんなことだとはわからなかった、では許されないものを感じた。
ネットリテラシー、当たり前でしょ。そう言いたげだった。

なにがOKかNGか、ひとつひとつ確認をするということは、=コミュニケーションをとるということ。たしかにそれをいくつか怠って、まあいいだろうと載せてしまったわたしもいけなかった。また、彼女の側でも、そうした投稿をされて嫌だということを、書き込みのあったその場で私に伝えられなかったことは、コミュニケーション的にはよくなかった。(私からすると。その場で言ってくれさえすれば気づいて二度とやらなかったのだ。勇気を出して伝えた彼女にとっては、やっと言えてすっきりしたのだろうし、それもコミュニケーションのあり方だけれど)
お互いにコミュニケーションが足りなかった。

代表である私には、私自身の強い思いやコンセプトがあって、場をつくろうとしている。居住者さんたちにもLINEなどで熱っぽく、しつこいぐらいに伝えている。けれども、その思いはみんなに届くとは限らない。ただただうるさい暑苦しい自己主張にしか思われていないかもしれない。
みんなに参加してほしい。居住者組合のようなものを自分たちでつくって、自治をやっていけるようにしたい。
その夢は私にとってはキラキラ輝いて見えるけれど、別の居住者さんにとっては、何の意味もないものかもしれない。私の夢を押し付けるな、と思うかもしれない。

たしかに、居住者募集の時点で、ある程度のコンセプトは伝えて、「やってみたい、面白そう、協力したい」と言ってくれた人が入居している。けれども、誰だって入居する前はいいことを言うだろうし、実際にその時点ではそう思っていたのかもしれない。生活や状況が変われば考えも変わる。それは仕方のないことだ…

上記の居住者さんのことは、少しそっとしておくことにした。本人がそう望んでいるので…彼女の世界にこれ以上立ち入ることはできない。別のアカウントのほうで繋がりましょうと言われたけど、結局教えてくれなかった。なにか思うところがあるのだろう、ちょっとしたことだけど、残念に感じた。心を閉ざしてしまっている。私の言葉は、届かない。重ねてLINEしたけど返事がない。もうやめよう。

結局私は、自分の気の合う人としかうまくコミュニケーションをやっていけないのではないか。あうんの呼吸で通じ合う、自分の取り巻きやお気に入りだけで住みたいのではないか。
この場所を始めたきっかけが、「自分のため」だった。自分が安心して生きていくために、仲間を集めたいと。
その目的からだと、自然と、気が合わない人や批判してくる人は排除されることになる。だって、自分の安心をおびやかす存在だから。

試行錯誤はつづく・・・


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