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食材について

仕事のない日曜日の朝はマルシェに行って、野菜と魚、肉を買う。
トマト6つ、キャベツとレタスひと玉ずつ、げんこつほどもあるマッシュルーム8つ、葱2本、ズッキーニ2本、みかんとりんご袋いっぱい、玉ねぎ8つ、レモン6つ、いわし1kg、鶏肉(モモとドラム)6本、豚バラ2切れ。
例えば今日買った顔ぶれはこんな感じ。
先週買った鯖やにんにくやじゃがいも、人参がまだ残っているので、これに加えてお米やパスタ、豆などでだいたい1週間分の食事になる。

魚はさばいて、鮮度のいいものはお刺身にしてその日に食べる。他のものは塩干しして冷凍したり、南蛮漬けにしたり。
肉も半分は塩を揉み込み、半分は味付けして冷凍。外した骨はダシを取るために冷凍。
キャベツは千切りにして乳酸菌発酵させる。一週間待って漬物として食べてもいいし、シュークルートを作ることもできる。
レモンはざく切りし、荒塩とともに瓶に詰めて塩レモンに。サラダにも使えるし、魚や肉などの臭みを消す塩分として使える。

以前はその日にメニューを考えて食材を買いに行くというやり方だったので、野菜も肉もスーパーのもので間に合わせることも多かった。
フランスに来て4年になるが、その間にもパリの物価は少しずつ上っている。
家賃の高騰はいわずもがな、生活にかかるお金も4年前と比べて1.3倍くらいになった印象。
来たばかりの頃は、今日は結構買い物をしたなと思っても20€札を出すことは少なかったのに、最近はこれしか買っていないのに25€もかかってしまった、という感覚に変わっていった。
住んでいる地域自体の生活レベルが変わっていっているのか近所におしゃれな雑貨屋さんがぽつぽつ出現しているし、一番近くのスーパーは同じジャムでもちょっと小さい瓶で割高なものとか、少し高級な洗剤を置くようになった。
値段は上がったのに、品質は明らかに下がっている。
玉ねぎの真ん中が全部腐っていたり、鶏肉もぐにゃぐにゃと変な手触りだったり、多すぎる脂身が見えないようにパックされていたり…
そういう誠実でない製品を手にする機会があまりにも増えたことで、スーパーで買物をするのはできるだけやめようと決めた。

日本では、忙しさを理由にほとんど料理をしてこなかった。
野菜を刻んだり、食べ合わせを考えたり、作ったものを誰かに食べてもらうことは好きだ。作ってみると美味しいものができるので、勘も悪い方ではないと思う。ただ自分には料理に取り組む時間がないと決めつけてやらなかっただけなのだ。
フランスに来てみたらコンビニはないし、外食はうんと高いし(食材は安いが、人の手が入ると途端に高くなる)、ならば自分で作るしかないではないか。
鳥や豚や魚をさばく、ジャムを作る、ピクルスを漬ける、パンを捏ねる、ダシとレモンと酢と醤油とみりんでポン酢を作る、骨から鶏ガラスープをとる。
時間はかかるけれど、そこにかかる手間を我がこととして受け入れられるようになってきた。
自分がほかの生き物を食べるにあたり、このくらいの手間をかけることは当たり前なのだということを、考えたりする。
 

フランスに来てからドキュメンタリー番組を見ることが増えた。
言葉の勉強のためというのもあるけれど、自分は何も知らないのだなあと年を追うごとに感じるので、なんとかしたいという気持ちもあって。
それにこちらで見られるドキュメンタリーには良質なものが多く、面白い。
日本でも良いドキュメンタリーは作られている。(例えば最近も放送されていた「映像の世紀」は映像で歴史を追い記録しようという気概の感じられる良いドキュメンタリーだと思う。)でもテレビで見られるものの多くは俳優が旅をして、テーマの表面を当たり障りなくなぞるだけで終わる。過度に感動を誘うような音楽や効果音、勝手な感情移入で飾り立てるばかりで、内容としてはまったく物足りない。
料理に興味が出てきたので、最近は食べ物に関するドキュメンタリーもよく見る。
もちろん知識としては知っていたけれど、お金儲けが第一になって、命の尊厳や地球環境を二の次にしたような生産が加速している世界を映像で見た。
絶滅の危惧のある魚も稚魚も関係なく大型船で根こそぎさらって、生産地とはまるで違う土地に大型タンカーで運んで加工して冷凍し、またタンカーで大都市へ運ぶ。
その方がコストが安いからだ。
海の状態を見ながら魚と付き合ってきた漁師さんは、そういった大量捕獲をする業者との競争に負けて、立ちゆかなくなる。
美味しい餌を与えたり、運動をさせたり手をかけて育てた豚や牛よりも、動く隙間もなく檻にギュウギュウに詰め込まれて流れ作業みたいに殺された豚や牛のほうが安い。
値段につられてつい、私たちはその安い魚を、肉を買う。
スーパーの肉はぐにゃぐにゃだな、なんて言っている間にも、私はそういった自分が良しと思わない世界に加担していたのだった。
私はもっと、豚のことを、玉ねぎのことを、魚のことをちゃんと見つめているひとのことを考えなければいけない。
誰かが大事にしていることを私も大事に思うなら、そのひとがちゃんとこの世の中で引続きそのことをして生きてゆけるように、私は行動しなければいけない。
そういう風に思って、なるべくマルシェに行って、生産者(もしくは生産者に近いひと)から買いたいと思ったのでした。
マルシェで買えば、スーパーよりも安いし。

食品を保存するために加工したり、包んで冷蔵庫にしまったりしながら色んなことを考えたり発見したりする。
鳥のモモに塩を揉み込みながら、小さいけれどなんてむっちりと満ちた、元気な足なんだろうなあと驚く。
キャベツを千切りにして塩で揉みながら、このキャベツや私の手についた菌がキャベツをいつのまにか美味しくしてくれるなんて本当に不思議だなあと思う。(※)
以前はもっと、食のことが自分から遠かった。
食品の扱いを知らずに腐らせてしまうこともあった。
でも今は、手づかみでぎゅっとそれを握って知りつつあるから、料理も自分のからだに近いものになったし、食べる時に味にも深く入ってゆけるようになった。
(私はどうも、こうして体を繰り返し使ってみて感覚にいちいち染み込ませてみないと、自分以外のことやものを実感できないし、覚えられないし、分かってゆくことができないのだ…)
ひとつひとつの野菜の味の濃さの違いや、肉の旨味の違い、それを取り混ぜて調理したときの味の複雑さが前よりも分かるようになった。
そうして少しずつ世界の解像度があがることが、嬉しい。
見えるものがどんどん細かく複雑になっていって、それぞれの違いが絡み合って溶け合っている輪郭が見えてくる。
味を見分けることは、皮膚で感じ分けること、音を聞き分けることとこんなにも似ているのだ。

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