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わかんないと言える今だから

新しく買った『銀河鉄道の夜』のDVDを鑑賞した。双子の娘たち(6歳)といっしょに。

40代以上の方は、この猫ちゃんたちに
見覚えがおありではないでしょうか。

宮沢賢治の童話をアニメ化した、1985年の映画だ。公開されたとき、私は母に連れられて映画館へと観に行った。

貧しく孤独な少年ジョバンニが、友人カムパネルラとともに宇宙を鉄道で旅するストーリー。保育園児だった私には難しく、正直に言うとまったく理解できなかった。

ただ、ほとんどの登場人物が猫の姿で描かれていて、親しみが持てた。幻想的な世界も美しく感じられたので、なんとなく好きになった記憶がある。

「どう、おもしろかった?」

母に聞かれた私は「すごくおもしろかった! また観たい!」と答えたそうだ。そして、同じ作品を観るために二度ほど映画館に連れて行ってもらった。思い出として残っているのは、映画館の帰りに食べさせてもらったドーナツのおいしさばかりだけれど。

私はその頃すでに大人の顔色をうかがう子どもで、母に「この映画、ぜんぜんわからない」と言えなかった。

「すごくおもしろかった!」という答えが求められていると判断したのだと思う。だから、それに反する感想は封印してしまった。

申し訳ないのは、うちの子は保育園児にして『銀河鉄道の夜』が理解できるほどに賢いと、母が誤解してしまったこと。

その後、母が私に国立大附属小学校を受験させたきっかけはこの映画なんじゃないかと思っている(難関へのチャレンジは見事に失敗して、私はミッションスクールに放りこまれることになる)。

小学校に上がると、湾岸戦争が起こった。戦争について作文を書くよう先生に言われた私は、またも「求められる答え」を探った。どう書けばいい?

できあがった作文は「人と人とが争うのは悲しいことだ。戦争はいけない。平和な世界がどうして実現できないのか」というもの。先生からはたいそういい評価を受けた。

ほんとうは、私は湾岸戦争のなんたるかなんてまったく理解していなかった。遠いところで起きている戦争にも、傷つき苦しむ人々がいることにも、実感がわかなかった。

「みんなきっとこういう答えを求めているのだろう」。そうやって、ウケのよい答えを追う日々。

けれど、大人になるにつれだんだんと人の顔色をうかがわなくなった。その無意味さがわかってきたのだ。自分なりの解像度で世の中を見渡すほうが楽しいし、役に立つ。

とくに35歳くらいのとき、「人生の主役はわたし」の意味がすとんと胸の中に落ちてきた瞬間があった。

「誰かの顔色をいくらうかがったって、その人が私の人生に責任を持ってくれるわけじゃなし、気にしてもしゃーない」。いつの間にかそんな境地にたどり着いていた。ここぞという局面に限って、みずから答えをつかんでいくしか道がなかったからだ。お腹にいる双子の命か、仕事か、どちらが大切かと考えざるをえなかったときも、決めるのは自分しかいなかった。

さて、今回ふたたび観てみた『銀河鉄道の夜』は、やはりおもしろかった。

人のために生きること、幸せとはなにかを考えることの大切さを表現しているんだろうなあ。神秘を感じる映像、美しいなあ。音楽が立ちすぎている気もするけれど、それもまた味だなあ。40年近くを経て、やっと理解できた。

娘たちは「不思議でよくわかんない。けど、猫ちゃんかわいい」と言っていた。もう一度観たい、とも。

「よくわかんない」か。うん、そりゃ宮沢賢治よくわかんないよね。まだ6歳だもん。

それでいいのだと思えるようになった。わかんないならわかんないと、言えばよかったのだ。「実はあの映画、当時はまったく理解できんかったんよねえ」と、今ならきっと母に言える。

私はたぶん、あの頃よりもずっと自由だ。


#映画にまつわる思い出
#あの日言えなかった言葉

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