あの交差点とそれぞれの現在地
若い頃、京都市内によく出没していた。大学時代から20代半ばにかけての恋人や友人が京都大学のあたりに住んでいたから、その近辺で過ごすことも多かった。
川端丸太町近くの喫茶店にも通っていた。
ある日、その喫茶店でマスター特製の生ハムパスタを食べていたら、お向かいの京大熊野寮を機動隊が取り囲むのを目撃してしまった。
マスターが目の前で削ってくれたパルミジャーノ・レッジャーノが鼻のおかしなところに入りそうになり、盛大にむせたのを覚えている。
コンサバな学校育ちで、特定の政治思想を持たない地方国立大生だった私には、衝撃的すぎる光景だった。私にとってあのあたりは「なんらかの思想が生きている街」だった。左も、右も、特別な生々しさをもって街に住みついているように思われた。
そんな学生時代を過ごしたから、丸太町界隈には勝手に親近感を抱いている。川端丸太町を少し東に進むと、東山丸太町の交差点にあたる。熊野神社があるその角で、友人たちとよく待ち合わせした。
「おっす!」とか言いながら、友人たちが集まってきたものだ。
懐かしさのあまり、Googleマップで確認する。スーパーマーケットだったところがドラッグストアになり、周辺のカフェの名前が少し違うくらいで、昔とそれほど変わりはないように思えた。
友人たちと楽しい時間を過ごしたからふね屋珈琲がまだあるのが嬉しい。
思えば、このあたりで政治や哲学の話、将来の話で盛り上がっていた頃があった。世知辛さなんて知らない者が大半だったのに「そもそも世の中っていうのはさー」なんて語り合った。
私は自分の大学近くにもそういう喫茶店を確保していて、談義の場には恵まれていたと思う。
それがいつのまにか、政治の話も、哲学の話も、しなくなった。会社員時代、私は通達をつくることが多く、お堅い言い回しをよく使っていた。そうして、叙情的な言葉も、少しずつ忘れていった。
5年前、久しぶりに当時の友人から連絡をもらったとき、私は両手に哺乳瓶を持ち、双子の娘たちにダブル授乳を試みているところだった。落ち着いてから折り返しの電話を入れて、お互いの近況について話した。それ以来、交流を続けている。
別の友人たちから連絡を受け、懐かしさに驚くこともある。全員が「あの交差点んとこの熊野神社は、当時のままかなぁ」と言うのが面白い。
エリート街道を走る者、趣味の道を突き進む者、私のように穏やかさと熱さの両立を求めて生きる者。もうみんな歩く道は分かれてしまったけれど、あの交差点に戻ってきたくなる瞬間は、それぞれにあるらしい。
いろいろ考えながら、近所のスクランブル交差点で信号待ちをしていたら、高校生が3人、集まってきた。親しい友達同士のようで、口々に「うぃー」と言っている。彼らにとって、ここが「あの交差点」化することもあるのだろうか。
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