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少子化の原因を超長期トレンドでみたら、家族の多様性が不可欠なことが判明した

ついにキタ。

2019年、日本人の国内出生数は86.4万人となり、初めて90万人を割りました。


永江一石さんもブログで書かれていますが、本当にヤバイ。

あと15年で九州と四国の人口分が消滅する日本。
この10年の人口減少は400万人だが、
これからの10年では800万人減り、
そのあとの10年では1000万人近く減る。


自分もだし、娘なんてもっと過酷な状況を生き抜いていかねばならんのかと思うと憂鬱になってしまうわけですが

それに拍車をかけるのは、政治家の方々のあまりに的を外した対策(政策)やコメントの数々。


・家族を支援するための投資は諸外国と比べて低いままだし

・実質賃金がバリバリ下がってるのに放置だし

・夫婦別姓も認めないし

・男性育休だって義務化しないし

・子どもを3人以上産めだの言い放つ人までいる… 

etc、etc、etc、etc、ETC、ETCァ…!!!!


もうね、本音では「これだから最近の若いモンは…」って思ってるのが透けているのですよ😇😇😇

「俺たちの時はちゃんとやってたのになぁ」なんつって!


でも、そういう方々に伝えたい。


この少子化、若いもんがどーこーではなく、実は大正時代(1920年代)から始まっていた構造的問題だってことを。

政治家のおじさんたちが成功モデルとして考えているであろう昭和の「古き良き時代」は、もうとっくに少子化トレンドに入っていました。

今はそれがずるずる続いている状態です。

その時の家族の形・社会のあり方に固執していたら、この国はヤバイのだ。



少子化の根本的な原因は「子育て」の意味の変化

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そもそも、なぜ人は子どもが欲しいと思うのでしょう。

僕の場合は、奥さんと子育てをしてみたかったからでした。教育費とかお金はめっちゃかかるだろうけど、それでも欲しかった。

いわば好奇心に近いですね。


義務感とかないし、老後の面倒を見てもらおうとか1mmも思ってないし、継いでもらいたい家業もないので、子どもがいないとヤバいとも思いません。

「いたらいいなぁ」というスタンスです。

こんな感じの方、少なくないのではと思います。


この考え方は、子どもを(経済学用語で)消費財と捉えていることになります。

つまり子どもというのは、少なくとも家計的には、お金がかかるだけの存在です。


しかし、この考え方は人類の歴史的には異端もいいところ。

完全にニュータイプです。


子どもはずーっと(経済学用語で)生産財だったからです。

これは現代でも発展途上国の貧困層に当てはまります。


昔は多くの人が家族単位で農業などに従事していたので、子どもは労働力として期待されていました。

そればかりでなく、両親の老後の面倒をみる実質的な義務もありました。

現代のように国家が運営する年金も介護保険もない状況では、両親の福祉は子どもが担うのがもっとも合理的だったのです。

そういう意味で、親にとって子どもは「資産」でした。


いわば、子どもがいないと生活(家業)も老後もヤバい状態です。


この子どもが持つ意味(生産財/消費財)が日本で劇的に変化し始めたのが、大正時代でした。


下記の図は明治時代から現在に至るまでの普通出生率(※)の推移をまとめたものです。

※ 普通出生率 = 人口1,000人当たりにおける出生数を表します。2017年の日本の普通出生率は7.6。


明治から大正の前半までは出生率がずーっと上昇していますが、

1920年を境にして以後、いっときの例外を除き、ずっと下降トレンドであることがわかります。

明治から現在までの普通出生率の推移

上図:1873年から1890年までは内閣統計局『帝国統計年鑑』、1900年以後は厚生労働省『人口動態統計』から抽出。


さらに、戦後の経済発展に伴い子どもの労働力としての価値はさらに激減します。

1953年から1975年の間に、「雇用者」いわゆるサラリーマンの割合は42.4%から69.8%と、3割近く急増。

子どもは、会社勤めのお父さんの仕事の手伝いはできません。


そして、その頃になると年金制度なども設計され、老後の心配も(当時は)なくなってきました。


つまり大正時代以降(特に戦後からは)、多くの人にとって生活に余裕がない限り、子どもを持つ意味がなくなったのです。

これが、少子化問題を語る上での大前提です。


生活に余裕がないと、子どもは持てないのです。


大事なことなので、もっかい。


生活に余裕がないと、子どもは持てないのですッッッ!!


なのに、日本の子育て世代の懐は厳しくなるばかり。

1995年以降、他の先進国ではメキメキ上がっている実質賃金が、日本でだけ下がっていっています。

こんな状態で生活に余裕ができるわけが無い。

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なのに

若いモンは車を買わないだの

家を買わないだの

〇〇を買わないだの

政治家のおじさんたちは好き勝手言ってくれちゃってますが、完全にそれと同じ議論が少子化の分野でもまかり通っているのです。


車も家も、〇〇だって、子どもだって欲しいわ!

こちとらお金がないんだよぉ…😭😭😭



とはいえ、現代にいたるまで少子化が下げ止まっていないのは事実です。


そのことを説明するのに、ある政治家はこう言います。


そもそも、生活に余裕があるとかないとか以前に、最近の若いもんは結婚しないじゃないか、と。

特に東京の状況は酷いぞ、と。


それは確かにその通りかも?


だけど、実は江戸時代から明治にかけて、未婚者はたくさんいました。

特に、東京(江戸)はとても多様な世帯で構成されていたのです。


でも、少子化にはなっていませんでした。

なぜでしょう?



現代より遥かに多様な家族観が共有されていた江戸/明治時代

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約1,000万人が暮らしている大都市東京。日本の人口の実に1割弱が集中しています。

しかし、この大都市は必ずしも子育てしやすい環境ではないようです。

例えば都道府県別に合計特殊出生率をみてみると、2017年度では全国平均で1.43ありますが、東京は1.21で全国最低です。

また生涯未婚率も、東京は男女ともにトップクラス(2018年度では、男性3位、女性は1位)。


日本で最大の人口を抱える都市がこんな調子では、確かに困るかも…


メディアではこの理由を、若者の経済的な問題や、女性の社会進出、蔓延する個人主義、等々…と並び立てます。

でもね、ちょっと歴史を振り返ってみると、実はこのマチは昔っからこういうもんだったということがわかります。


例えば、幕末の江戸と現代の東京を比較してみると、未婚率がほとんど変わらないどころか、むしろ江戸時代の方が高い場合もあるんですね!


表3(上)が幕末の江戸の各地の有配偶率、表4(下)が平成12年の東京の有配偶率です。

麹町の男たちの状況なんて、今とほとんど一緒やん。

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出典:歴史的に見た日本の人口と家族


また、この幕末期の江戸の住民は日雇いなどの不定期就労者も多かったようです。

こんな(いらん)ところまで現代の東京と一緒ですね…


今も昔も、東京は非正規雇用の独身者が闊歩するマチなのです。


しかし、江戸時代中期から末期の人口推移に目を向けてみると、堅調に推移しています。

実はこの時代は世界的な寒冷期で、度重なる飢饉が発生し、人口が押し下げられる強い要因があったにも関わらずです。

大都市の江戸の若者があの感じなのに、なぜでしょう…?

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参照データ:南和男「幕末江戸社会の研究」


答えはシンプルで、この時代の人口維持は主に地域の農村が担っていたからです。


室町時代中期頃までは、地域の農村でも自身の畑が持てない農民が多く、自立できず未婚のまま過ごしていたことが多かったようです。

しかし、室町末期から江戸時代に入ると技術革新と制度改革(太閤検地とか)があって、貧しい農民も自立できるようになりました。


この結果、江戸中期以降は農村部では多くの人が結婚でき、子どもが持てるようになったのです。


特に顕著なのは、1716年から1870年の陸奥国(現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県)下守屋村と仁井田村の事例です。

未婚率は45歳~49歳の男子で4.8%、女子では0.6%となっており、ほぼ全員が結婚している状態でした。


なお、江戸末期から明治中期にかけては離婚率も高かったようです。

例えば、先にあげた下守屋村と仁井田村は確かにほとんど全員結婚していましたが、平均普通離婚率(※)は4.8に達していて、これは現代の米国を上回る高水準ですw

※ 普通離婚率=人口1000人あたりの年間離婚件数


都会で生涯独身を貫く人もおり、みんなが結婚している農村もあり、かと思えば離婚しまくっていて、柔軟にコミュニティを形成してバランスをとっていたのが江戸/明治時代でした。


なんだか現代より遥かに多様な家族観が共有されていた時代のように思えますね…

っていうか、これってなんか自然な感じがする。



家族の多様性を失った大正時代以降

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こんなに多様な世帯が共存していた状況が変わり始めたのが冒頭に紹介した大正時代でした。

いわゆる「標準家族」が社会に登場してきたんですね。

標準家族とは「お父さんとお母さんがいて、子どもは2人」という家族のことです。


こうなった理由は主に3つのことが指摘されています。

① 先にご紹介した通り、産業構造が変化したことで、子どもを持つ意味が変化した(生産財から消費財になった)。

② 工業化によって、多くの人が都会で職を得て暮らせるようになった(核家族化の始まり)

② 乳児死亡率の低下によって、多産の必要がなくなった。


標準家族の社会への浸透は既婚女性が出産する児童の数に如実に現れています。

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明治から大正時代までは、既婚女性は平均すると5人~4人の子どもを生んでいた一方で、子どもを生まない女性も現代以上に多く、多様性がみられました。

しかし上図の通り、大正から昭和に移り変わるタイミングで既婚女性の出生数が激減します。

その後、2の周辺で底をうって、この流れが現在まで続きます。


こちらのブログでも指摘されていた通り、既婚女性が産む子どもの数は戦前から現代に至るまでほとんど変化がないのです。

大正から昭和にかけては、工業化の普及に伴って未婚率が減少したことによって、合計特殊出生率はなんとか維持されていました。

この未婚率が、平成以降はグイグイ上昇しています。


既婚女性は平均して2人の子どもをこれまで通り生んでいる、

しかし、そもそも出産可能な女性の数が激減していることに加え、結婚しない女性が増加しているのです。



政治家の皆さまが後生大事にされている「標準家庭」を維持したままで少子化を脱却するには、

未婚率が上昇する流れを逆流させ、日本全国の男女がほぼ例外なく結婚する状況を作り、みんなに子どもをもうけてもらう他ありません。


んなバカな。

でも理論的にはそれしかありません。


でもなんか、万が一にもそんな社会が実現できたとして、それってかなり違和感があるんですけど…?



多様な家族観を取り戻した令和…にせねばならん!

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ここまでの日本の少子化の歴史を鑑みると、こういうことは言えそうです。

・ひとりの女性が産む子どもの数が飛躍的に増えることは今後あり得ない

・子育て世代は安定した生活が確保できないと子どもを持とうと思わない

・特に都心部で未婚率を下げるのは困難

・日本だってかつては多様な家族観を社会で共有できていた


この前提が正しいとするならば、もう取るべき対策は火を見るよりも明らかです。

原則は、たった2つしかありません。


① 子育て世代が安定した生活を確保できるような制度設計と投資をする

② どんな家庭、状況であっても安心して子どもを育てられる制度設計と投資をする


もう、これ以外にないでしょう。もし間違ってたら教えてほしい。


「標準家庭」という従来の家族の形に固執せず、独身でも事実婚でも、子どもが欲しいと思った人が経済的にも精神的にも不安なく子どもを育てられるようにする以外に道はないように思われます。



でもガチで無念なのは、今の政府がこの原則を見事に2つとも認識していないことです。

腹立つので冒頭の具体例を再掲します。


・家族を支援するための投資は諸外国と比べて低いまま

・実質賃金がバリバリ下がってるのに放置

・夫婦別姓も認めない

・男性育休だって義務化しない

・子どもを3人以上産めだの言い放つ人までいる… 

etc、etc、etc、etc、ETC、ETCァ…😭😭😭


まあでも、不幸中の幸いにして日本は民主主義国家です。

私たちがその気になれば、変えられるはず。


というか、そうしないとヤバイ。


この少子化が進行したままの絶望的な社会に娘を放り込むなんて、とてもじゃないけどできません。

私にとって娘は消費財に違いないですが、人生丸ごとかけてる消費財なのです。


何百年後かの未来に人が令和という時代を振り返った時に

「令和の日本は家族の多様性を取り戻して、再び社会が活気づいた時代だっったよね」

と、総括できるようにするのが私の目標です。


専門家の分析、そして最新のデータをもとに、少子化の原因をさらに掘り下げました。その内容を、著作でまとめています!

全体のテーマは、「パパの家庭進出」です。現代の家族のあり方について、実体験を軸にしつつ、政治、経済、歴史など、様々な視点から考えてみました。


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