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だらだらと新たな年を思う

 今日は曇り空で、もしかしたら雨が降るかもしれないという天気だったので、昨日からもう今日は家でだらだら過ごそうと決めていた。
 年末から年始にかけてはずっと仕事で、こんな年は今までほんとになかったのだけれど。
 年末のいつもの愉しみは、こたつに入りながら夜更かしをしてテレビを眺める。数の子やおせち料理の一部などをフライングして食べながら、日本酒を飲み、いろんなテレビ番組をザッピングしながら一人クダをまきながら過ごすのを、どうしてか習慣化していてそれが何より楽しみになっていたのだけれど、今年はそうもいかず、早寝早起きの年末年始だった。

 なので、今日はせっかくなので家でダラダラと、うだうだと過ごすことにした。

 基本的にこたつの中で過ごす。妻にはおそらくとても迷惑な存在だろうな、と思いつつ。
 妻に勧められた影響で、今は中国ドラマにはまっていて、BSで放送中のドラマを録画して3本を並行して見ているので、ミカンなどを頬張りながらそれをのんびり見て過ごす。
 中国ドラマは妻も見ているので、夫婦で数少ない共通の趣味のようなものになっている。とはいえ、観るタイミングは夫婦バラバラで、基本的に妻はぼくよりももっと先の回まで見終えているのだけれど。

 ま、しかしドラマを3本も続けてみるのもなかなかしんどいもので、そのあとちょっと昼寝をした。夜に布団で寝るときは上を向いては絶対寝られないのに、昼にこたつで寝るときには上を向いて寝られるのだから、不思議である。

 ああ、ダラダラしているなあ、と思う。そこで何か生産的なことをしなければ、とつい思ってしまうのは根っからの貧乏性ということなのだろうか。
 そこで、コーヒーを淹れ、ちょっと柿の種なんぞをつまみながら、パソコンを開き、少しだけ書き始めていた短編小説のつづきを書いてみる。何か満たされない思いがある時には、多くの場合何かを書くことである程度ぼくの場合は満たされる傾向がある。
 小説はまるで書き進められず、原稿用紙で言うと1枚程度しか書けなかったけれど、しかもまるで面白いのかどうかもわからないのだが、書いたことで少し満たされた気分にはなったようだ。

 最近は、レイモンド・カーヴァーを再読したりしていて、少し疲れたので先日劉慈欣の「三体0 球状閃電」をキンドルで買って読み始めたところ、とても面白いのでしばらくは楽しい読書時間を送れそうに思っている。もちろん、レイモンド・カーヴァーなどアメリカの純文学?も大好きなんだけど、やはりそんなのばかり読んでいると、正直なところちょっと読書に疲れてくるのかもしれない。

 小説を書いた勢いで、今年2023年初めてのnoteを書いているのだけれど、脈絡のない、ダラダラとしたものになっている。

 今年はどんな年になるんだろう。いろんなことが前に進んでいく年になればいいな、となんとなく思っている。
 そういえば、去年の12月からハチミツを食べ始めて、なんとなく体の調子がいい。今年もハチミツを続けながら、元気に過ごしたいものだ。

 去年始めた自転車では、とりあえず50kmのサイクリングを目標とするかな。自転車ガチ勢になろうかと考えていたけど、あまりガツガツいかず、自分のペースでのんびり走るのも楽しいと気付いたし、もしかしたらその方がぼくには合っているのかもしれない。ロードバイクでそんな走り方はもったいない、と言われるかもしれないけれど、自分が楽しければそれでいいのだ。

 そして、小説も含めてnoteもぼちぼち書いていきたいと思う。


 さて、くだらないことをだらだら書いたけど、これが今年のnote書初め。


 この後は、こたつで軽く早めの晩酌をしよう、日本酒で。早い時間にお酒を飲むのって、なんか幸せな気分になるんだよね。
 さて、アテは何にしようかなぁ。



 

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