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ショートショート『待つ人』

 この話は、ある夜の夢をもとに、それを補正して書いたものです。なので、つじつまが合わなかったり、支離滅裂な点はあるかもしれませんが、とにかく夢の中で感じた感覚を形にしたくて書いてみました。
 意味不明な内容の中に、何かを感じていただければうれしいです。

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 小さな駅で、私は駅員をしていた。小学生のころから鉄道模型にはまり続け、その趣味が高じて鉄道員になったのだ。本当は運転手に憧れていたのだが希望はかなわず、今は地方の小さな駅の駅員として働いていた。
 その駅に、数日前から、ひとりの女性が夕方になると決まって訪れるようになっていた。白髪交じりの彼女は、まるで誰かを待っているかのように、いつも改札の外から駅の中をのぞいては、溜息をついてばかりいたのだ。
 そして、今日も彼女は改札の脇に立ち、列車が到着するたびに早足に歩き去る乗客の姿を目で追い続けていた。
 身なりはきれいにしていたが、足元はつっかけ履きで、どこかアンバランスな印象だった。私は、この数日間、同じような姿で立つ彼女を見かけていたので、何となく気になっていたのである。
 ところが今日、彼女は改札を無理やりすり抜けると、駅の中に入ってきたのである。それを見た私と後輩の森山君は、あわてて彼女の方に駆け寄った。
 「どうしましたか?」
 私はその女性に声をかけた。
 彼女は荒い息をしながら訴えかけるように言った。
 「夫を見かけませんでしたか? 背が高くて、シルクハットをかぶった人なんですの」
 彼女は明らかに気が動転しているように見えた。
 私も、森山君も、しかしそんな男性は見ていなかった。今どきシルクハットをかぶった人なんかがいたら目立ってしょうがない。それならきっと気が付いていただろう。
 「そうですか・・」
 女性は、気落ちした様子で再び改札機の扉を体でこじ開けるようにして帰っていった。
 私は、夫人の後ろ姿をみて、何となく胸騒ぎを覚えた。そして、
 「俺、ちょっと彼女を追いかけてみるわ」
 と森山に声をかけると、彼女の後を追うことにしたのである。
 少し行くと、女性の小さな背中を見つけた。私はゆっくりと追いついて、彼女に並びながら話しかけた。
 「お宅までお送りしましょう」


 歩きながら、彼女は夫が好きだった曲、夫と行った場所や新婚旅行の話などをしてくれた。
 「そうそう、夫はお酒が大好きだったわ。飲むといつも朗らかになって、普段はあまりしゃべらないあの人がとてもおしゃべりになるのよ」
 「そうですか。私もお酒は大好きですよ」
 「あら、そう」彼女は驚いたふうに私を見た。
 「それであの時も、飲んで飲んで、ま、安酒だったですけれどもね、まるでやけ酒のように飲んで。そして酔っぱらってしまって。まだ赤ん坊だった昭を抱いておいおい泣いてたわ。いつもは楽しい人になるのに、その夜はまるで逆だったわ」
 彼女は言った。
 「旦那さんはどんな仕事をされてるんですか?」
 私は聞いた。
 「夫は新聞記者なんです。毎日毎日夜遅くまで仕事をして、それで帰ってきては戦争のことについて文句ばかり言っていましたわ」
 「戦争? いったいどこの戦争ですか?」
 「大東亜戦争のことですよ」彼女は、あなたは何を言っているの? と尋ねるような表情で言った。「夫はまだ26でしたからね。そんなこんなで、とうとう戦争に駆り出されてしまいましたけどもね」
 「なるほど。で、どちらの方へ?」
 「たしか、フィリピンだったか、インパールだったか、確かそのような外国に行くことになったようでございますわ」
 彼女の話を聞きながら、私は少なからず混乱しながら、あいまいな相づちをうった。
 「そうそう、あなたも覚えておいででしょう? さっきの駅。なんて言ったかしら、あなたが駅員さんをしている駅、あそこから夫は出発したんですから」
 「なるほど・・・。で、旦那さんは帰ってこられたんですね」
 私は、彼女に尋ねた。彼女の歩みは非常に遅かった。そしてその横顔は、何か深く物思いにふけっているような表情をみせていた。
 「そうなの」彼女はぱっと顔をあげた。「実はね、今日帰るからって、夫から電話があったのよ。だから私ったら、待ち遠しくて駅まで押しかけちゃったってわけなの」
 そういうと、女性は少しだけ頬を赤らめた。
 「失礼ですが、他のご家族は?」
 「そんなのおりませんよ。一人息子の昭は、とうの昔に嫁と東京に行ったきり、戻っても来やしませんもの。どうしてなんでしょうねぇ。いつだって私は待ってばかりなの」
 「でも、もうすぐ旦那さんは帰ってこられるんですよね。よかったですね」
 私は彼女の話に合わせるように言った。
 「そうね」
 彼女は、小さく力なくうなずいた。
 「私のとこも、高校生の女の子がいるんですがね、もう親のことなんて、もうまるで邪魔者扱いですよ。子どもって、きっとそんなもんなんでしょうな」
 私はそう言って笑って見せたが、彼女はうつむいたままだった。
 もう日も沈みかけ、あたりは薄暗くなってきていた。街灯に明かりがともりはじめ、その明かりに浮かび上がる彼女の姿を私は見つめた。背筋はシャンとしているが、その顔の深いしわからは、彼女が重ねてきた長い年月がしっかりと読み取ることができた。明かりの中で、その姿は一層小さくなったように思われた。


 それからしばらくして、彼女のうちに着いた。それは、古い長屋のような建物の一間だった。
 「着きました」
 彼女は言って自分の家を見上げた。明かりはなく、真っ暗な部屋だった。
 「では、私はこれで」無事家まで送り届けられ、私はほっとしながら言った。「旦那さん、早く帰ってくるといいですね」
 すると、
 「あなた」彼女は帰ろうとする私を呼び止めた。「あなた、もしよかったら少し家でお酒でも飲んでらっしゃらない? せっかく送っていただいたのに。夫が戻ってきたら、一緒にお礼が言いたいわ」
 「いや、私はまだ仕事が残っていますので」
 私は、困りながら断った。
 「そう。わかったわ。じゃ、今度きっとうちに来てくださいね。夫と3人で飲みましょうよ」
 「わかりました。では、今日は帰りますね」
 私は彼女に背を向けた。そして歩き出そうとした時だった。
 「いってらっしゃい」
 彼女は私に向ってそう叫んだ。それはまるで、少女のような澄んだ声だった。振り返ると、彼女はもう一度、
 「いってらっしゃい。おはようおかえり」
 と精一杯の声で言ったのだ。そして、声を押し殺しながら、静かにその場に泣き崩れたのだった。

読んでいただいて、とてもうれしいです!