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直接と間接

直接と間接

平成の野球界の大スターにイチローがいます。令和の大スターには大谷翔平がいます。ともに道徳授業の実践が数多く報告されています。私は正直、イチローや大谷の授業を見たり実践報告を読んだりしていて、「うん、これはいい、自分もやりたい」と感じたことが一度もありません。なぜだろうと考えてみるのですが、長らくその答えを得られませんでした。しかし、最近ようやく自分の違和感のもとが理解できるようになってきました。イ

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教材の考察

教材の考察

「教材研究」という言葉があります。この言葉は教師にとって、或いは学校教育界にとって非常に大切な言葉だと思うのですが、最近は手垢がついてしまって非常に軽い言葉となりつつあります。

もともと「教材研究」という言葉は三つの研究の複合体としてのイメージをもつ言葉でした。①教材とするための素材自体の研究、②学習者の実態の研究、③素材と学習者とを結びつけるための学習活動の研究の三つです。それぞれ、「素材研究

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正直に言おう

正直に言おう

正直に言おう。僕は小学校教師というものにある種の怖ろしさを感じている。こんなことを言っては小学校の先生方に申し訳ないのだが、自分には絶対にできないな……と思う。

僕は中学校の国語教師だから、担任をもっても僕が担任学級に入るのは最大で八時間だ。国語の授業で四時間、道徳が一時間、学活が一時間、総合が二時間の八時間である。授業は週に二九コマだから、他の二一時間はほかの先生が入ることになる。もちろん、朝

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正しすぎる論理と三校目の危機

正しすぎる論理と三校目の危機

三十代には分岐点がある。

「正しすぎる論理」を使うようになるか否かの分岐点である。「絶対なんてありません。人それぞれですから……」というのがそれだ。

この論理は正しすぎる。だれも反論できない。しかし、正しすぎるが故に何の役にも立たない。役に立たないばかりか、ときにマイナスにさえなる。この論理を持ち出した途端に、すべての思考がストップしてしまうからだ。

何かを思考しようとするとき、何かを議論し

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