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正しすぎる論理と三校目の危機

三十代には分岐点がある。

「正しすぎる論理」を使うようになるか否かの分岐点である。「絶対なんてありません。人それぞれですから……」というのがそれだ。

この論理は正しすぎる。だれも反論できない。しかし、正しすぎるが故に何の役にも立たない。役に立たないばかりか、ときにマイナスにさえなる。この論理を持ち出した途端に、すべての思考がストップしてしまうからだ。

何かを思考しようとするとき、何かを議論しようとするとき、「絶対なんてない」という論理は取り敢えず括弧にくくらなければならない。括弧にくくって、もっといいものはないか、いま自分が考えているよりも高次の見解はないか、こういう構えで思考したり議論したりしなければならない。そうしないことにはすべてが現状維持である。

しかし、教員世界には思いの外この論理を持ち出す人が多い。特に研究畑の教師に多い。更にいえば、国語教育に携わっている者に顕著に多い。おそらく、あまりにも諸派諸説が乱立しているため、対立しないために編み出された詭弁なのだろう。また、自分の主張へのこだわりが大きいために、対立する主張から自分の身を守るために弄される詭弁という側面もある。前者は〈止揚〉を、後者は〈成熟〉を拒否している点で百害あって一利なしだ。百歩譲って、こうした態度が自分自身のみのこだわりから発祥しており、他に迷惑をかけないでいるのであれば、それほどの実害はないとも言える。しかし、こうした人々の多くは、他人にもこの論理への帰依を要求する。結局、この論理は「だまれ!」と言うのに等しい機能をもつ。

一方、「絶対がある」と信じる教師はもっと厄介である。意識としては「絶対なんてない」と考えているものの、無意識的に自分のやっていることを「絶対だ」と信じ、そこから逃れられない教師は少なくない。僕の印象では、それは三校目の転勤で顕在化する。

三十代は三校目の転勤を経験することが多い。初任で緊張感と戸惑いのうちに少しずつ勤務校に慣れ親しんだ一校目、初めての転勤に仕事の作法の違いに戸惑いながらも新しい学校に少しずつ対応していった二校目、二校目ではそれなりの重責も担うようになる。そして三十代半ばから後半に至っての三校目の転勤である。この頃には「こうすれば仕事はうまく進む」「こうすれば子どもたちをよりよく育てられる」という自分なりの仕事観・教育観がある程度確立している。この時期の転勤は、教師にある種の精神的危機を引き起こす。

これまで経験してきた二校の仕事の作法と新しい学校の仕事の作法が違う。教師陣のやることなすことがひどく非効率に見える。前任校で当然だったことに新任校の教師陣は気づいてさえいないように見える。子どもたちに対する教育観が違う、保護者に対する対応の作法が違う、各種行事に対する熱意が違う。さまざまなことが形式的に進んでいたり、逆にひどくゆるくていいかげんに見えたりする。自分がそれなりにやってきたという自信が、「この学校を変えてやる!」になる。ついつい職員会議での厳しい口調につながる。もとからいた教師たちに少しずつ距離を置かれ始める。或いは「こんな学校、さっさと出てやろう」になる。数年で転勤するつもりの仕事振りを示す新任教員に、職員室から温かい視線など向けられようはずもない。こういう三十代教員のなんと多いことだろう。

しかし、その学校の現状があるのは、その学校の歴史があってのことなのだ。新任教師には予想さえしえない事案が過去にあったのかもしれない。地域の実情によって非効率を承知でそうせざるを得ない事情があるのかもしれない。そうした陰の事案、陰の事情に新任教師は思いを馳せることができない。そもそも、その学校の歴史を知らぬ者に学校改革などできるはずもない。実は、学校改革をよりよく遂行できるのは、その学校の事情をよく理解し、その学校に深い愛情をもつ者だけであることをその教師は理解していない。自分の経験から導かれた正しさだけを基準にした改革の断行は多くの場合うまくいかない。

職員会議というものは何が正しいかではなく、だれが言ったかで決まるものだ。その意味で、職員室でまず目指すべきは「あの人が言うなら仕方ない」と思ってもらえるような人間として認めてもらうことなのだ。良し悪しは別としてこれが真実なのだ。このことを理解しない三十代は、転勤先で戸惑い、彷徨い、ときには自信を失っていく。それが三校目の危機である。

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