堀 裕嗣

「研究集団ことのは」代表。公立中学校教員。 新著『道徳授業で「深い学び」を創る』(明治…

堀 裕嗣

「研究集団ことのは」代表。公立中学校教員。 新著『道徳授業で「深い学び」を創る』(明治図書)/『アクティブ・ラーニングの条件』(小学館)

最近の記事

私は三人の師をもっています。 一人は森田茂之。大学時代の直属のゼミの師匠です。いわゆる現場上がりの大学教員で、文学教育の研究者でした。私が現在、国語教育において研究対象としている「問題意識喚起の文学教育」「状況認識の文学教育」「十人十色の文学教育」(荒木繁・大河原忠蔵・太田正夫)という1950年代以降の日本文学協会の実践群は、師匠森田茂之から引き継いでいる研究です。現在、盛んに発信している道徳授業研究もこの延長線上にあります。 森田は中学校の部活動のような感覚で、水曜日と

    • 教師らしくなりたい?

      ある年、僕が学年主任をしていた年の一学期のことである。初めて担任を経験する隣のクラスの女の子が子どもとのちょっとした言葉の行き違いで落ち込んだことがあった。彼女がメールで相談してきたので、それに応えてやりとりをしているうちに、こんな言葉が送られてきた。 「いつになったら教師らしくなれるんでしょう……。」 僕はすぐに返信した。 「そんな馬鹿なことを考えるんじゃない。教師らしいお前なんて目指すんじゃない。目指すべきはお前らしい教師だ。お前が教師に近づくんじゃなくて、教師とい

      • 金曜の夜、土曜の朝が好き?

        金曜の夜と土曜の朝が好きだ。 日曜の夜と月曜の朝は絶望的な気分になる。人間ならあたりまえだ。 教師の世界には教師の仕事を神聖化する人が多い。土日も含めて常に教師である、教師でありたい、そんな綺麗事がまかり通る傾向がある。馬鹿を言うな。僕は教師を仕事してやっている。教師をやることは喰えるということが前提だ。この仕事で喰っていけないとしたら、僕はすぐに別の仕事を探す。教職を天職だとは感じているが、喰えない天職など「天職」の名に値しない。 僕は金曜の夜はとことん遊ぶことにして

        • 教師の仕事は感動的?

          教師の毎日には感動がある。そう思われているフシがある。確かに中村雅俊演じる教師にも武田鉄矢演じる教師にも毎回感動があった。でも、それはあくまでドラマでのこと。一般的な社会人の毎日がルーティンワークに明け暮れているように、教師の毎日だって感動も涙もない膨大な子どもたちのやりとりでできている。もっと言うなら、教職なんていうのは子どもたちに、ただ淡々と、普通の、日常的な学校生活をつくっていくことにこそ本質がある。 教師が仕事に感動を求めてしまうと、感動と親和性の高い子どもにばかり

          お目にかかれたら幸いです。

          〈今後の予定〉 御依頼は下記日程以外でお願いします。 【定員16/残席3】 THE 不登校対応~教室実践力セミナー2024水無月in札幌/日時:2024年6月15日(土) 09:10~16:50/会場:札幌市産業振興センター/参加費:4,000円(含・弁当代1,000円)/登壇者:千葉孝司・宇野弘恵・髙橋和寛・梶原崇嗣・太田充紀・山口淳一・新里和也・大野睦仁・高橋裕章・友利真一・山下幸・堀裕嗣 https://www.kokuchpro.com/event/533e17e

          お目にかかれたら幸いです。

          ハプニングはできるだけ排除すべき?

          論理的思考ほど実生活の役に立たないものはない。その証拠にだれもが論理的にものを考えようとするけれど、だれもが論理的にものを考えることができない。実生活においてだれもが論理的に考えて動くことができないのだとしたら、論理的に考えて対策を講じようとしても無駄骨に終わるだけだ。論理で動かない世の中に論理で対抗しようとしても虚しいだけである。  教師は教室からできるだけハプニングを排除しようと努める。指導案通りに進めようとする授業然り。教師の思い通りにコントロールしようとする学級経営

          ハプニングはできるだけ排除すべき?

          高いアンテナってどうしたら手に入る?

          僕はアンテナの高さに割と自信がある。 もちろん我が家のアンテナが高いと自慢しているわけではない。あくまでも比喩だ。だいいち僕は自分の家のアンテナを見たことがない。だから我が家のアンテナを自慢することができない。人は知らないものを自慢できない。それはちょうど、自分の体力の自慢できても、自分の十二指腸がいかに活発に機能しているかを自慢できないのに似ている。 僕は小説をよく読む。学生時代にもよく読んでいたが、就職してからはあまり読まなくなり、四十代の後半に入ってまた再びよく読む

          高いアンテナってどうしたら手に入る?

          多忙なら必ず多忙感をもつ?

          僕は「忙しい」と呟いたことがない。もっと言えば、自分が忙しいと感じたことがない。 「忙しそうですね」と言われたことはある。僕は自分の予定をブログにアップしているから、毎週末に全国を飛び回っているのを見てみんなそう言う。「これで平日は勤務があるんですよね」とも驚かれる。でも、それは当たり前のことだ。それを承知で週末に予定を入れているのだから、文句は言えない。だいたいそういう予定に文句を言いたくなったら、僕は週末に予定を入れなくなるだろう。週末の研究会は必ずしも「やらなければな

          多忙なら必ず多忙感をもつ?

          褒めるべきときにだけ褒める

          1.褒めるの自己目的化 ある若手教師の授業を参加していたときのことです。その教師は子どもたちにペアで音読練習をさせたあと、5、6人の子どもたちを指名して段落毎に読ませました。そして教室全体を眺め渡してこう言いました。 「みんな素晴らしいかったね。さっきの音読練習の成果がよく出ていたよ。」 なんということのない褒め言葉です。読者のみなさんは特に気にならないかもしれまかん。しかし、この褒め言葉は問題だと僕は思います。 この言葉が、いま音読をした5、6人に視線を投げ掛けなが

          褒めるべきときにだけ褒める

          シコウ

          若い頃には、だれもがなんとなく世の中には〈真理〉というものがあるような気がして、それを追い求めます。それが思考を複雑にしてすべてをすくい取ろうという発想になったり、ちょっとした心地よいフレーズを「ああ、これは世の中の普遍原理だ」とよく理解しないままに収集したりしがちです。しかし、どちらもよくありません。どちらもよくないというよりも、どちらも一長一短なのです。 何事も〈提案〉というものは、すべてをすくい取りたいという〈志向〉のもとに複雑な〈思考〉をくぐり抜け、それらに優先順位

          シンプル・イズ・ベスト?

          先達の言葉はいたってシンプルだ。 公開研究会の飛び込み授業なんかを参観すると、授業が始まるまではまるで年老いた鳩のように枯れて見える先達が、子どもたちの前に立った途端にえさをもらう飼い犬のように生き生きとした表情を見せる。その躍動感は自らのシンプルな到達点への確信が支えているように見える。 若いときには、その姿が「ああ、この人はほんとうに子どもが好きなのだなあ」というふうに見えてしまう。しかし、年齢を重ねてくると、決してそれが間違いではないけれど、それだけではないなという

          シンプル・イズ・ベスト?

          教師は「教え方」以上に「在り方」を問われる?

          我々の欲望と我々の能力の不均衡にこそ、我々の不幸は存する。 こう言ったのはルソーである(「エミール」)。至極名言だなと思う。僕らは子どもたちにとって価値ある教師でありたいと欲望する。でもその能力に限界を感じる。ときにそれをとことん自覚せねばならないこともある。そんなとき、僕らは不幸せを感じ、自分自身に絶望的にならざるを得ない。そんなことを繰り返しながら、教師もまた、少しずつ強くなっていく。 多くの教師は子どもたちにとって価値ある教師になるために、「ワザ」を身につけようとす

          教師は「教え方」以上に「在り方」を問われる?

          ポジティヴな感情は「過剰」を生み出す?

          この世にあるポジティヴな感情は須く「過剰」を生み出す。情熱や熱中が「過剰」を生み出す。過ぎたるは及ばざるがごとし。ときにやり過ぎが最初からやらかったときよりもマイナスを生じさせることがある。情熱や熱中を価値として生きる教師はこれを意識した方がいい。 僕は新卒の年、自分の学級を愛し過ぎてその後にもった学級を愛せなかったという苦い想い出をもっている。このことは拙著『エピソードで語る教師力の極意』に書いたから繰り返さないけれど、この経験は僕のその後十年間くらいの教員人生を狂わせた

          ポジティヴな感情は「過剰」を生み出す?

          大切なもの

          大切なものがずいぶん前に失われていたことに気づくことがあります。大切なものがずっと前にどこか別の場所に去ってしまったことに気づくこともあります。そんな失われてしまったり去ってしまったりしていることが既に自分の一部になってしまっていることに気づき、茫然と立ちすくむことがあります。 そんなとき、自分の胸に手をあててよく考えてみると、そのきっかけが自分のエゴであることに気づきます。これでいいや、これ以上は面倒だ、これだけやっておけばいいだろう……そう考えてしまった瞬間に、「これ」

          大切なもの

          〈今後の予定〉

          御依頼は下記日程以外でお願いします。 【定員30/残席7】 EDGE at 稚内/大野さんが立ち上げた新しい研究会です/2024年5月25日(土)/稚内ポートサービスセンター/参加費3,000円/大野睦仁・宇野弘恵・太田充紀・堀裕嗣 https://www.kokuchpro.com/event/ae9f6ded150988bd91e0b95882ed3533/ 【定員16/残席5】 THE 教材研究・イロハのイ~国語科授業改革セミナー2024水無月in札幌/「教材研究」

          〈今後の予定〉

          人は他人の誠実さに惹かれる?

          誠実な人と淫らな人。あなたはどちらが好きだろうか。 一緒に仕事をするならとか一緒にいて安心するとか、よけいなことを考えてはいけない。単純にどちらが好きかという問題だ。どちらに惹かれるかと言い換えてもよい。多くの人が淫らな人であるはずだ。無能な淫らさはみんな嫌いだが、有能な淫らさはだれもが好む。 人は有能な人間の「淫らさ」に惹かれる。 誠実な人、一緒にいて安心する人、確かに大切かもしれない。しかし、誠実も安心もただそれだけである。それ以上にはならない。誠実と安心を掛け合わ

          人は他人の誠実さに惹かれる?