見出し画像

「珈琲日和」バー

 私は地下へと続く階段をゆっくりと降りて行った。

 私はなにしろ緊張していた。栗のタルトと温かい珈琲はなぜか私の身体を冷やした。繁華街の外れにあるカフェに私は入ったのだが、温和な店主との会話やレトロな店の雰囲気がなぜか私を強張らせた。さらにカフェインの鎮静作用が私の緊張を膨張させた。
 
 私は安らぎを求めていた。カフェを去り私は大通りに出た。もう陽が暮れかけていた。ターミナル駅へと向かう路線バスには、マスクをした多くの人が詰め込まれていた。全ての人がバスに吸い込まれてしまったのだろうか。大通りを歩いているにも関わらず、歩行者は私一人だけになった。そして何の変哲もない画一的空間を売りにするビルの片隅に、地下へと続く階段の入り口を私は見つけだのだ。

 真っ暗な階段を私はゆっくりと下った。

 辿り着いた地下にはただ、一つの扉があった。私は躊躇なくその扉を開け、手あたり次第壁に触れた。カチッという乾いた音が響き渡ると、一つの小さな球体が一つの小さな光りを放ち始めた。その下には木調の古びたバーカウンターがあった。部屋は六畳ほどと狭く、最近人が使った痕跡はなかった。私は壁側のテーブル席に座り、バーカウンターを眺めた。オレンジ色の灯りが相変わらずうっすらと光っていた。私の緊張は徐々に緩和された。誰かに注文を取りにきて欲しかった。でももちろん誰も来なかった。外の音はここには持ち込まれなかった。私は静けさの一部となり、心ゆくまでバーカウンターを眺め続けた。


この記事が参加している募集

#私のコーヒー時間

27,450件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?