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【映画】また「ルックバック」に殴られた

当初は「上映時間1時間だしサブスク待とうかな」と思っていたが、そんな甘い考えを真正面から殴ってきた。

エピソードも踏まえて、自分の見た感想を書き殴りたいと思う。


公開当初は映像化に反対していた

以前「ルックバック」の感想文なるものを書いたなと思い出した。

自分で書いた文章にも関わらず内容の大半を忘れていたのだが、読み返してみると当時は「映像化されてもきっと見ない」と書いていた。

読み返しても、公開直前までその気持ちは変わらなかった。

理由とは原作殺傷と言っても過言では無い「身勝手な改変による原作へのリスペクトの欠落」がこの映画にも例外なく起こると思っていたからだ。

原作リスペクトの素晴らしさを知る


しかしだ、押山監督はそんな不安を真のクリエイティブで払拭した。

不可能だと思っていた漫画の絵が動くことの感動

「THE FIRST SLAMDUNK」で井上先生の絵が動いていることに感動したのだが、「ルックバック」もまた同じく「藤本先生の絵が動いている」と感動した。

但し、2つの映画では製作方法が異なる。

「THE FIRST SLAMDUNK」は原作者の井上雄彦先生が監督・脚本を務めており、原作者が監督を兼任すると言うパターンは今後あるか無いかぐらいにイレギュラーだ。

一方で「ルックバック」は通常の映画化と同様に、制作会社及びアニメーターさんがほぼ全ての映像化を担当する。

第三者に委託する形になるため、脚本や映像の手法を含めて原作者と解釈の相違が発生してしまう可能性が大いにある。私は原作を大幅に改変されてしまった場合が嫌で、読み切りが公開された当初は「映像化しても見に行かない」と断言していた。

でも「ルックバック」は違った。

原作者が頭になって指揮を取らなくとも、第三者が原作に忠実に映像化してくれることに対して感動した。

しかも別の原作者の作品で、同じベクトルの感動を味わえると思っていなかった。

じんわり染み渡るアナログチックな絵柄

劇場アニメ「ルックバック」本予告 より

「チェンソーマン」でお馴染みの藤本先生はデジタルで漫画を描いているはずなのだが、デジタルで描かれているはずなのにまるで小学生が自由帳に落書きで描いた漫画のようなアナログチックな懐かしさを覚えた。

表情も、髪の毛も、服も、背景も、どこを切り取ってもナチュラルで滑らかで、鉛筆や絵の具で描かれたかのような柔らかい線と温もりを終始どのシーンにも感じた。

ふとしたときにはまるで藤本先生が漫画を描いている時を覗いているような感覚に陥ることもあった。本当にアニメーターさんが「藤本タツキの絵に命を吹き込む」に徹底したのだと思えた。

残された藤野の死んだ目

特にグサッときたのが京本の通夜が終わった後、藤野が喪服姿のまま亡くなった京本の部屋に行くシーンだ。

劇場アニメ「ルックバック」本予告 より

藤本先生の覇気の無い死んだ目の表現力は卓越していると個人的には思っている。例えば「チェンソーマン」のマキマの無慈悲な目がそうだ。

声優さんが「キャラクターに声を吹き込んで命を芽吹かせる」とインタビューや舞台挨拶のレポートを読んだりしたが、それ以前にこのカットだけで生力の残らない失望した覇気の無さが伝わる。死を現すカットにも関わらず、声がなくともスクリーンで生きているように思った。

このnoteだって

ここからは自分の話をベースに「ルックバック」と織り交ぜて話をする。意味があると思うからだ。

数々の著名人も絶賛しているが、この作品を素晴らしいと思った人は創り手側でも創り手を支える側でも、そうしたストーリーや出来事があったからこそ「素晴らしい作品」だと公言しているはずなのだ。

劇場アニメ「ルックバック」本予告 より

藤野が京本に言われた「じゃあ藤野ちゃんは何のために描いているの?」の問いを思い出し、2人の思い出の回想シーンに戻る。

当時の藤野はおそらく答えられていないのだ。

漫画を描くのが好きだから、唯一の取り柄に誰にも負けたく無いから、藤野は自分のために漫画を描いていることに本当は気づいていたのかもしれないし、本当に何のために描いているのか自分で分からなかったのかもしれない。

君の為は自分の為

この記事も趣味で描いているためお金にはならないし、かと言ってコンテストに応募する訳でも無いため、無意味といえば無意味だ。

劇場アニメ「ルックバック」本予告 より

元々ロックバンドが好きでライブに行ったり、アニメや映画を見て、少しでもライブを記録したりしっかり作品と真摯に向き合って考察しようと思ってブログを書き始めた。

既に音楽シーンを一世風靡しているバンドも好きだが、並行してまだ世間的に知られていないマイナーなインディーズのバンドも好きだった。

案の定売れる前のバンドを好きな人口はマイノリティで、特にコロナ禍以降は経済的に活動することが苦しく、解散するバンドも多かった。

少しでも細々と続けてもらいたく、バンドの活力になればいいなと思い、不定期だがnoteでバンドを紹介するようになった。自画自賛だが、売れるバンドを見定める目と耳はいい方だと思う。

だから当初はバンドや作品に対して間接的に感謝を伝えたり、知らない人にも魅力を知って欲しいと思い不特定の”君”のために書いていたというより、好きな作品の続編が見たいから、少しでもバンドを長く続けて欲しいから、「私の記事が何かしらの作品やバンドの続くきっかけとなるなら」と自分のために書いていた。

劇場アニメ「ルックバック」 より

ようやく気づいた

文章を書くことが周りより得意だったことに気づくのはだいぶ遅かった。

文章だけの媒体として残そうと思ったのは大体18歳ぐらいだと記憶しているが、本格的にこうした長文を書こうと思ったのは5年ぐらい前だと思う。

ずっと読書感想文が嫌いだったし、国語のテストの「作者の心情を述べよ」系の記述問題も苦手だった。

当時は携帯小説やライトノベルなどが流行っていたが、そもそも0から1を産み出すタイプでなかった上、一次創作でも二次創作でも自分の作品を書こうとは一度も思ったことが無く、創作活動すらしたことが無かった。

中学の終わりからスマホが普及しSNSが主流になり初めた頃、私は主にTwitterに入り浸っていたため文章を書くことの楽しさに気づいていたが、なんせ全く読書が出来なかった。

文章は書けるのに文章を読めないことがコンプレックスで、勝手に「本が読めない人間が文章を書いてはいけない」と知らずのうちに自分の首を絞めていたのだ。

劇場アニメ「ルックバック」本予告 より

嬉しかった

後に「自分は文章が書ける人間なんだ」と確信したかつ自信となった出来事が起こる。

短大のある授業のテストで、記述問題を多く出す先生がいた。

私自身、高校時代は数学でクラスでビリの赤点を取るぐらいに勉強が出来る頭では無いのだが、個人的にその先生の授業は興味深くて好きで、テストでは2度ほど成績上位にランクインするぐらいに良い結果が残せた。

その先生は採点に○×だけではなく、回答に対して「■のような出来事が書かれていれば○だった」というように、随所で一言アドバイスをくれるタイプだった。

ある日テストが返却され、とある記述問題で○がしてあるにも関わらず、赤ペンで何かしらが書かれていた。

「私の模範解答よりも素晴らしい解答です」と。

ただただ嬉しかった。

勿論批判もあった

学生〜新社会人あたりはブログをやっていなかったため、主にTwitterやInstagramでライブを忘備録として書くことが多かった。

(本音を言うと、私が中学の時はmixi世代でアメブロが全盛期だったのだが、中学生のブログなんて悪口大会のようなもので「またブログで黒歴史をやるのか」と思うと、別のサイトだとしてもブログを再開すること自体に強い抵抗があった)

キラキラ女子のような生活を送っていた訳では無いが、インスタはいわゆるリア垢でライブでも友人と出かけたことでも思い出を残そうと頻繁に更新していた。インスタをやっている人間からすると珍しく写真を加工することより文章を書くことの方が得意なタイプだっため、必然と長文になることが多かった。

ある日、いつも通り何気なく忘備録としてインスタを更新した。すると友人から「文章が長すぎて読む気がしない」とコメントが来た。

これまたDMではなくコメントというのが厄介で、その子は周りからも仲が良いとされていたため、オープンな場であるコメントに火種となりそうな「じゃあ読むな」とは言えずに、そのときは有耶無耶な返答をした。

「私は私のために書いているのに、どうして他人にそんなことを言われなければならないのだろうか?」と頭に来た(この時本気で読むなと思った)。

藤野と京本とは全く訳が違うが、私はこの一件でその子から離れたいと思った。

劇場アニメ「ルックバック」本予告 より

どうしてその言葉にカチンと来たのか分からない人の方が多いと思うし、藤野と京本がすれ違うシーンは自分にも重なるため、くだらないと思うかもしれないがそれまでの経緯の詳細を書く。

特に女性なら分かるかもしれないが、私は脳天気で適当な人間なのだ。そのチャランポランな性格がゆえに、その子は以前から私のことを見下している節があった。

私は短大出身で世間より早く社会に出ていて、部署異動に伴い地元を離れ一人暮らしを始め、それから引っ越しや転職もして、念願の猫を飼い始め、結婚や出産など明らかなライフステージの変化ではないが、生活の変化というものは何度か経験している。

常時私は”私なりの幸せ”を手に入れたいと思っており、これら全て自分が楽しいと思う方向に進んでいった結果論ではあるのだが、その子は世間的にどんどん進んでいく私を引き留めたかったのだろう。

藤野だってそうだ。「美術系の学校に行って絵を学びたい」と自立しようとした京本を藤野が引き止めるが、藤野にとっては漫画を一緒に描いてきた盟友が離れることよりも、引きこもりで引っ込み思案だった京本が、自らの意思で藤野の元を離れるという選択をしたことが気に食わなかったのだと思う。

私は自他ともに認めるほど運のいい人間ではあるが、何かしらの物事において多少の努力はしているし、それに伴う多少のショックな出来事も経験した。

その子は私が何もしていないで成功している風に見えているようで、運よく生きられている私を面白く思っていないのだろう。そんな訳ない。努力あっての運なのに。

そうした発言は大なり小なりだが、誹謗中傷に値する言葉が無いにも関わらず「文章が長すぎて読む気しない」の一言が最終的に決定打となった。

「ルックバック」を見た人のなかでも男女関係無く友人や恋人、広い視野では会社や店などの組織など、こういった分岐点となるエピソードは誰かしらにもあると思う。

何事も「そんなことで?」では無いのだ。些細な積み重ねが最後に大きな音を立てて崩壊するのだ。

とにかく進む

あの一言があってから、自分でも知らずのうちに「書き記す」と言う行為が自分にとって大事な核となっていたことに気がついた。

本当に当人としては何気無かったのかもしれないが、その言葉は私にとって凶器と言うより、そもそも反骨精神が強い私にとっては爆薬のようなものになった。知らずのうちに出来上がっていたその核は、嘲笑う言葉を跳ね返しながらも吸収するように着火剤となった。

そのたった一言が逆に書き続けるきっかけとなったものの、その前後に、私の核をギラッギラの鉄壁の鋼に仕立て上げてくれた言葉があった。

劇場アニメ「ルックバック」本予告 より

違うタイミングで別の友人が何人も「私の言葉選びが好き」と言ってくれた。

文才がある、文章が上手、そう言ってくれた人も何人もいた。嬉しかった。

確かに文章は最低限の基礎や技術があってこそ成立するが、何より「言葉選び」と表現してくれたのがとても嬉しかった。

ね、京本が部屋を飛び出して、今どき珍しい訛だらけの秋田弁で藤野に「ファンです!」と言ったシーンと同じでしょ?

劇場アニメ「ルックバック」本予告 より

私、あのシーンをクリエイターさんたちが魂込めて作った映像で改めて見て、読み切りを読んだときは「微笑ましいな」と思ったけど、諺の通り灯台下暗し、京本が家から飛び出したあのシーンはあまりにも自分と投影されすぎて、むしろ影になるぐらいに重なっていて、藤野と京本の世界の話だと思っていた。

違った。私にとってはフィクションスレスレのリアルだった。

それでも続ける

ブログを書くことはライブに行くこと、アニメや映画を見ることに次ぐ唯一続けられている趣味だ。

何度か「ライターを本職にしないのか?」と聞かれたことはあるが、プロとして中立的な立場で書くより、いち一般人として当事者目線で書くからこそ趣があると思っているのでこのままだろう。

記事を読んでくださった方から反応を頂いたり、ご本人様がいいねやメッセージをくださったり、チヤホヤされると言うほどでもないが正直気分が良くなる、自慢出来るような出来事は一度だけではなく、何度でも起きた。

そんなときの気分は降り始める雨のなか、卒業式帰りの清爽なフォーマルな服で傘もささずにびしょ濡れのまんま、田んぼの畦道を踊りながら帰る藤野と一緒だった。

劇場アニメ「ルックバック」本予告 より

無念の不慮な事件で最終的には後付けの形にはなったが、藤野は漫画を描く理由を見つけた。藤野は京本のために漫画を描き続けることにした。

私が文章を書くことも未だに「書きたいから」以外に理由はない。無いけど、私にとって「文章を書く」というのは癖のようなもので、私の心に秘めた「文章を書く」という核はカッコよく磨き上げられたギラッギラの鉄壁の鋼なのだ。

そうやって「自分のため」とは言っても、ちょっとでも、微かでも、誰かに届いたら嬉しい。

【余談】

以前、凛として時雨のTKが出版したエッセイの感想文で自分が文章を読めないことについて書いたのだが、改めて読み返すとTKがアニメタイアップ曲を作るにあたり「読者やファンと同じ速度で歩みたいから、原作を全て読んでから楽曲制作に励む」と書いていた。

「ルックバック」の製作陣に通ずると思ったため、「チェンソーマン」繋がりで掲載させて頂く。


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