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【創作短編小説】arne/chronicle

*この小説は曲をモチーフにした創作小説です

1.赦し

僕は死に切れなかった。

ある冷夏、突如彼女がこの世を去ってしまった。正確に言うと彼女との関係は婚約者で、入籍するタイミングや新しい家などを話し合っている真っ最中だった。

彼女の葬式を終えても、彼女がこの世に居ない現実を受け入れられない。彼女を失って3か月経った今も、淡々と職場に行き、彼女のいない僕だけの家に帰る生活。毎日馬鹿騒ぎしていた会社の同僚や上司にはその3ヶ月の間、気を遣われっぱなしだ。そんな同僚は昔、僕が「チャリ盗まれた」と話したら「お前って不幸なやつだな」と笑い話にしていたのに、3ヶ月も可哀想とひたすら気を遣われるのはこちらも気を遣う。もう散々だ、あの時のテンションで見下してくれよ、僕は彼女に死なれた不幸な人間だ、下には下がいると馬鹿にしてくれよ。

大切な人を支えることも支えられることも無くなった。大した趣味もない。生きる目標もない、すっかり仕事だけの人生になった。次の恋愛なんて全く考えられない、彼女が僕の生きる意味そのものだった。彼女と過ごした時間はそう自負するほどの大恋愛だった。

僕は安易に思った。「死んだら楽になるんだよな?」よくニュースでアル中で死亡とかやってるし、お酒に弱い僕の体内に無闇に酒をつぎ込めば、急性アルコール中毒でも何でも痛みなく楽にぶっ倒れて死ねるだろう。仕事を終えた金曜日、帰り道に通るドラックストアで片っ端から焼酎のボトル瓶に、缶ビール、安っぽい日本酒、CMで見かけるカクテル缶、アルコール飲料と呼ばれるだけの商品を買い物カゴに詰めるだけ詰めた。

家に帰ってから冷蔵庫に入れることなく、すぐに缶ビールを空けた。生温くて鉄の味のするビールは反射で苦い顔をするほど美味しくない。即座に常温の焼酎を開ける。飲み会以外でお酒を飲まないからお茶割りとか水割りとかよく知らない。ただ安い酒は美味しくはないことだけが分かる。とにかくそうやって胃にアルコールを溢れるほど注ぎ込み、明日にはこの部屋ではない新たな世界にいることを期待した。

夜中の2時。頭痛で目が覚める。夜中なのにどうも明るいと思ったら開けっ放しのカーテンの窓から満月が覗いていた。部屋には散乱した中途半端に残った焼酎ボトルや空けっぱなしの缶ビール、レジ袋に入れっぱなしの未開封のカクテル缶らが鎮座する。どうやらただ寝落ちしていただけだった。

僕がいたのは、僕だけが遺された部屋だった。

人間は案外図太い。図太いというより、簡単には死ぬことが赦されないのだと思う。望んでいなくても、勝手にこの世に産み落とされても、僕の使命を全うするまでは生きなければいけないそうだ。

ニュースではストーカーにめった刺しにされたとか、首吊りで孤独死していたとか、アナウンサーも新聞もネットニュースも淡々と事実だけを報道するけれど、それは相当の殺意と瞬発力が不幸にも相まった結果なのだと身を持って知らされた。

窓から覗く満ちた月に無惨にも言われたような気がした。

「生きれたのね、おめでとう」

そんな祝福は要らなかった。

2.斜陽

グラフィックデザイナーとして働く僕と、出版社で働く彼女は休みが同じとは言え、出勤時間も帰宅時間も異なるので2人で少し家賃が高くてもと2DKを選んだ。

同棲することになった時、寝る場所があれば十分で暮らしにこだわりのない僕は「任せるよ」とインテリアは全て彼女に任せた。出来上がった部屋は、ウッドテイストとライトブラウンが基調の明るくも落ち着いたインテリアになっていた。

彼女が一番に拘り、家電よりもお金をかけていたメインであるリビングの壁一面の大きな本棚には、図書館の一部を切り取ったかのように本がズラリと並んでいる。全て古本屋巡りが趣味の彼女の世界だ。この本らはリビングだけでは収まらず、彼女の部屋の本棚にも溢れ返るほどの本が置いてある。全部で何百冊あるか分からないぐらいだ。本棚の一番高いところは危ないからとスツールを上り下りして、僕が本を出したりしまったりしたな。

窓から見える満月がほんの少し右下に移動している。僕はリビングの本棚の足元、一番下の段に横たわっている。現実なのか夢なのか曖昧な、アルコールに支配された身体が怠い。

本棚の一番下の段にあった「斜陽」というタイトルの本がふと目に入る。太宰治という作家を知ってるだけで何も考えずに手に取った。パラパラ、と本を捲る。

ふとこの文が目に飛び込んだ。

僕には、希望の地盤が無いんです。さようなら。

僕だ、僕のことじゃないか。たった今、長いようで短い人生で扉を開ければすぐ地獄と言い切れるほど最大限の絶望の淵にいると言い張れるが、そもそも自己肯定感の低い僕は生まれてからずっと絶望している、なんなら絶望と共存している。側から見れば少ないながらも友人もおり、仕事もあり、大学に行かせてもらえるまでの経済力はある不自由のない恵まれた家庭で育ったと思う。だけど僕自身には希望も何も、なりたい将来像もなりたい未来も持っていない、虚無の人間だ。

今日を生活することに精一杯の僕に、希望を作り、そのために突き進むバイタリティなんて持ち合わせていない。ただ生まれてしまってからには、という惰性で生きている。

3.点

学生時代は勉強もスポーツもルックスも普通以下だったが、絵を描くことだけは昔から得意で、小中学生の夏休みの課題を出すたびに学校が勝手に選出するコンクールに入賞したり、文化祭ではポスターを書くことを任されたりしていて、絵に関しては親戚からも褒められることが多く、絵だけは自信があった。

高校卒業後は迷わず美術関係の大学に進学、3年生の時に学校行事以外の思い出を作ろうと、入学したての1年の時から仲の良い同じ大学のカメラ好きの友人と2人で展示会をした。展示内容は彼が撮影した風景写真をキャンパスにプリントし、僕がその風景写真に絵の具を重ねるという共作の作品である。2人とも生真面目に大学に通っていたため卒業に必要な単位は既にほとんど取得していたので、長期休みはたらふく時間があった。大学生の夏休みはバイトをしながら学校の課題をこなし、展示用の作品を大学の作業室に引きこもりながら黙々と作った。

開催場所は大学から近い、ギャラリーを併設した行きつけの古き良き古民家カフェ。ここのカフェは地元の野菜を使った料理やオリジナルのブレンドしたコーヒーが安くて美味しいと地元で評判が高く、僕らが通う大学生の他にはおしゃべりな年配のじいちゃんばあちゃん、休みの日は子連れの家族が来店したり、幅広い客層から絶大な人気を誇る。このカフェには広い庭があって、休日にくるとこどもたちがこの庭で遊んでり、ときどき僕もこどもたちに混じって一緒に遊んだりして、忙しい日々を一時的に忘れられる大好きなカフェだ。このカフェは大学の先輩らが毎年展示会をやるのが恒例でもあり、地元の画家が個展を開催することも多く、何かとしょっちゅう通っていたため、いつも間にか店長とはすっかり顔馴染みとなっていた。

ある日友人と店長に展示会のスケジュールや金額の相談をしようと2人でカフェに行ったところ、そういう時に限って店長が急遽買い出しに行って不在、代わりに今まで見たことのないセミロングで黒髪パッツンの小柄で同い年ぐらいの若い女の子がエプロンをつけて店に立っていた。

その店員が彼女だった。

僕らが店に入って10分後ぐらいに店長が帰ってきたのだが、話を聞くと今までたまに店を手伝っていた店長の娘さんが結婚し県外に移住してしまうため急遽アルバイトを募集、つい最近彼女がこのカフェに入ったそうだ。最初はおしとやかな店員さんがいるぐらいに思っていたが、店長と一緒にどこにどの作品を置くか一緒に考えてもらったり、「素敵ですね」と褒めてもらって単純な僕らはただそれだけで気を良くしたり、次第に惹かれていった。

展示期間は1週間、同じ大学の友達やカフェの常連さんの他に、古民家を見に来た外国人観光客が代わる代わる来店し、カフェにいれる日はなるべく長い時間在廊し、バイトで在廊出来ない日は店長がどんなお客さんが来て、どんな様子だったか毎日連絡をくれた。

展示会開催と同時に思い出になるかなと急遽追加で作ったグッズのポストカードはポツポツと売れ、大は小を兼ね最終日に精算すると、学生が有志でやったとは思えないほど想像以上の売り上げだった。大小全部で20点も作った展示作品も販売し、A5とA4サイズと手に取りやすかったことと、来てくれたお客さんから「発想がおもしろい」と高評価を得て、びっくりすることに最終日までに原画が全て完売した。まさかここまで好評だと思わず素直に嬉しかった。

売り上げは店の貸し出し料金や作品の郵送代を差し引いても手元に残り、売り上げ金の残りは半分にしてもどうせお互いすぐ使ってしまうからと、2人で打ち上げに使った。

4.天国と地獄

展示会を終えた後も変わらずカフェに通い、次第にこの店でバイトを続けている彼女とも仲良くなった。彼女は一個下で歳が近いこともあり、とんとん拍子で仲良くなった。どこに住んでいるとか、どこの学校通ってるとか、地元のこととか、趣味とか、好きなアーティストとか、他愛もない話をした。

ある日一緒に遊ぶ約束をした。僕は既に彼女に好意を持っており、彼女と出かけられればどこでも良かったのだが、彼女から「見たい映画があるから一緒に行かない?好きな小説が原作なの」と提案があり、僕はその映画についていく形になった。

これが最初のデートだった。

それから間も無くして付き合うことになった。彼女と過ごす時間は、紛れもなく幸せだった。

あれから6年経ち、お互い就職し仕事に慣れてきたところで一緒に住み始め、そろそろ僕も男として覚悟を決めようと、結婚を考え始めたところだった。

ある冷夏、彼女は「行ってくるね」と家を出て、そのまま帰らぬ人となった。

平日、仕事中の真っ昼間に、見知らぬ電話番号からの着信。それは健康診断でも世話になったことのない市内の大きな病院からで「今すぐに来てください」と緊迫した声、上司に事情を話しすぐに会社を抜け出した。

この日彼女は免許更新のため休みを取っており、免許センターに行ったその帰りだったようだ。昼食を取ろうとしたのか僕らがあまり出かけない街の交差点で、彼女が交通事故に遭った。すぐに緊急搬送されたものの、見た目の傷はさほど深くはないにしろひどい内臓破裂と、跳ねられた衝撃で運悪く頭からコンクリートに打ち付けられ、一瞬にしての大ダメージで間も無くして息を引き取ってしまった。目撃者や駆けつけた警察の話によると、過度なスピードで信号無視した車が、歩行者信号が青の横断歩道を渡っていた彼女を思いっきり轢き飛ばしたそうだ。明らかに人間が逃げられるスピードでは無かったと言う。

加害者は高齢の男性で、この道路は見晴らしはいいものの田舎のため交通量はさほど多くはなく、歩行者も自転車も多くはないため赤信号でも大丈夫だろうと油断しており、交通ルールの厳守と確認を怠ったとのことだ。加害者は何度も「ごめんなさい、ごめんなさい」と言ったが、昨今の交通事故の報道もあり、簡単に赦せるはず無かった。

正直者が馬鹿を見る、その通りの諺に絶望した。彼女を突如失った精神的ダメージの他にも、そんな世の中にもすっかり疲弊していたのだ。

5.泡沫

小説を読まない僕は、彼女の好きな作家の名前は知っていても、どんな作風なのか、そもそも日本人なのかもよく分からない。

それでも彼女のお気に入りの本は覚えている。彼女は「日々の泡」という小説を特に気に入っていた。数え切れないほどの本を所持しているにも関わらず、四六時中と言っても過言ではないほど読んでいて、よくソファや食後のコーヒータイムのダイニングテーブルの上に置きっぱなしにしていた。「日々の泡」はフランス小説の名作らしいが、無知な僕にはどんな内容なのかよく知らない。

遺品となってしまった「初任給で買った」と彼女が大事に使っていたクリアファイルがすっぽり入るサイズのキャラメルブラウンのレザーのカバンの中には、例により「日々の泡」が入ったままだった。彼女のカバンの中から本を取り出す。本自体は持ち歩きには苦にならないほど軽いはずなのに、やたらと重く感じた。その小説を彼女を失ってから初めて読んだ。パラパラ、ではなくしっかりと。本は雑誌か漫画しか読まない自分にとって文章だけの小説はイメージが湧きづらく、読むのはやはり時間がかかる。元々フランスの小説なので横文字の単語や日本語訳の意味が分からず調べたり、登場人物の心情が分からず考察も読んだりした。

彼女の好きだった小説を理解する、そうすれば亡き彼女と向き合える気がしたのだ。

読み進めていると、恋人の肺に睡蓮が咲く病気の話であることが分かった。これって「シャニダールの花」じゃないか?「見たい映画があるから一緒に行かない?好きな小説が原作なの」と初めて2人で一緒に出かけて、一緒に観た映画だ。映画の話が難しくて印象に残らなかったけど、ただ映画を見る2時間は穏やかで楽しかったことを覚えている。

僕はこの文でふと我に帰った。

この世で二つだけ存在しつづけているものがある。それは可愛らしい少女と一緒にいるときの愛の感覚と、ニューオリンズのデューク・エリントンの音楽である。それ以外のものは消え去ったってかまわない

僕の場合は、可愛らしい少女と一緒にいるときの愛の感覚=彼女、ニューオリンズのデューク・エリントン=絵を描くことだ。

だけど、彼女の場合はなんだろう。”ニューオリンズのデューク・エリントン”は小説に違いない、では”可愛らしい少女と一緒にいるときの愛の感覚”は僕なのか?僕と過ごした時間であって欲しい、だけど彼女に聞かないと答えは分からない。”愛の時間”は恋人との時間とは限らないからだ。両親と過ごした時間、友人と過ごした時間、本に触れている時間。僕は彼女を幸せに出来た自信はあるのに、未だに僕には自信が無い。

「どうしてこの小説が好きなの?」と思ったことはあるが、あまりにも日常的すぎて聞かず仕舞いになってしまった。どうして生きている時に聞かなかったのだろう、何て愚かなことをしたのだろう、そう僕は自責の念に押しつぶされ続けた。

6.無様

高校生最後の現代文の授業で、先生が「ひよこの眼」という小説を朗読した。死期の近いひよこと亡くなる直前の同級生の眼差しが全く同じだと気がついた主人公という衝撃なストーリーは、先生が朗読を読み終えた後、卒業間際の賑やかな高校の教室とは思えないほどに張り詰めた重い空気に、個々の心に気鬱に切り刻まれた感覚は、卒業から数年経った今でも鮮明に覚えている。

僕が死のうとしてから、1ヶ月も経っていた。1ヶ月前は彼女の後を追って何が悪いんだ、生まれるタイミングは選べないとしても死ぬタイミングを自分で決めて何が悪いんだ。そう映画なのか誰かが実際に言っていたのか分からないが、僕はそれが正論であり実際正しいと思っていた、だけど彼女が遺した本を開いてようやく気がついた。

僕は無様だった。

太宰治は自死を図った経験があるからこそ、死ぬ瞬間の描写が細かくかけると「ひよこの眼」を朗読した高校の先生の授業で習った。18歳の僕は何とも思わなかったが、ある程度経験を積んだ今思う。無名で社会の歯車でしかない僕が死を図ったところで、後世に何を残せるわけでも、誰が悲しむわけでもない。

僕は無様だった。

僕は自ら”ひよこ”になろうとした。僕が運よく天国に行けたとして、彼女と空の上で再開したところで、彼女に「最期の君は無様だったよ」なんて言われるだけだ。所詮僕だ、生き様も格好悪いのに終わらせ方も格好悪い、最低の人間だ。

僕は無様だった。

僕が「日々の泡」を読んでいれば、君が骨になる前、コランのように僕が君の周りを花で埋めていた。ちゃんと睡蓮で、君が好きでよく買ってきていたかすみ草と青いデルフィニウムも一緒にさ。

彼女が生きている時に、本を好きになればよかった。そうすれば一緒に生きているうちに彼女の世界を共有出来たのに。僕はただ小説を読んでいる時の彼女の姿が好きなだけで、彼女の好きな小説を好きになろうとはしなかった。本の魅力を知ったところで今更遅い。

1ヶ月前はそう思っていた。だが、だんだんとそう思うのは遅いとは思わなくなった。何百冊あるか分からないほど彼女が遺した本は、抜け殻として生きる僕に対して物凄く肝要な意味を成していた。

たまたま手に取った本と思い出した小説の登場人物は、何人も死んだ。人間は不思議で、生に焦点を置くと死が過り、死に直面すると生に意識を置く。中途半端でもいい、惰性で生きてもいい、幸せにならなくてもいい、だけど不幸せなまま生きる必要はない。

夜中2時、開けっ放しのカーテンの窓から満月が、彼女の面影をずっしりと遺した圧巻の本棚をパチリと照らす。彼女が熟知していて、僕がまだ知らぬ世界が何百個もこの部屋に並んでいた。まるでこの部屋の本たちが僕が手に取って開くことを順番に待って並んでいるように。

「決意は抱いた?」

遺された部屋に並べた本と、僕は生きていく。

歌詞

君は無様だった過去を変えるように
決意は抱いた? 忘れはしないで

遠く向こうから僕の手を引いて
劣位に甘えていた革命は死んだ

遺された部屋に並べた本を僕は知っている
ありもしない祝福みたいな意味を求めた

僕は無様だった過去を変えるように
決意を抱いていた 忘れはしないな

満ち欠ける月の律動 疾うに僕は知っていた
嗚呼今では戻らない花片を拾った

遺された部屋に並べた本と僕は死んでいく
ありもしない祝福みたいな意味を求めた?


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