kusanoha

好きな言葉「太平洋高気圧」 嫌いな言葉「冬型の気圧配置」

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最近の記事

「貝の穴に河童の居ること」日常に潜むトッピキピイ

「お姫様、トッピキピイ、あんな奴はトッピキピイでしゅ。」 語尾がいつも「しゅ」になる河童の三郎のこのセリフがなんとも好きで、時々思い出しては読み返す。 鏡花短編集(岩波文庫)の中の一編。 他の短編もそうだが、古い言い回しの上、聞き慣れない、見慣れない単語が次々に現れて、文章を理解するのにまず一苦労。なので、意味がわからないまま読み飛ばしている箇所がたくさんある。それが読み返すたびに少しずつ減っていくのも、あるいは増えていくのも、この作家の小説を読む楽しさだ。 ちょっと助平

    • 母娘と神父と村人と。「火曜日の昼寝」

      ガルシア・マルケスの短編集「ママ・グランデの葬儀」の一編。 文庫本で十ページ足らずの短い短編だが、何度読み返しても飽きない。 母親と娘が炎天下を走る列車に揺られている。列車はトウモロコシ畑が広がる熱く乾いた大地をゆっくりと走っていく。列車の窓からは機関車の息詰まるような煙が入ってくるが、ブラインドが錆びて閉められない。 母親は「膝の上にのせた上塗りのはげたエナメルのカバンを両手でしっかりと押さえ」背筋をまっすぐ伸ばして座席に座っている。その佇まいは「貧しさに慣れた人に具わる

      • 「月影」ここではないどこかに理想を求めることについて。

        「マンリーケは孤独を愛した。自分の影もなかったらと思うほどだった。わが影にすら、どこへもついて来てもらいたくなかった」 ふと、この一節だけ拾い読みすることがある。 普段ほとんど気にも止めない自分の影さえ疎ましいなんて、どんな心持ちだろう。僕もどちらかというと一人が好きなほうだが、自分の影に付いてきてほしくないとまで思ったことはない。 孤独を愛するマンリーケは王子という身分で、求めて得られぬものはないという何不自由ない暮らしをしている。でも夢想家で詩人である彼の心は満たさ

        • 「枯葉」生老病死と言葉では言い表せない何か。

          19世紀のスペインの詩人ベッケルの短編小説。 風に舞い、ふきよせられた二ひらの枯葉が、こしかた行く末を語り合う、ちょっと宮沢賢治のような手触りの物語。 「あなたは、どこから来たの?」 「あたし、大勢の仲間と一緒に、舞いまい風にさらわれて、果てしもない野面を吹かれて来たの。そういうあなたは?」 こんなやりとりから枯葉同士の会話は始まる。「あたしたちが芽を出した美しい日」を回想し、光と風を受けて輝く日々を懐かしがり、やがて色褪せ枯葉となり、風に吹きさらわれて、この先いつ終わる

        「貝の穴に河童の居ること」日常に潜むトッピキピイ

          「かあちゃん」リアルなおとぎ話

          貧乏長屋に暮らす「かあちゃん」と五人の子供と、不景気で金も家もなくなり、一家の家に盗みに入ったところをかあちゃんに説得されて、そのまま居着いてしまった男の話です。 一緒に暮らすことになった男は子供好きで、七歳の末っ子に寝物語を聞かせます。 男はあまり口かずの多いほうではないが、子供が好きな性分のようだし、話がうまかった。その話も一般のお伽ばなしではなく、自分で即興に作るらしい、ごく身近な出来事のなかで、子供の好みそうな筋をまとめて話すのだが、ときにはお勝やおさん、市太や

          「かあちゃん」リアルなおとぎ話

          「土くれ」いつの時代にも、どこの国のどんな街の片隅にもひっそりと生きているマライア

          街の片隅で生きる一人の女性の万霊節(今のハロウィンにつながるもの)の夜の出来事を描いてる短編で、出てくる人がみんな心優しく思いやりを持っている(万霊節というお祝いの日のせいかもしれないが)ので、とても心和む一遍です。 主人公のマライアはいつの時代にも、どこの国のどんな街の片隅にもひっそりと、でもしっかりと生きていそうな女性です。彼女がいかに慎ましく、控えめに、まじめに生きてきたか、また人には思いやりを持って接し、周りの人々からは非常に好かれている様子が淡々と描かれます。 「

          「土くれ」いつの時代にも、どこの国のどんな街の片隅にもひっそりと生きているマライア

          「この世でいちばん美しい水死人」エステーバンはお盆に帰ってくる

          ガルシア・マルケスの「エレンディラ」は、小さく貧しい村を舞台にした神話のような不思議なお話がいっぱいつまった大好きな短篇集です。その中でも特に好きな一編が「この世でいちばん美しい水死人」です。 彼の小説には、常識から考えるとおかしなことがいっぱい出てきます。 この短編集の中だけでも、海からバラの香りが漂ってくるとか、登場人物が海に潜って、沈んだ村や死者が漂う海を巡るとか、羽の生えた老人が空から降ってくるとか。 でも、お話なので気になりません。ちょっとびっくりするだけです。お

          「この世でいちばん美しい水死人」エステーバンはお盆に帰ってくる

          「午後の最後の芝生」夏の午後の、時が止まったように思える不思議なひととき

          僕はとても夏が好きです。焼けるような強い日差し、蝉の声、空の青さ、夏雲のくっきりとした形、突然の夕立、夕暮れの涼しい風、夏祭り、どこかで聞こえる祭り太鼓、浜辺で眺める夕陽、そして、夏の午後の、ふと時が止まったようなひととき。 夏の午後には、時が止まったように思える不思議なひとときがあります。動くものはなく、聞こえる音もなく、蝉の声だけは鳴り続けているけど意識されず、すべてが眠ってしまったようにしんと静まりかえる瞬間。 大瀧詠一が「カナリア諸島にて」で「時はまるで銀紙の海の上で

          「午後の最後の芝生」夏の午後の、時が止まったように思える不思議なひととき

          「やまなし」川底から川面を見上げる

          宮沢賢治の幻想的な短編。「クラムボン」「かぷかぷ」という響きが印象的で、詩のような冒頭の会話が大好きです。 谷川に住む蟹の兄弟と父親が主人公です。 川底から川面を見上げる蟹の視線がとても新鮮です。 蟹の子供が吐く泡の粒が水銀のように光ながらゆらゆらと登っていく様子。 雲間から射す日差しは「黄金(きん)は夢のように水の中に降って」と描かれます。 月の光が川面に反射する様を川底から見ると、「ラムネ瓶の月光がいっぱいに透きとおり天井では波が青白い火を、燃したり消したりしているよ

          「やまなし」川底から川面を見上げる

          「清潔な明るい店」夜はカフェで粘っていたい人間

          「夜もふけて、客はみなカフェから出ていき」 読み始めると、この冒頭だけでもう満足感に満たされます。ご飯三杯はいけます。数えきれないほど読み返し、これからもずっと読み返し続けるだろう、大好きな一編です。 ヘミングウェイには、絵のスケッチのような短編小説がいくつもあります。これもその一つで、冒頭の七行で一つの絵が出来上がります。 深夜、街灯に照らされた街路樹の向こうに明るいカフェが浮かんでいます。カフェの手前にはテラスのテーブルが並び、街路樹の木陰にあるテーブルに一人だけ老人が座

          「清潔な明るい店」夜はカフェで粘っていたい人間