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「清潔な明るい店」夜はカフェで粘っていたい人間

「夜もふけて、客はみなカフェから出ていき」
読み始めると、この冒頭だけでもう満足感に満たされます。ご飯三杯はいけます。数えきれないほど読み返し、これからもずっと読み返し続けるだろう、大好きな一編です。
ヘミングウェイには、絵のスケッチのような短編小説がいくつもあります。これもその一つで、冒頭の七行で一つの絵が出来上がります。
深夜、街灯に照らされた街路樹の向こうに明るいカフェが浮かんでいます。カフェの手前にはテラスのテーブルが並び、街路樹の木陰にあるテーブルに一人だけ老人が座っています。店の窓際のテーブルにはウェイターが二人座って、ひとり残った客を眺めている、そんな絵です。
まるでヘミングウェイが通りの反対側にイーゼルを立てて店の風景をスケッチしているようです。
この冒頭の文章がとにかく好きです。描き方が好きだし、描かれる風景が好きです。
話としては、ウェイターの二人が老人についてあれこれ話し、やがて老人は店を去り、ウェイターは店を閉める。それだけの話です。
登場人物は二種類、早く帰りたい人間と帰りたくない人間です。若いほうのウェイターは早く帰りたがっていて、老人がブランデーのお代わりを頼むと、もう閉店だと断って老人を追いやります。年上のウェイターは「夜はカフェで粘っていたい人間」で、「もっと飲ませてやればいいのに」と老人に同情的です。
ウェイターの会話から老人は耳が遠く、最近自殺を図ったことがわかったり、年上のウェイターが帰りたくない理由について「すべては無だ」とつぶやいたり「結局は不眠症なんだ」と結論付けたりします。「酒場のカウンターに立つわけにもいかない」と言って、コーヒースタンドに立ち寄る年上のウェイター。
「帰りたくない」人間は酒場には行きません。彼らに必要なのは清潔な明るい店です。彼らは酒場で大騒ぎしたり朝まで飲み明かしたりべろべろになるまで酔っぱらって憂さ晴らししません。そういう夜は、すでにいやと言うほど過ごしてきたのだと思います。結局逃れられない何か(何かはここでは追及しません)と折り合いをつける、またはやり過ごすのに「必要なのは光とある種の清潔さと秩序」だけです。それがかろうじて感じられるのが清潔な明るい店なのです。
耳が聞こえない老人も、彼なりのささやかな清潔さと秩序を守ることで、かろうじて生きていられるのかもしれません。
「あのじいさんは清潔だよ。酒を飲んでもこぼさないしね」年上のウェイターがそう表現する老人は、若いウェイターに勘定を払ったあと通りを去っていきますが、その姿は「ひどく年をとっていて、足どりもおぼつかないが、威厳をもって歩いていた。」と描かれています。

老人を追いやった若いウェイターも、悪い人間ではありません。
「じいさんは一本買って帰って家で飲めばいいんだ」と若いウェイター。
「ここで飲むのとは気分が違うよ」と年上のウェイター。
「それはそうだな」若いウェイターは横車を押すつもりはなかった。ただ早く帰りたいだけだった。
このやりとりもいいです。

おまけの好きな箇所。冒頭の描写に続くシーン。
若い女が兵士と連れだってそそくさと通りを歩いて行きます。兵士の襟章に街灯の光がきらりと反射します。それを眺めているウェイター二人の会話。
「憲兵に捕まるぜ」「自業自得だよ」「それにしても表通りを避けたほうがいいのに」
このわずかな会話だけで、ウェイター二人がどんな人間かわかります。

いつの頃からか、この老人はヘミングウェイが自分の未来の姿を思い浮かべて描いているんじゃないだろうか、と思うようになりました。

ヘミングウェイ短編集 2(新潮文庫)
ヘミングウェイ(著)/ 大久保 康雄(訳)

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