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noteのネタが切れない話

内向的で、口下手で、臆病で
知らない人と話をしようものなら
耳まで真っ赤になるほど緊張してしまう。

はい、小学生のころの私です。

いや本当に、知らない人と話すのが難しすぎる。
兄弟とか、親とか、親戚のお兄ちゃんとかなら
普通に楽しくお喋りできるというのに、なぜだ。

そんな私が小学校に入ったら、怖い。
360度どこを見ても他人がいる学校が怖い。
クラスメイト&先生の視線がめちゃめちゃ怖い。

「珈琲くん、教科書〇〇ページから読んでみて」

授業で先生にあてられた日なんかもう、戦いだ。
みんなが聞いてるんだ、絶対に間違えられない。
漢字の間違いなんて、考えただけで背筋が凍る。
間違えたら即笑われてしまう。クラスで大爆笑。
かといってビクビクした読み方もダメ。大爆笑。

どないせいっちゅーんだ!どうすればいいんだ?

これからぼくは授業の度に、毎回こんな極限で
緊張しっぱ、常時赤面、手汗ビシャビシャなの?
いやそんなの無理。絶対耐えられる気がしない。

どうする?どうする?なんとか考えるんだぼく!

考えに考え、やがて一つの結論に行きついた私。
「そうか、だったら失敗しなきゃいいんだ」

幸いにも私は幼少期より本が大好きであり
教科書を読み物として読むのも好きという
ちょっと(かなり)変わった子どもだった。

だから、授業であてられそうな箇所を
あらかじめ読み込んで練習しておけば
授業であてられても大丈夫じゃないか!
つまりは予習の鬼になれば解決だ論法。

小学生の未発達な脳をフル回転させて
我ながらよく考えた。頑張ったと思う。

実際、それは上手くいった。

スラスラと、だが感情を込めて
ラジオドラマのように教科書を読み上げるぼく。
静まる教室。
やがて教室内に広がる「おお~」の声。

先生が褒めてくれた。
クラスメイトも賞賛と笑顔を向けてくれた。
ぼくは(あ、これヤベえ)とゾクゾクした。

ぼくは予習を入念に入念にしまくった結果
普通に読むのではなく
面白く読むことを追及。
文章に抑揚と感情を乗せるようにしたのだ。
そしてそれが見事にハマった。

この日を境にあれだけ緊張していた授業が
(まだか!まだか!)と待ち遠しくなった。
背筋も伸び先生の顔を見れるようになった。
いつしか手汗は収まり赤面症も消え失せた。

そう、ぼくは勝ったのだ。戦いに。

・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・

このように私は子供の頃の記憶が残っている。
しかも鮮明に。あの耳まで赤くなる緊張感も。
記憶というのは面白い。

でも、もちろん
良い記憶ばかりが残っているわけじゃない。
noteには書きたくない嫌ぁな記憶も残ってる。

こうしてnoteに書けるものというのは
しっかり過去の出来事を受け止めた証だ。
笑い話として人に話せるようになったもの。

過去の面白いところは、現在いま向き合えるところ。
過去に負った傷を手当てできるところが面白い。

私は「手当て」と称して過去を文章化する。
それは傷口を開くことにもなるけど
誤った処置方法じゃいつまでも完治しない。
骨折したときのギプスはいずれ取らないと。

そんなわけで、言ってしまえば、ネタというのは
自分の過去の出来事だけ存在する。
決して無くならないし、むしろ毎日増えていく。

過去の傷は癒えるし、文章化してスッキリするし
書いているとハイになれるし、やっぱりnoteは
最高の娯楽なのかもしれない。


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