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2/16 雪国 移住 雑感及び不安障害

9:00起床 
ふわふわの寝具はすごくいい
もう春が近づいてきて着ることができないかと思っていたパジャマが気持ちいい
10:00身支度と掃除
私はなんで毎日、簡単な埃とりと掃除をしているのだろう
ツイキャスをきく
聴く人は限っている
夢中になりすぎるから。なんでか、傾倒しすぎるとうまくいかない
だからほどほどがいい
ほどほどにしないと、変なことが起こったりする

私は以前、メンタルがやばいひとにありがちな占いに傾倒したことがある
メンタルでもそうだし、恋愛でもそうだし、哀しくて孤独でたまらなかったときもそうだ
そしてだいたい、暴走列車みたいに終わった
今は一人の人の配信だけ聞いている
その人は占いというよりも人生相談みたいだから
第三者に聴いてもらえるのはありがたいし
他に聴いている方もいると語りすぎなくていい
それでも話過ぎてるほうなんだろうけれども
どっぷりよりもいい
今日も聴いてもらった
今、社長と仕事にどう思えばいいのか
もう正直、どうにもならないだろうなっていう気持ちで
諦めっていう負の気持ちでなくて
私が、ジタバタするようにボールを投げたり考えたり
何かをやっても、それは投げられた相手の都合を考えてない行為だよなというのに近い
神経質者は物事をコントロールしたい
それはものすごく無意識で、本当にそんなつもりないのに
たぶん、不安を回避するために身に着けたことで
だれしもが少しずつやっているんだろう
でも、うまくいかなかったときの衝撃がでかすぎるんだ
以前、病院の相談員さんが言ったことが記憶に残っている
『することすべてが報われるわけじゃないんですよ』と
そのとき私は、この出生地ではあるけれど人生の半分以上は住んでいなかった場所に移ってきて、障がい者となることを受け入れ、生活を立て直し、仕事をみつけ、生きていくことに必死すぎて、何もかもがうまくいかなくてはいけなくて、すべて報われなければ、いけないんだと思うことしかなく
その言葉の本当の意味を知らなかった
でも言ってもらえると、人って思わぬときにその言葉を思い出して
そういうことだったのかと腑に落ちたり、ようやく学べたりする
だから、もし誰かに何かを伝えることを無駄だと思う必要はないんじゃないかなと思う。
言語が発達して、言葉があって、それがどんなときにも形は変えても廃れないのは、きっとそういうことだからだろう
伝えることは意味がある、今でなくて、それがとても遠い未来で効力を発揮するとしても
そしてそうでない言葉がその何倍もあったとしても

話を戻すと、今日はそんなことで会社に対してどういう気持ちでいたらいいのかということだった
悪く考えれば悪くなりそうだし
この諦めも良くない気もする
だからといって、明るい想像をしても無意味というのもわかる
まだはっきりとしていないときのように、なにか役に立てるかもとしていた勉強もその会社に席を置かなくなるなら、別の形で続けるにしろ今は別のことを注視するべきだろう
そういうわけでどうしたらいいかわからない
私は引き寄せの法則というものは知っているが信じていない
ただ、考えたことが、物凄い速さで、幾つもの偶然を重ね合わせて起きたことがある
だから思考が現実するということはあるのではないかと思う
そして神とその逆の存在がいるのではないかと、その現実が起きたときに思った
そうして、本当にそういう力があるかもしれないと思うと
それを単語でいうことがこわい
刺激しなくていいものを刺激してしまいそうだから

今回の結果は
過去:現実をみていなかった
今:ゆっくり物事がすすんでいる
このままだと本当の気持ちをだすことが出来ない
周囲には私には何も出来ませんと見せている。見せているから、周囲は何もできないと思っている
潜在意識:崩してしまう
本心:自分で決めたくない。周りがなんとかしてくれないかな
環境:周りの人は考えてくれてる
良いところをみれない。もうほじくりかさなくていい問題をほじくり返して、転覆させてしまう
でもそのままにしておけば、船はすすで行ける。導きもある
愛と豊かさはある
愛を出していく
出来ない出来ないではなくて、その人たちのために自分が何を出来るか
それを示していく
考えていく

めちゃくちゃ当たってた
最近ずっと、関わる人から
『せっかくアドバイス・助けたいと思っていても否定されてしまうから、助けられないくなってしまう』と幾度も形を変えて言われていた
どうしたらいいのかわからなかった
そんなことしないで、救いの手を受け入れたかった
自分がそんな思考になっていることすら気づかなかった
医師が教えてくれた
そうやって、出来ないことを先に示すことで自分を守っている
今はそういう風になっていることを自覚する
それでいい
そういわれた
指摘していくから直していこうと
そうして、不安だからそうしている
自分を守るために
服薬に前向きではないが、強迫性障害に有効とされる薬は
強迫性障害だけでなく、うつや不安にも効く
飲みますか?と問われた
私は、この癖が、いつも、波状に現れる不安のピークが病気なのだとそのときようやく自覚した
なんとかなるし、なんともならないし、自分はずっとこのままだと思っていたから
薬も何も直してくれないから、これ以上ひどくならないように
症状との追いかけっこにこれ以上日常を追いつかれないようにどう生きれるか
死ぬまでに追いつかれなかったらそれで良いと思っていた
でも、正直、強迫性障害に効くかは疑問だが
不安が治まってくれるなら
この過剰な不安が病気なのだとして、薬でなだめることができるなら
飲むことにした
以前も試したが、副作用で動けなくなって飲めなかったのだ
でも飲むことにした
服薬量はごくわずかだ普通に始める量の1/4
そんなことを考えたり通院したりしているが
毎日不安で息ができない
きちんと働いて、生活していきたい
一日の終わりにやれやれ疲れたなーと思って窓の外を眺めたい
そうして、安らかに眠るのだ
自分を許して眠るのだ
何かを観るときも罪悪感を感じたくない
不安から逃れる映画を観たりするが、みている間は罪悪感に苛まれる
曜日が過ぎ去ると、時間が過ぎ去ると日付が変わると罪悪感に苛まれる
この状態から抜け出したい
思考を明るくしたい
思考がこんなだから、こんなことになってると思いたくない
やるしかないんだよね
やるしかない
やっていれば、思考もおいついてくれるかな
よくわからない

日本は宗教が特別少なく、信仰も他国に比べる薄いほうなのだと聞いたことがある
だから自死も多いのだと
宗教に傾倒するとか妄信するとかではなく
自分が迷い気持ちがさまよっているときに
縋るものや、心のなかで相談する相手がいるということは救いなんだろうなと取り留めもなく思う

今日はすごい
強い風、日の光、雲の影が、明るさと暗さを
一分ごとに変えてこの雪国を支配してる
私は落ち着かない気持ちになる
眉間にしわが寄りそうな気分だ
もし今声を出したとしたら、決して朗らかとは言い難いだろう
朗らかになりたいよね

何もすすでいかない
まんじりとしている


お力添えありがとうございます。