見出し画像

うつと不安障害とコロナとあれこれ

えーってなった

社長が、閑散期だし、コロナ休業する

森絵さんも初めての雪国の冬でさ、病もあるし

ちょっとゆっくりしたらどうかな?と言われた

その間に、病院も見つけて療養して

春になったらもっと良くなるよと言われた

えーってもう一回思った。

社長とは数奇なとしか言いようがない運命で出逢った

恋とかではない

それはまた説明するとして、初めに伝えておきたいのだが

私は社長を尊敬しているし、人としてとても好きだ

話していると本当に学ぶことが多い

私は10年以上、東京都心に住み、勤めてきた

その話も今度するから

今は社長のはなしね

そんなわたしは、しがない私大をとくにやりたいこともなく卒業し

特にやりたいこともないので大学に残り、このままだとアカンのじゃないかなーって思って、就職活動をして、こんな大きなビルをたくさん建ててる会社ってゴイスーって思ってたら、そこで事務員を募集していて応募したら、社員としていれてくれたので勤めていた

なので隣が、東大

目の前が東大

上座にも東大、京大

みたいな

学歴がすべてじゃないし、人格でもないけど

やっぱ、大学受験っていう何事かを成し遂げているわけじゃないですか

日本で知らない人がいないところにお通いあそばしてるわけじゃないですか

そんな人たちが集って、そういう大学は出てなくても

そういう人たちの元で働いているからきちんとしている方ばかりだった

(たまにキャラが濃い人とか、ん?とおもう人はいるがそれは集団のなかで普通だし、私も変だったと思う)

話はそれたが、そんな私が、たった3か月お話しただけで

社長カッケー!とか社長の考え方とか懐の広さってすごいなって思ったから

社長はある程度すごくすごい

もうそういうことで話すすめていい?

そういうことにするからね?

いいね

というわけで、O社長がそういうから私はそれを

ハーイって受け止めたかった。

普通ならうれしい

だって雪国だよ?

極寒だよ?

アイスバーンだよ?

吹雪だよ?

越してきて初めての冬だよ?

ストーブに灯油いれなきゃなんだよ、自分で。

今まで、11階建てのマンションに住んでて、宅配ボックスが完備されてて

ゴミは24時間捨てられるところにいたんだよ

それが、灯油を配達してくれるところを探すのからはじめなきゃいけない

頭も人格的にも心的にもゆとりがない私はもうほんとうに

毎日が精一杯で、正直、働きだしてまだたったの3か月なのに

帰ってきてお風呂入って(もちろんシャワー)

なんとか夏に机を兼ねて買っておいたこたつに入り

ご飯を食べ終わるとそこで力尽き、眠っているのではなく、

あと数歩のベッドにたどり着けない日々が続いていた

正直、自分が抱えている不安障害(汚染恐怖)でもう毎日が手一杯だった

ちなみに、不安障害・強迫性障害にはいろいろ症状があるのだけれど

私のだけを端折って説明すると、外のものが触れない

外のものに触れたものを家に持ち込めない

だから、コンビニでご飯買えない

お洋服も買えない

何も買えないのだ

というよりも、手にもとれない

じゃ、どうしてるかというと、

なんとか買ってはくる

(じゃないと生活できない)

で買ってきたらアルコールを吹きかけたティッシュで二度拭きする

しかもとても厳格に。

病にちょっと詳しい方は知っているかもしれないが

これが病人には普通のことでも儀式行為ともいうらしい

私の場合は拭くことで一時的な安心感を得る

おれはそんな変な癖はないと思った方も、少しはあるものだ

例えば、家の鍵が閉まってるか必ず確認しないだろうか?

そのとき、いつも同じ回数を回していないか

窓の鍵を閉めたけれど、一回、窓が本当にしまっているか引いてみたりしないだろうか

それが、あるとき、ストレスが過剰にかかり、何度も何度も何度もやってしまうようになる

例えば、閉めたはずの扉が開いていたら、いつもより気を付けようと思って確認して、安心するまで続けてしまう

安心できるのがちょうど、ドアノブを右に3回左に2回回す

そんなことだ。ね?それって誰にも迷惑かけないし、ありがちだし、たった10秒だから問題ないけど

その行為かける10回しないと落ち着かなかったら大変じゃない?

でもその右に3回、左に2回ドアノブを回すって誰が考えたんだろうね?

どうしてそれで安心できるの?

そう、自分が考えて、自分で暗示をかけて、安心してる

よくわからなくなってきたでしょ?

話を戻す

とにかく私は、買ってきたものを厳格に、拭き上げなければ使用できない

家の中においておけない

もしくは洗う

それでなんとか生きてる

そんな状態だから、自分の家の中以外が怖くてたまらない

不安になるのだ

触れると拭きたくなるし洗いたくなるし、

これも知っている人は知っている家=聖域に持ち込みたくなさ過ぎて

頭がいっぱいになるのだ

それで外に出ること、新しい場所にいくことにとても不安を感じる

この病を何とかする方法は、少なくともこれ以上ひどくしない方法は

そこへ、行けるようになった場所に行く続けることなのだ

それを会社というオフィシャルの場に求めてはいけない

それは私もわかるが、私は社会の一員でいたかったし

働きたかったから、休みたくなかった

そして会社に行くというハードルを上げたくなかったから

それで、何回か、社長がそういうのを聞き流していた

それにしたって、立ち上げたばかりの会社であるし

入社してまだ3か月だ。自分が会社にとって出来ることを見つけていきたかった。社長の役に立ちたかったし、もしかしたら、ここでなら、自分はこれが出来る!ということを見出していけるんじゃないかと思えていた。

O社長はそんな人だった。

私はO社長に少しだけ病のことを話していたが、不安障害は自分の脳が作り出した、自分でもおかしいと思うことが頭から離れない、不安にとらわれ、確認や、行動をしてしまう病なので、どこまで話していいかわからなかったし、話すべきではないと思った。

巻き込みというものもあるからだ。

巻き込みはいろんな形である。例えば、友達に打ち明けたとしよう。

その友達がとてもやさしければ、あなたの頭が作り出し、構築し、法となっているルールを詳細にきいて、理解してあげたい。私だけは、あなたの国であなたが安心できる存在でありたいと思ってしまうのではないだろうか。これは、お付き合いしている相手でも当てはまるかもしれない。でもこれは病の初期には、理解者がいる、支えてくれる人がいるという意味で慰めになるかもしれないが、正直、申し訳ないが全く意味がない。

だって、脳は勝手にルール変えてくるから。勝手に変えて、複雑にし、例外なんかも設けてくるから。だから理解してもらおうとするのは、自分の脳のルールじゃない。こういう病があって、自分がかかっているということ。だからときどき、手を貸してほしいということだけなのだ。でも、お互い、病気のことをわかってない(かかっている年数が浅い)とそれを知らずに、互いを思いあいすぎて、どんどん脳が作り出した架空のルールにとらわれていって、最後は隣にいた人はついていけなくなって、離れていってしまうのだ。そうして病を抱えている人はさらに自分を責める。そんなことが起こる。

社長は社長であって、友達でもなく、敬うべき存在なのでそんな心配はしなくていいのかもしれないが、私は初めて自分の病というか、このおかしい脳内ルールについて、他者(親・兄弟・友人にも話したことはなかった)に話すので、どこまでどう話したらいいのかの練習が全くできていなかった。

話と弊害が出てきそうなのは想像できたが、どう話すと何が飛び出すのかまでまったく、さっぱりわからなかった。

なので少しずつしか話せなかった。それでも社長は私がメンタル疾患を抱えていることは理解してくれており、ときどき業務の間に、

「わたしは、会社の役に立ちたい。自分はこれが出来ると、会社に示せるものを早く見つけたいです」

とよく話していた。とてもじれていた。もうずっと生きているのに、わたしには何もなくて、病気ばっかり悪化してどんどん出来ることが少なくなっていたから。

そして、出来ないことがあって申し訳なくてつらいと。どれがわがままで、怠惰な気持ちで、どれが病気のために本当に抵抗がって出来ないとおもっているのかわからないのですと。

正直にそう伝えた。

社長に、誠実でいたかったから。

そのとき社長はこう言ってくれた

『精神的に病んでいる人がつらいと思ったことは、わがままではないよ。それをしていると潰れちゃうからしないほうがいいんだよ』

そんなふうに言ってくれる人はいなかった。

私は正直、この病気で家族とも疎遠で、お前の病気は人を不愉快にする。

薬でもなんでも飲んで、さっさと治せと言われた。

そしてそれが普通なんだろうなと思っていた。

それが一般的な考えですべてなんだろうなと。

あと、ちょっと愚痴ると家族は、どっかのテレビ番組でやってた

患者の脳に電流を流す(患者は麻酔をしているから何も感じないらしいが。昔のアメリカ映画にあるロボトミーまではいかないけれど、その一歩手前の処置としてよくそういうのを見るがたぶんあれに近いのではないかと思う。私はテレビを見ないのでわからないが。猿轡みたいなのをして、左右のこめかみに電極をあてるようなやつ)

それをしたら、と言われたことがある。

さすがにひどくないか(受けている方すみません)と思って、思わず

じゃあ、一回、受けてみてよ、私はそんな施術怖いと言ったら、家族はすぐさま、イヤダアアオソロシイ、というようなことを言ってはいたが…。

まぁそんなこんななので、私はめちゃくちゃ感動した。

自分が抵抗があって、そんなことに抵抗があるなんておかしいということはわかっていて、やりたい、やらなければ、やれない、こわい、なんで、どうして、自分ってやつは、じぶんなんて、自分のコノヤロウ、自分殺してやりたい

これくらいには息をするくらいに、自分に対しての責めの流れが出来ている脳だったから、やることがすごく重荷であるということをしなくていいんだということが、どうにもならない曇天が立ち込めて、もう何日も、何か月も、何年もたっていた自分には、初めて、光が差したようだった。

なにか許されたような気持になった。

そうして私は越してきたときに、医師の勧めもあって申請していた、障がい者手帳が通った。

それを誰かに言うつもりはあまりなかった。

どういえばいいか、わからなかったし、申請してそれが審査されて通って、そうして私は健常者から障がい者になった。

それをすぐに受け入れられなかった。動揺もした。

自分で申請することをえらんだのだけれど。

じゃな、なぜ申請したのかと思うだろ。

それは生きていくためだった。

ずっと心に、寝ても覚めても笑っていても食べていても常にずっと心に

どうせ死ねばいいという気持ちと、死への安寧の気持ちと、もう人生はどうにもならないという気持ちがあって、それでも私はあることから、とりあえず、死のうとすることを選択はしないと決めていた。

そうなったときに、実質的に死なないとしても、心が100%であるとしたら、つねに70%はし『死』が離れなくて、もうたぶんずっとこうで、これは変わらないだろうなって思ってた。どうしたって、それが振り払えるものでなくて、人が腕が2本がとりあえずデフォルトなら、ずーと3本にならないかなって考えてもどうにもならないのと同じくらいに、消えないだろうなって。残りの何十年も続いてしまう人生、この70%の死がこれ以上傾いていかないようにすることで生きていくんだろうなって思っていた。

あとそれを人に知られないように。変だから異質だから。メンヘラって避けられるから。もう病気のせいで私が人を避けるしかないだけれど。でもやっぱり、ネットでメンヘラっていうとどうしようもない存在じゃないですか。まともに話せないしヒステリックで何をしでかすかわからないし、人の時間を掃除機みたいに吸い取るくせに、よく病んで回復しないし。そうなんだけれど、最初からそのみられるのはあまりに心が死んでしまいそうで、さすがに隠したかった。

そういうわけで、死なないとしても生きていくには、莫大なお金が人にはかかる。莫大って、あれですよ。社保完備で手取り15万くらいのことです。

あとボーナスが年二回1か月分くらいあれば、私は幸せというかメンタルをある程度保てるし、病院にもいける。たまに好きなチーズを買って食べたり、洋服が傷んだら、必要に応じて買うことくらい出来るっていう金額で。年取ったら2000万必要とか言われてももう無理だってわかってるから。とにかく、人様がみたとき、あまりいなくなってしまったけれど、もし友人と連絡を取ったときに、恥ずかしくて話せないということがないくらいにしたかった。その体裁を整えられるのがわたしにとってそれくらいで。でもそれを稼ぎ出すのが、自分にとってもうものすごく大変で、ものすごく莫大な金額だって思った。私の人生は稼ぎ出す金額からしても、もうどうにもならないのだ。だって外にでれない。区役所・市役所・公共の乗り物・触れない。用紙を持ち帰れない。全部。全部だ。なんで全部電子申請じゃないんだ。なんでいまだに印鑑もいるし、マイナンバーカードもいるし、免許書もいるんだ。意味がわからない。全部、洗わないといけない。全部拭かないといけない。その未知の汚れがついた椅子はなんなんだ。乾いてるからみんな座ってるけどそれってほんと?まぁとにかく、私も以前はここまでひどくなかった。公共の場所、なんとなく汚いなとか不特定多数が触ったボールペン触るのちょっとやだなとかくらいだった。だから、いま、そこまで苦しくなってしまったことがどんだけおかしいかわかるから、そんな自分がいやでいやでいやでたまらない。消えてしまえばいいと思う。じぶんのなのに、自分がなんともならない。だから消えろ。死ねって思う。あ、これがいつも『死』がある気持ちです。毎日、毎日こう思ってる。デフォルトで。そんくらい自分の病気が人に不愉快で自分を鎖でつないでるって知ってる。自分の脳なのに、どうしようもできない。外に出たい。大好きなカフェ巡りをしたい。レストランでご飯が食べたい。カフェで雨の日に本を読むのが好きだった。映画館に映画を見に行きたい。できないことを考えると頭がおかしくなりそうだ。この人生は一体なんなんだろうと思う。


まぁそんなこんなで、社長からなんどか通告があって、コロナ休業を受け入れて、休みになった。その直前に、障がい者手帳の認定が下りた。

私は誠実でいたかった。社長にならと思って、友人よりもだれにも話していないのだけれど、社長に話した。

社長はその前から、医者を変えてもっと通って、診断書を出してほしいと言っていた。どんな配慮がひつようなsか。必要な配慮はしてあげたいし、出来る業務と出来ない業務を知りたいからと。それで調整できるならしてあげたいからと。

だから私は病院を変えて、診断書をとった。

そして、それを会社に提出したら、させられる仕事がないから


そういわれた。

次回に続く

この記事が参加している募集

お力添えありがとうございます。