人生は突然終わりを告げる(1月8日)
銭湯の常連のお爺さんが先日亡くなった。
おしゃべり好きで、いつもこちらが相槌を打っているだけで楽しそうに話していた。でも年のせいか呂律が回っていなくて、会話の半分以上ほぼ何を言っているかわからなかった。
街でも時々見かけて、その度に立ち話をした。足腰が弱っているせいか歩くのがとんでもなく遅くて、僕が5分とか10分で歩くところを30分以上かけて歩っていた。
銭湯がそのお爺さんの最後だった。
80年以上も生きてきたのに、人生の結末はこうもあっけないものかと思った。
銭湯で働き出してから死というものがグッと身近なものになった。
でもそれは身近な親族の死とは別物で悲しさの中にどこか客観性を帯びている。
夜中にコンビニに向かう途中でふと、ついこの前まで普通に居たあのお爺さんは今日を知らないのかなんて当たり前のことを思った。
きっと今日くらいまでは人生を送れるはずだと思ったことだろう。
僕も明日は送れるはずだと思っている。
自分も死ぬを必ず経験するはずなのに他人事だと思っているのはなぜだろう。
この不思議な感情を表現するのは今はまだ難しい。