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芸能人に本気で嫉妬した話(1月9日)

平日火曜日の午前中。今日はとある芸能人の方の写真展に向かうと決めていた。

平日にこうしてのびのび活動できるのは銭湯を仕事にして本当に良かったと思う点である。会場は隣の文京区。距離はそんな離れてないのだが、電車だと遠回りしなくてはいけないため40分かかる。歩きも含めたら往復2時間。多少ではあるがお金もかかる。一方でGoogleマップでは自転車で30分と案内が出た。しかし台東区から文京区に行くまでには、毎日通行するなら電動自転車必須級の丘を2ヶ所越えなくては行けない。揺れる心。近いのにどちらをとっても何かしらのストレスを抱えなくては到達できない。苦渋の決断の迫られるも、結局この日も例に漏れず起きる時間が遅くなり有無を言わさずに自転車に乗ることになった。

問題の丘に差し掛かった。手前の交差点で一時停止して勢いを殺されてしまう。くそっ。周りのマダムたちの乗る愛車は案の定電動自転車ばかりだ。信号が青になり、自分の自転車がギアもないごく普通のママチャリであることを少し恥ずかしく感じた僕は、それを悟られないよう顔は平然とした顔で椅子に座ったまま、足元は部活動をしている高校生並みに勢いのついた回転数でペダルを漕ぎ、先陣を切って一気に丘を駆け上がった。結局辛くなり途中から立ち漕ぎに切り替える。登れたはいいものの、脈拍は上がり、心臓はバクバクで体のありとあらゆる血管を自分の血液がグルングルンと駆けていくのを感じた。

この日は展示の初日で、11時オープンのところ会場に着いたのは11時15分くらい。人がある程度多いのを見越して早めに来てみたが、その予想を遥かに上回る人の数。さすが東京。さすが芸能人。文京区の閑静な住宅街に突如現れた異様な人の列を眺めながら、自分もその一員であることを自覚し近所の方に少し申し訳なく思った。上京して10年、これだけ住んでても全く慣れることがない。東京とは凄まじいところである。

今まで様々な場所に出向いてはアーティストのイベントや展示に参加してきたが、明らかに人の数が頭ひとつ抜けている。この列を目の当たりにした僕は芸能人(インフルエンサー)と呼ばれる人たちの影響力の凄さをまじまじと見せつけられた気がした。しかしそれを理解するのと同時にしだいに心が曇っていく。気付かぬうちに嫉妬していた。自分が集める側ではなく集められる側の立場であることが悔しかったのだ。今後いくら何かを頑張りどんなに素晴らしいものを作り発信しようと、芸能人が持つ圧倒的な華、知名度、影響力を振りかざした集客力の前には到底敵いっこないのかもしれないと。比べるものではないのかもしれない。でもたとえ自分の方がSNSのフォロワーで下回ろうと、本業を別に持っている人に集客面で屈することを安易に飲み込めてしまうような人間にはなりたくない。

こんなことを言うのは野暮かもしれないが、ほとんどが作品に惹かれて集まっているというよりはその人見たさに集まっているようにも見えた。紛れもなく僕もその一員である。彼女の知名度がなければ展示を知ることも、ここを訪れることもなかった。それを分かってしまっていることがより悔しさを倍増させる。これが今の時代の正攻法としてすんなり飲み込めないのは、SNSの中で自身が見せたいように私生活の表面を掬い、あたかも本当の自分であるかのように取り繕った内面を世の中に晒す行為に違和感があるからだと思う。作品の価値をまずフォロワーで測られてしまいがちな現代で、数多いる作家さんたちはどう気持ちの整理をしているのだろうか。そんなことを思った。

自分で納得して出しているとはいえ、アップしたものが意図せず拡散されることでインターネットの波に乗って、体から離れて一人歩きしていく恐怖心はいつまでも拭えない。僕にとって私生活をどの程度ひとに誤解のないよう明かすかという線引きがあまりに難しい。インスタのストーリーズひとつアップするのに試行錯誤の末、30分画面と睨めっこなんてことがざらにある。SNSとの距離が近い世代だからこそ、目で見える華やかな部分の影に隠れて生きづらさを感じるひとは僕の周りにも多いように感じる。

集客力やフォロワーなど表面的なものに騙されず、支持してくれる一人一人をしっかり見れていればさほど問題ないことのようにも思う。しかし世の中の成功を表す一つの指標として売り上げや観客動員数が数字として用いられることは今後も避けられない。良いと思おうが悪いと思おうが皆同じ1としてカウントされ、重要なのはどう思ったかよりもその数なのだ。悔しいがお金で生活しなければいけない以上そこを無視することはできない。でもこのお金の価値に重きを置きすぎるあまりその本質を見失ってしまっている人が多いのもまた事実である。

純粋に展示を楽しみに来たはずが、思わぬところで変な思考の落とし穴にハマってしまった。SNSが苦手でなければこんなことは考えずに済んだはずなのに。いや苦手であることを救いと捉えるべきだろうか。SNS自体が悪だと思っているわけではない。僕のように苦手に思っている人も目的を達成する手段として、必須科目のように一定以上の扱うスキルを求められ、それを避けては通れない現状が生きづらいのだ。これまでも何度か挑戦を試みてきたがやはり続かなかった。それが分かったのならば時代に惑わされることなく自分に合ったやり方で進むしかない。時に時代の主流に乗って活躍を続ける人はキラキラした輝きを放って見える。自分を試されているような気がした。

彼女が今の地位を築くまでの努力を僕は知らないし、それを想像することなど到底できない。だからこそ支持してくれるファンがこんなにたくさんいて、どの分野で発信してもそれを認めてくれる存在がいるという状況が羨ましかっただけなのかもしれない。

晴れているものの風も強く寒い日だった。入場までに30分以上は並んだだろうか。中からひとりの女性がふらっと列を確認しに出てきた。「寒い中、ありがとうございます。もう少々お待ちください。」スタッフかと思ったその声の主は主催者本人だった。まさかのタイミングでの本人登場にみんなが度肝を抜かす。芸能人だからと言ってお高く止まることなく、来場者の列を気遣う姿を見てこの長蛇の列もなんだか納得がいった。SNSなんか苦手でいい。まずこういう姿勢を見習うべきだと思った。


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